福島県の北部にある飯舘村(いいたてむら)は人口6,000人、農業と肉牛で村おこしに励み、四季折々の風景が美しい村だった。村の大部分は福島第一原発から30キロ以上離れていたが、2011年3月の原発事故では気象状況のために大量の放射性物質が雨と雪によって降下し、山や田畑、住宅を汚染した。事故発生当初、村民には放射能汚染についての情報がほとんど知らされず、1か月以上経ってから国は村を"計画的避難区域"に指定。人々は物事の判断を十分に行う暇もないまま全村避難させられ、故郷を奪われることになった。
この飯舘村に事故発生当初から入り、放射能汚染の測定を続けている科学者がいる。京大原子炉実験所の今中哲二さんだ。村内をまわって空間放射線量や土壌汚染のデータを測定し、広く一般に開示している。「飯舘村を汚染している放射性物質は、主にセシウム134(半減期2年)とセシウム137(半減期30年)。理論どおりに減衰してはいるが、汚染がほぼなくなるまでに、50年100年単位の時間がかかる」と今中さんは言う。原子力の専門家として、1986年にソ連で起きたチェルノブイリ原発事故を主に研究してきた。今中さんは福島とチェルノブイリを重ね合わせて、こう言う。「いったん原発事故が起きると、周囲20~30キロの地域・文化がまるごと失われるという点では、同じことが起きている・・・」
今年3月31日。飯舘村では避難指示が解除された(一部帰還困難地域を除く)。宅地や農地の大規模な除染の結果、年間の空間放射線量が20ミリシーベルトを下回るようになったというのが理由だが、山林の除染は手つかずで、村内には高線量が計測される"ホットスポット"が点在する。5月1日現在、村に戻ったのは259人。全人口の5%足らずで、ほとんどが高齢者だ。そんな村は、いま国からの交付金で財政は潤い(予算額は原発事故前の5倍)、道の駅や子ども園などの公共工事が急ピッチで進められている。原発事故での強制避難と解除を経験した村は、巨額の公費の下でどう再生を果たそうとしているのか、村民と科学者それぞれの視点から考える。
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