法廷には思いの詰まった言葉があふれていた。すすり泣く声がほぼ終日漏れていた。36人が死亡した京都アニメーション放火殺人事件の裁判は、最終段階の「量刑」に関わる審理。11月30日も犠牲社員・被害者の遺族や代理人らが直接、または書面で意見陳述した。遺族や被害者が青葉被告らに伝えた「ことば」を連載。法廷ドキュメント第18回。

「小説ごときで娘は殺されたのか。絶対に、絶対に許さない。」

――入社わずか3ヵ月あまりで犠牲となった、笠間結花さん(当時22)の母親は、強い口調で、自ら書面を読み始めた。

事件が起きた日、京都に向かう車の中で、「どうか無事でいてほしい、絶対結花が生きている」と願うしかなかった。でも、それは叶わなかった。その日からたくさんのマスコミが家に来て、町内の聞き込みをされ、買い物に行くのも怖くて、外に出るのも怖くなった。

母親が自分の分身である子どもを殺されるのは、身を引き裂かれるような思いで、できるなら代わってあげたい。娘を殺された悲しみを忘れた日は1日もありません。被告人への憎しみがこみ上げてきます。この生活は、一生続くでしょう。

被告人は「やりすぎた」と言ったが、反省はない。小説ごときで、娘は殺されたのか。私たち家族は、娘が殺されたという事実に一生苦しむことになる。被告人を見る限り、36人の命を奪い、多くの人にけがをさせたことを、深刻に受け止めている様子を感じない。大きな失望とともに憤りを感じた。私は絶対に、絶対に許さない。

――母親は、遺族としての想いを強い口調で述べた後、亡くなった結花さんに向けて語りかけるように話し始めた。その”ことば”を聞いて傍聴席からはすすり泣く声が漏れた。

「結花は今どこにいるの?会いたくて、会いたくて」

ここからは、結花へ。結花は今どこにいるの?天国にいるのかな。会いたくて、会いたくて、でも会えなくて、全然大丈夫じゃない毎日が続いています。でも私が元気じゃないと結花も喜ばないと思うので、頑張って過ごしています。

結花は、私たち家族にとってかけがえのない存在でした。学校やアルバイトであったことを面白く話すのが得意で、楽しませてくれた結花。あの楽しかった日々に戻りたい。

結花の夢は、私の夢でした。結花が関わった映画を一緒に見に行くのが、アニメーターとしての最初の夢でした。本当に悔しい。抱えきれないたくさんの夢とともに、これから生きていきます。

本当に生まれてきてくれてありがとう。そう。結花の誕生日は、毎年「生まれてきてくれてありがとう」の日です。身勝手な筋違いの恨みによって、計画的で凄惨な事件を起こした罪に対し、正しい判断が下されることを願っています。私たちは、死刑以外考えられません。

「善人だった私は、犯人に明確な殺意を持った悪人の予備軍となりました」

――母親の意見陳述に続いて、結花さんの姉の意見陳述の書面が、代理人を務める女性弁護士によって読み上げられた。

妹は、私が漫画を又貸ししたのを気に入って、絵を描き始めたようです。大学のころ「アニメーターになる」と言っていた妹は、見事京アニのアニメーターとなり、素直にすごいと思いました。自慢の妹でした。

事件の日、両親より先に現場に到着すると、現場は焦げ臭いにおいがして、警察の黄色いテープをくぐると、妹がまだ見つかっていないこと、中にまだ多くの人が取り残されていることを聞きました。私は、焦げ臭いにおいに、人の焼けているにおいも混ざっているのだと気づき、血の気がサーっと引きました。

私は善人だった妹を失い、善人だった私は、犯人に明確な殺意を持った悪人の予備軍となりました。作品を作り続け、多くの人を元気づけてきた人の命を奪うことは、普通の殺人の範疇に値しないと思います。多くの人の魂を汚した犯人は、万死に値すると思います。

妹が無理してやっと叶えた夢が絶たれた原因はなんなのか。被告人がどのように罪を償い、どう命を終えるか知りたいのです。判決がどれだけ理不尽であっても、私はそれを刻み付ける覚悟があります。法律家、裁判員の皆様によって、正しい判断がなされることを願っています。

「青葉さん、アニメが好きで仕事にしようとしたのは、息子も同じじゃないですか」

――「私は、心のバランスを失い、服薬やカウンセリングを受けました」そう話したのは、男性社員(当時32)を亡くした母親だった。

夫は死に直面することが辛いようで、裁判に参加することができませんでした。この裁判の証拠などを夫に見せることは、ショックを受けてしまうのでできません。息子をなくしてうまく生きることができなくなってしまった私を、(被害者の)弟2人がずっと支えてくれていますが、2人も辛い思いをしているはずです。

