食知新ブログ
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BLOGうつわ知新
2022.03.31
伊万里焼と古九谷焼7
7回目となる最終回は、柿右衛門様式と鍋島様式について解説いただきます。「伊万里焼と古九谷焼」の物語をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。伊万里焼と古九谷焼7さて、前回は古九谷が辿った顛末についてお話しましたので、今月は、柿右衛門と鍋島についてお話したいと思います。まずは柿右衛門からお話しを始めましょう。 古九谷様式の後、1670年代に確立したのが柿右衛門様式です。柿右衛門様式とは、古九谷様式で培った技術を基に、特に西欧への輸出を意識して製作に力を入れた、極上の焼物です。 柿右衛門様式が西洋への販売に漕ぎ出した原因は、1644年の明国の滅亡にあります。 明国の滅亡後、満州族が清国を建国し、国の監督下で統制できなくなっていた中国陶磁器の生産・輸出を停止させる政策がとられます。するとその代わりの需要に応えるため、伊万里が世界中から注目されるようになるのです。 伊万里は日本国内においても中国陶磁器の代替役として注目されながら、さらに日本人好みの意匠を追い求めた結果、古九谷様式を発展させたわけですが、市場規模を世界に広げた結果、さらに繊細で高級感漂う柿右衛門様式の焼物を誕生させることになったのです。 1650年から伊万里との取引を始めたオランダは、従来の中国製陶磁器をはるかに超える、品格ある柿右衛門様式の登場に驚いたことでしょう。高い意匠、余白を生かした上品な構図、そして柿右衛門最大の魅力と言ってよい「濁し手」と呼ばれる際立った乳白色の素地は、17世紀後半に欧州で大流行したシノワズリと呼ばれる東洋趣味の大流行の中、欧州の貴族たちをその虜にします。 当時、磁器を焼く技術のなかった欧州の貴族たちは、柿右衛門を争って買い求めると同時に、その白い黄金とも言える宝を、自らの手で生産しようと財力を注ぎ込むのです。そうしてついに1710年にマイセンが磁器の焼成に成功し、やがてマイセンで柿右衛門の写しが盛んに焼かれるようになっていきます。 しかし、それより早く中国の清朝は1684年に陶磁器の輸出を再開し、価格や生産量で勝る中国製陶磁器は瞬く間に柿右衛門の市場を奪い始めるのです。 そうして、販路の軸足を輸出に置いていた柿右衛門の絶頂期は終わりを迎えます。やがて柿右衛門様式は姿を消してしまうのですが、その時期を明確に記した資料はなく、曖昧に「江戸後期」として語られているようです。しかし、残されている作品の数の少なさから考えると、もっと早期に生産は止めっていたように私は感じています。【藍柿右衛門手 裏表】 今回残念ながら、象徴的な柿右衛門である濁手(にごしで)を所有していないためご紹介が出来ません。柿右衛門様式には濁手(にごしで)・錦手(にしきで)・藍柿右衛門(あいかきえもん)があり、濁手は透明感のない柔らかな乳白色をした色絵磁器です。 錦手も藍柿右衛門は厳選された白い胎土が用いられ、やや青味がかった透明釉が掛けられた磁器です。錦手は濁手同様の色絵磁器で、藍柿右衛門は染付磁器です。染付磁器しか生産していなかった伊万里に赤い色をもたらしたのが初代柿右衛門だとも言われ、この赤い色を引き立たせるために、白い胎土や美しい釉薬の研究が進んだのだと思われます。 それ故、写真の染付は藍の発色も美しく、その濃淡だけで豊かな表現を実現させています。高台内に残ったトチン跡も極めて小さくし、目立たないよう配慮がされています。また現代の柿右衛門にも記されている「渦福(うずふく)」が残されています。ただしこの「渦福」柿右衛門だけの窯印だと言うことは出来ませんので、ご注意ください。 ともかく、この美しい肌合いから、柿右衛門様式や鍋島様式が細心の注意を払って焼かれたかを窺い知ることが出来ます。 先の柿右衛門様式とは逆に、伊万里の窯を運営する鍋島藩が、国内向け献上品として、特に徳川将軍家を意識した極上の焼物として誕生させたのが、鍋島様式です。極上の焼物を生産するために近辺から特に腕の立つ職人を集めて、技術が漏洩しないように厳格に管理して完成させた焼物は、元禄年間(1688年~1704年)にその絶頂期を迎えましたが、その栄華は長くは続かなかったようです。 鍋島焼の特徴としては、柿右衛門に見られた「濁し手」の白とは異なり、ほんのり青味がかった地肌、そして櫛目模様の施された高い高台などが挙げられるでしょう。染付の絵付けに加え、赤・青・緑の上釉で精緻な模様に仕上げられた色鍋島を主力に、青みがかった地肌や、くし高台、裏文様に特徴があります。また、染付の濃淡だけを駆使して、かくも美しい焼物が作れるのかというほどの藍鍋島や、他の青磁とは一括りにしたくないほど澄んだ青翠色の鍋島青磁があります。 これほどの焼物を生み出しておきながらも、絶頂期が短く生産量が少なかった理由は何だったのでしょうか。