阪神・淡路大震災30年 守りたい、だから伝える 関西 民放NHK連携プロジェクト 地震を経験していないが“震災教育”を受けてきた世代。人々の記憶が薄らいでいくなか阪神大震災30年と向き合い伝え続ける意義を模索する。
清水麻椰
1995年12月20日神戸市生まれ。
1月17日、地震発生時、両親は長田区に住んでいて自宅が半壊。1月になると両親から地震の話を聞き育つ。
地震を経験していないが“震災教育”を受けてきた世代。
人々の記憶が薄らいでいくなか阪神大震災30年と向き合い伝え続ける意義を模索する。
2019年MBS入社。震災30年の特別番組やドキュメンタリー番組のナビゲーターとして「震災報道」に向き合う。
阪神・淡路大震災30年
-放送予定の番組-
1月15日(水) よる8:00
「刻み続ける1995年1月17日~あの日、現場で起きていたこと~」
「刻み続ける1995年1月17日~あの日、現場で起きていたこと~」
- 放送日時
- 1月15日(水) よる8時~10時
救助の最前線で何が?34人が命を落とした地すべり災害。現場で救助活動に従事した消防隊員を村上信五が取材。忘れられた震災障害者にも耳を傾けます。
出演者のハイヒール・モモコは当時第一子を妊娠中、田口壮は神戸市在住で被災、「がんばろうKOBE」の象徴的存在でした。村上は中学生、この時から防災意識が高くなり現在に至ります。
一方、地震を経験していない清水と中条。関西に生まれ育ち、震災のニュースを間近に見聞きしてきた“地震を知らない世代“として災害との向き合い方を考えます。30年経ったから明かせること、次に活かせることがあります。様々な角度からあの日と向き合います。
出演者
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村上信五
1982年高槻市生まれ
【1995年1月17日】
震災当時は13歳、中学1年生だった。防災への意識が高く防災リュックを常に自宅に置き、親しい人たちに渡すようにしている。
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清水麻椰
1995年神戸市生まれ
【1995年1月17日】
両親が住んでいた神戸市長田区の自宅が半壊。地震から11ヶ月後に生まれた清水に神戸復興の願いを込めて「摩耶山」から名前をつけられた。
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モモコ(ハイヒール)
1964年大阪市生まれ
【1995年1月17日】
当時京都で暮らしていて地震を経験。第一子妊娠中で95年6月に長男を出産。前マネージャーが長田区出身で自宅が全壊、歯ブラシなど生活必需品を避難所に届けた。
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田口壮
1969年生まれ西宮市で中学から大学まで暮らす。
【1995年1月17日】
オリックス入団4年目で神戸市内の自宅で被災。直後に聞いた地響きのような音が今も脳裏に焼き付いている。「がんばろうKOBE」の掛け声のもとチーム優勝に導いた立役者の一人。
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中条あやみ
1997年大阪市生まれ
【1995年1月17日】
地震から2年後に生まれる。普段から訪問先では非常口を必ずチェックするなどリスク管理しているが、この日を機にさらに防災意識を高めたい。
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団長安田(安田大サーカス)
1974年西宮市生まれ
【1995年1月17日】
成人式の祝いの席で2日前に会っていた親友が亡くなる。地震直後に友を探しに被災地に向かう写真が残されている。「お前芸人になれや」の友の言葉が芸人をめざすきっかけに。
1月8日(水) 深夜2:30
「阪神・淡路大震災 ドキュメンタリーで振り返る30年前と今」Episode1
「阪神・淡路大震災 ドキュメンタリーで振り返る30年前と今」
Episode1
「がれきの中の84歳」
- 放送日時
- 1月8日(水)深夜2:30~3:35
地震直後の神戸に入ったドキュメンタリー班の取材クルー。