息子はもう返ってきませんし、殺されたという事実しか残らないのに、被告人の人権を守るための裁判に何の意味があるのかと思っていました。しかし、こうして意見を述べることで、亡くなった人にも、生きていた人生があったことを知ってほしい。小さな島からアニメのことを勉強して悪戦苦闘して夢をかなえた、息子の人生を知ってほしい。

青葉真司さん。あなたの生まれや育ちについても、この裁判で聞きました。アニメが好きでそれを仕事にしようとしたのは、息子も同じじゃないですか。息子は、アニメなんて何もわからない漁師の家の長男で、日中は漁師の仕事しなきゃいけなくて、夜仕事が終わってから勉強して...青葉さん。あなたが殺したのは、そういう人です。息子は、何で殺されなければならなかったんですか。アニメが好きで、アニメーターを目指したのが悪いんですか。

「命が平等なら、奪った命の分だけ、罰を受けてほしい」

病気に支配されていたらどんなことをしてもいいのなら、被害にあった人やその家族の人権は、どうやって守ってもらえるんですか?人の命はみな平等です。36人を死亡させたことが、ただ病気だからといって被告人が守られることは説明がつきません。命が平等なら、奪った命の分だけ、罰を受けてほしいです。

息子は島出身というハンデがありました。ハンデがあるのは、家庭環境が悪かった被告人と同じじゃないですか。片方は夢をかなえたのに、片方は逆恨みして人に嫉妬して、犯罪を犯して、歪んだ意識を抱いたことは理由にならないと思います。被告人は、息子と、ほかの35人の亡くなった方と、多くの被害者と、残された私たちの苦しみを毎日考えて、毎日後悔したまま生きてほしいです。最後の日まで苦しみぬいてください。

裁判官、裁判員の皆さん、36人という数字だけでなく、一人一人に特別な人生があったこと、家族・友人がいたこと。その一人に、私の大好きな息子が、物静かだけど芯が強くて前向きなあの子がいたことを、忘れないでください。

――男性社員の母親が裁判員らに語りかける間、傍聴席では静かに涙する人の姿もみられた。

――母親が意見を述べ終えると、今度は男性社員の弟が裁判員らに一礼した後、ゆっくりと、訴えるように話し始めた。

裁判官、裁判員の皆様に伝えたいことがあります。この事件の被害者、被害者遺族はこの裁判に参加しているということです。

罪の意識はあるのに、一言も謝罪のない被告人。まるで被害者がこの法廷にいないかのように、裁判官、裁判員に身振り・手振りを使ってパフォーマンスをする弁護人。まるで私たちの心情は無関係と言わせるような審理の順番。遺族の心情を軽視するなら、裁判は機械が行えばいいと思います。

弁護人は9月25日の被告人質問の際、「鑑定医の結果をもって判断すればいい」と言いました。では、そのあとにある私たちの心情はどうなるのでしょうか。私たちは、これまでずっと黙って見守ってきました。被告人、弁護人の態度に深く傷つけられながらも、何も言わず、黙って見守ってきました。被害者をないがしろにしていいのでしょうか?私たちが黙っているからといって、何も感じてないと思わないでください。

どうか、想像してください。皆様の大切な方が、生きながら火にかけられ、苦しみ、息絶える姿を。ただ見送ることしかできなかった私たちの思いを。どうか、私たち被害者の、遺族の思いを忘れないでください。

――男性社員が涙で詰まりながら訴えるように話すと、傍聴席からも涙する声が聞こえた。

亡くなった娘が中3で書いた「未来の自分へ」

――続いて、24歳で犠牲となった女性社員の父親が、落ち着いた口調で自ら意見を述べ始めた。

奈落の底に突き落とされたような忌まわしい事件から、4年半が経ちました。片時も娘のことを考えなかったことはありません。この心境を表すのに最適な言葉は、「不条理」に尽きます。

娘が高校3年の時、「アニメーターになりたいから日芸に行きたいんだけど、普通の文系に行ったほうがいいかな」と相談してきたことがありました。私は、多くの若者が漫然と将来の希望を持たずに進路を決める中、やりたいことがあるのは素晴らしいことだと思い、「絶対に日芸に行ったほうがいいよ」とアドバイスしました。

娘の命が奪われてから、本当につらい日々を過ごしています。妻は毎月、娘の月命日になると、仏壇の前で涙に暮れています。ぽっかり空いた心の穴はいまだ埋められずにいます。娘の遺品の中に、中学3年のころに書いた「未来の自分へ」という手紙が見つかりました。それを娘の言葉として読みたいと思います。

(女性社員が中3の頃に書いた「未来の自分へ」)
「元気にしていますか。いじめられたりしていませんか。にこにこしていますか。絵は、描き続けていたら嬉しいです。自分が希望していた部活には入れましたか。高校には楽しく行っていますか。まじめに勉強していますか。」

「あまり遊びすぎず、英語の勉強頑張ってね。今を大事に生きてください。親にも、たまには優しくしてください。社会人の自分へ。もっと頑張ってね。頑張って働いて、精一杯生きてください。できれば、結婚してね。中3の時の夢は、「絵の仕事に就くこと」、「絵がもっとうまくなること」です。ちゃんと叶いましたか?」