それは芸術的な焼物を誕生させた成功とは裏腹の経営的な失敗だったのではないかと私は考えています。 販売でなく、献上することを目的として、上質な品を少量生産していたのでは運営は当然厳しくなるでしょう。逆に大量に生産したのでは献上品としての希少性を失ってしまうジレンマがあったのでしょう。 鍋島様式は一旦活動を停止し、1700年代の後半になってまた少し生産を再開するものの、初期のような緊張感のある作品ではなくなってしまいました。初期のものは現存数も限られていて、現代においても大変高価な焼物です。 私は柿右衛門様式と鍋島様式の衰退理由を歌謡曲の世界と同じだと思います。歌唱力の高い歌手が一番の売れっ子になるのではなく、むしろ歌唱力と個性が絶妙に折り合った歌手に人気が集まる。乱れなく美しい焼物が一番に好まれるとは限らないのですね。【伊万里八角大鉢】 古伊万里様式のうつわをお見せしたかったのですが、これも元禄年間(1688年~1704年)を中心に焼かれた、絶頂期の品質の伊万里を指すため、気安く手に入れることが出来ません。写真の大鉢は半世紀近く後の時代の伊万里ですが、町人の富裕層が客をもてなすため用いた、目出度い意匠や豪華さを引き継いだ風情が古伊万里様式に似ていたので、参考までにご紹介しました。 祝いの宴のために注文されたようなおめでた尽くしの意匠に金彩を施し、裏面にも花の絵を描き、高台内も小さく目立たないサイズのトチンを使って上手のうつわであることが窺えます。サイズも数物としては大変希少な一尺弱(約30㎝)の大鉢です。 戦に明け暮れた戦国の世から、江戸時代の太平の世を迎え、文化芸術への関心が高まり、その円熟期とも言われる元禄年間へと時代は向かって行きます。 伊万里も発展し、主に輸出を目指した柿右衛門様式、将軍家や諸侯への献上品としてのこだわりを見せた鍋島様式、そして、富裕町人層向けの艶やかさを追求した古伊万里様式と言うように、顧客に合わせた製品の展開を行いながら、最高品質の伊万里が焼かれたとされる元禄年間を迎えるのです。 ところが、絶頂の陰では、欧州でのマイセン窯の始動や、清朝陶磁器の躍進が始まり、伊万里を取り巻く環境は決して長く安泰していたとは言えなかったようです。福岡の黒田藩の御用商人の伊藤小左衛門の記録によれば、元禄期には伊万里の海外への貿易は減少に転じ、国内の販売先を開拓して全国に伊万里を販売するようになったとあります。 そうは言っても、国内において徳川幕府の財政は開幕以来、常に倹約令を出すほどで、江戸時代を通して決して経済的な余裕はありませんでした。それでも元禄年間に文化芸術の花が咲くような経済的なバブル期が発生したのは、貨幣の改鋳によるものと考えられます。金の含有率を下げた貨幣鋳造を行い、貨幣の流通量を増やすことで景気を刺激する政策が功を奏したわけです。一時的に紙幣を刷りまくって景気回復を狙うようなものですね。 そんなバブル景気の恩恵もあって、元禄期の富裕町人層に向けて生産された古伊万里様式も頂点を極めた後、他の様式同様にその品質に陰りが見え始めます。しかし、陰りと言っても伊万里の商業的な価値が無くなってしまったわけではなく、販売戦略が変わっていったと言う方が良いかもしれません。具体的には、権力者や数寄者たちの厳しい注文に応える富裕層を相手にする路線から、一般大衆にも受け入れられる商品展開へ移行したと言うことです。 それは、顧客の個別の要望に応えて生産するオーダーメイド方式ではなく、伊万里の生産者側で企画したうつわの見本や見本帳の中から選んでもらうカタログ販売的な商法への転換があったようなのです。現代では当たり前の販売方法ですが、当時としては、顧客は楽に注文でき、生産者は同一の定番商品を大量に生産して効率よく販売できる画期的な販売スタイルだったことでしょう。 つまり「安かろう、悪かろう」とか「安物買いの銭失い」などと言って粗悪品を生産して儲けようとしたのではなく、受注と生産現場の効率化を図ることで産業としての拡大を図ったのが元禄時代以降の伊万里なのです。 しかしそれは、茶道具やうつわをこの世に唯一のものとして愛蔵してきた数寄者や茶人の考え方とは真逆の方向でした。このことが、伊万里が茶の湯では使われなくなった決定的な原因だと考えています。伊万里は茶の湯に用いる懐石のうつわではなく、宴を伴う会席のうつわになっていったのです。【量産された伊万里】 元禄期以降の伊万里は、受注・生産・運搬のどの面においても、よほど効率化された体制を築いたのでしょう。驚くほど多種多様のうつわを全国に販売しています。ただ上の蓋茶碗の写真に見られるように、サイズや形状は同じで、絵付けだけを変化させているような、よく考えた効率化をしているようです。 積み上げてきた伊万里の高い品質や芸術性より、生産性や経営的な成功に重きを置いた方向への転換を残念に思う方も多くおられることでしょうが、1835年の記録では、伊万里港からの出荷数は、焼物を俵に梱包した状態で、年間31万俵が出荷された記録が残されています。