刻一刻と変わる被災情報を伝えるのではなく、一つの場所に、人に密着し、1時間の番組を制作しました。
30年前の番組を一部リメイクし、当時取材した人たちをナビゲーターの清水麻椰が訪ね歩きました。
神戸市灘区の避難所で妻の名を呼び続ける男性に出会いました。
自宅が全壊し夫婦で避難生活をおくるも限界を感じ自宅の再建を決断します。
災害に立ち向かい必死に生きる高齢夫婦の生活再建への道のりです。
1月9日(木) 深夜2:40
「阪神・淡路大震災 ドキュメンタリーで振り返る30年前と今」Episode2
「阪神・淡路大震災 ドキュメンタリーで振り返る30年前と今」
Episode2
「仮の町から」
- 放送日時
- 1月9日(木) 深夜2:40~3:50
地震直後の神戸に入ったドキュメンタリー班の取材クルー。
刻一刻と変わる被災情報を伝えるのではなく、一つの場所に、人に密着し、1時間の番組を制作しました。
30年前の番組を一部リメイクし、当時取材した人たちをナビゲーターの清水麻椰が訪ね歩きました。
神戸市西区に完成した西神第七仮設住宅。一時1000世帯以上が暮らしました。地震で住まいを失い、縁もゆかりもない街で暮らし始めた人々の生活を静かに見つめています。コミュニティを作り少しでも快適に暮らせるように、奔走する人々の姿です。
1月15日(水) 深夜2:10
「阪神・淡路大震災 ドキュメンタリーで振り返る30年前と今」Episode3
「阪神・淡路大震災 ドキュメンタリーで振り返る30年前と今」
Episode3
「長田区菅原通3丁目の人々の場合」
- 放送日時
- 1月15日(水) 深夜2:10~3:20
地震直後の神戸に入ったドキュメンタリー班の取材クルー。
刻一刻と変わる被災情報を伝えるのではなく、一つの場所に、人に密着し、1時間の番組を制作しました。
30年前の番組を一部リメイクし、当時取材した人たちをナビゲーターの清水麻椰が訪ね歩きました。
神戸市長田区の菅原通。地震直後に大規模な火災が発生し、大勢の人が亡くなりました。番組班は菅原通に入り地震から1週間後、半年後、1年後に、この街の人々の暮らしと再建の道のりを放送しました。30年が経った今も残る店はほんのわずか。当時と今の菅原通をお伝えします。
1月17日(金) あさ4:05
「阪神・淡路大震災 ドキュメンタリーで振り返る30年前と今」Episode4
「阪神・淡路大震災 ドキュメンタリーで振り返る30年前と今」
Episode4
「あの日、あの場所、あの人と」
- 放送日時
- 1月17日(金) あさ4:05~5:20
地震直後の神戸に入ったドキュメンタリー班の取材クルー。
刻一刻と変わる被災情報を伝えるのではなく、一つの場所に、人に密着し、1時間の番組を制作しました。
30年前の番組を一部リメイクし、当時取材した人たちをナビゲーターの清水麻椰が訪ね歩きました。
地震から20年を迎えた2015年、カメラマンを中心に、地震直後に被災地で出会った人々を訪ね歩き話を聞き“それぞれの震災”を語ってもらいました。20年、30年という区切りは関係ないという人もいます。けれど節目だからこそ伝え続けて新たに人々の記憶に残して刻むこともメディアのひとつの役割と考え、10年前の番組をほぼ当時のまま放送します。
1月26日(日) あさ5:00
映像'25「神戸生まれ、震災を知らない~30年前の報道と今~」
映像'25
「神戸生まれ、震災を知らない~30年前の報道と今~」
- 放送日時
- 1月26日(日) あさ5:00~5:45
地震から11ヶ月後に神戸に生まれたMBSアナウンサーの清水麻椰。両親が当時住んでいた自宅は半壊。清水の名前は神戸の摩耶山からつけられた。復興の願いを込めて。
震災教育を受けながら地震は経験していない世代で災害報道に携わったこともない。
当時の記者やカメラマンに話を聞き、被災した人々、大学生の息子を亡くした女性に話を聞き、伝える仕事の意味を問う。
1月14日(火)~17日(金)
午後3:40
よんチャンTV
よんチャンTV
- 放送日時
- 1月14日(火)~1月17日(金) 午後3:40~よる7:00
「よんチャンTV」では1月14日~17日の4日間、今後の災害に備え阪神淡路大震災から私たちが学ぶべき教訓をテーマとして、「インフラの整備」、「地域リスクの把握」「暮らし再建の課題」、「被災者へのケア」など様々な観点から特集をお伝えします。