私の手元には、持って逃げようと娘が最後まで握りしめた携帯があります。表示された時刻は、2019年7月18日午前10時34分です。それから時を刻まず、運命の時刻を今も表示しています。

事件当時、娘は3階で動画制作をしていました。突然下から煙と炎が上がってきて、煙と炎がすごくて下には逃げられず、よくわからないまま、遠のく意識の中で「なぜ今死なないといけないのか」という思いで亡くなったと思います。

被告人には極刑を望みます。36人の命を奪い、32人に重い傷害を負わせ、その家族を悲嘆の底に突き落としたことを、まるで他人事のように痛みを感じず語る被告人を、到底許すことはできません。どんな判決になっても、娘は戻ってくることはありません。しかし、正義は実現されなければなりません。それは、犯した罪に見合う判決を下すことです。

母親は、娘の遺体に頬ずりして子守唄を歌った

――この日、最後に意見を述べたのは、入社1年目で犠牲となった兼尾結実さんの母親だった。

あの日、事件のことを知り、結実が好きな庭のミニトマトをちぎってタッパーに入れて、保冷材で冷やしながら京都に向かったのは、まさかこんなことになるとは思っておらず、「結実が火事で怖い思いをして、ご飯を食べられなくなっているかもしれない。トマトなら食べられるかもしれない」と思ったからです。でも、トマトを結実に食べてもらえることはありませんでした。

1階のフロアで、結実がいた場所を聞くと犯人のすぐ近くにいたのだと思いました。警察の方から結実の足が欠損していて一部がないと聞いたとき、逃げられなかった状況が思い浮かびました。結実の遺品として受け取った腕時計は、結実のことをかわいがってくれていた弓道部の先輩から、京アニへの就職祝いでもらったものです。時計は、10時40分で止まっていました。

DNA鑑定の結果の連絡をもらったのは遅い時間だったので、結実に会うのは翌日になる予定でしたが、私が「どうしても、一刻も早く会いに行きたい」というと、結実が安置されている場所へ案内もらえ、ようやく会うことができました。私は結実を抱きしめて、「熱かったね。よく頑張ったね。助けてあげられなくてごめんね。代わりたい、代わりたい」とたくさん泣きました。

翌日、刑事さんから「遺体は見ないほうがいい」と言われましたが、私はどんな姿でも、結実の最後の姿を見届けると決めていましたので、遺体を引き取って、部屋に寝かせ、二人きりになった時に顔を見ました。会いたくて仕方なかった、かわいい結実がいました。

顔や口の端に、わずかに肌色が残っていて、口から見えた前歯の形で結実だとわかりました。「熱かったね」などと、色々話しました。結実に頬ずりをして、ほっぺにキスをしました。結実が生きていたら、「もう子供じゃないんだから」と嫌がったと思いますが、この時は許してくれたと思います。

そこで私は子守唄を歌いました。小さかった時、いつも寝かしつけるときに歌っていた子守歌です。息子の名前は伏せますが、子供のために私が作った歌です。

♪~ちいちゃくって、かわいくって、あたたかくって~
こんなたからもの ほかにいない、かわいい子どもたち~
結実ちゃんと、〇くんと、〇くん お母さんのたからもの~
大事なたからもの~

――子守唄が法廷に響き渡る。それを聞いてすすり泣く声が複数聞こえる。結実さんの母親は涙をこらえるようにして意見陳述を続けた。

結実はしっかり者でしたが、怖がりな一面もありました。いきなり勢いよくガソリンをかけられ、「死ね」と言われたとき、どんなに怖かっただろうかと思います。炎に包まれたときの体の苦痛、心の苦痛、全部取り払ってあげたいと思いました。

結実は22歳でした。大切に育ててきて、やっと社会に飛び立ったばかりでした。代われるものなら、代わりたい。自分自身なんかとは比べられないほど大切な存在です。息子にとっても、大好きなお姉ちゃんです。あの日の前に戻れたら、ああしてこうして…と、事件を防ぐためのシミュレーションをしてあれこれ考えてしまいます。1人で泣いたり、結実が好きだったおかずを並べたり、結実のことを考えない日はありません。

被告人には一番重い死刑を望みます。娘に「あなたの命は犯人の命より軽んじられることはなかったよ」と報告したいのです。こんな凄惨なやり方で殺された36人、その家族のことを考えたうえで、許されるものでしょうか。私は許せません。結実の前では、強くて優しい母でいたいと思いますが、この気持ちだけは、譲れません。どうか、厳正な判断をお願いします。以上です。

 ――この日、計8人の犠牲社員の遺族らの意見陳述が述べられた。次の審理でも遺族らの意見陳述が続き、さらに、事件の被害者らが直接意見を述べていく。