仮に一俵に100客のうつわが入っていたとしたら、3100万客の伊万里が出荷されたことになります。 つまり商売の方針を変更することにより、膨大な注文を獲得して、日本で最も多く存在する焼物として伊万里の地位を築いたのかもしれません。これを成功と言わずしてなんと言えばよいのでしょう。 以前、英国から来られたお客様をお相手したときに「日本に来てまで伊万里を買う必要はないから、他の美術品を紹介してください」と言われたことがあります。それくらい世界の美術愛好家たちにも「IMARI」の名は広く知られていますし、欧州でも容易に目にすることができるうつわだと言うことなのです。 現在でも伊万里は生産された地区によって有田焼・三河内焼・波佐美焼と呼び名を変えて存続し、国内だけでなく海外へも広く輸出されています。 私は以前まで、1700年前後の元禄時代を中心に栄華を誇った伊万里焼とその文化は、その後すっかり大衆化し、衰退してしまったイメージを持っていました。でもそれは誤解で、伊万里は茶の湯以外の部分で日本人に高いうつわ文化をもたらし、その生産・運搬・販売など様々な関りを持った人々を400年に渡って養ってきたのです。これは窯業界で世界一の偉業と言ってもよいのではないでしょうか。 400年に亘って作り続けられた新旧の伊万里が、いまも世界のどこかで取引され、美術業界や食文化を支えているのです。それって、すごい驚きだと思いませんか。 2019年の秋からこのうつわ知新の連載を始め、ちょうど2年半が過ぎました。易しく読みやすい内容を心がけながらも、同時に知っている情報は出来るだけ出し惜しみせずお話したいと言う気持ちも抑えきれず、気楽な読物とは正反対の内容になってしまいました。いまさらながら、反省しなければならないと思っています。 ところが、最近ネットを使って調べごとをしていると、かなり頻繁に私が書き残した文章に出くわすようになってきました。同じように、きっと多くの方も私の記事を目にして、日々いくらかずつでも人々の参考になっているかも知れないと感じています。 確かに私の店を訪れる人々から、「記事を読んで訪ねて来ました」と言う声を聞くようにもなりました。 2年半ではありましたが、投稿した記事はいまの私の知識をもって、しっかり書ききっています。 それでも、まだまだと先輩諸氏からはお叱りをうけるかも知れませんが、うつわについての知識が必要なとき、さらに深く確かなご要望にお応えできるようこの後も精進してまいります。 お読みいただきました皆様に感謝申し上げます。2022年初春 梶 古美術梶 高明
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BLOG京のとろみ
2022.03.31
「一和」のあぶり餅
今宮神社の東門参道(旧参道)に向かい合わせで2軒あるあぶり餅の茶店。東門を出て左側にあるのが「一和」、右側が「かざりや」。一和の正式名称は「一文字屋和輔」で創業は長保2年(西暦1000年)平安時代から1000年以上続く日本最古の和菓子屋である。あぶり餅とは小さくちぎった餅をゴザの上できな粉をまぶし、竹串に刺して炭火で焼き上げ白味噌のタレをかけたもの。白味噌は京都の本田味噌の特上西京白味噌を使用し、ほどよい甘さとわずかな塩味でいくらでも食べられる。炭火で焼いた餅の焦げととろみのある白味噌の甘味のバランスがいい。今宮神社に奉納された斎串を使った竹串を使用してるので、疫病除け、無病息災のご利益も期待できる。ちなみに向かい側の「かざりや」さんも400年以上の歴史があるあぶり餅の専門店。2軒をはしごして食べ比べるのも楽しい。
ハリー中西
料理カメラマン
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BLOG京都美酒知新
2022.03.23
カクテルが飲みたくなる話「X・Y・Z」
■西田稔(にしだみのる) 京都木屋町二条「Bar K6」、「cave de K」、「keller」のマスターバーテンダー。2020年開業の「ザ・ホテル青龍 京都清水」内の「Bar K36」を監修。自らもカウンターに立つ。京都生まれ、同志社大学卒業後、東京のバーで経験を積み、1994年に「Bar K6」を開業した。シャンパーニュの将校、グラッパの騎士、クリュッグアンバサダー、ウイスキーコンテスト審査員X・Y・Zカクテル言葉「永遠にあなたのもの」このカクテルの名前の由来は、正確には不明だといわれています。XYZがアルファベットの最後であることから、「これ以上良いものはない究極のカクテル」、「これ以上のものは作れない」という意味合いがこめられているとか。レモンやオレンジなど柑橘系のジュースを使うこともあって、すっきりした飲み口。ほんのりとした甘みもあって、女性にも好まれます。ただし、アルコール度数は25%以上とかなり強めなので、飲み過ぎにはご注意を。今回は、ダークラムをフロートさせ、ニュアンスのある色目に仕上げました。ほかにも「もう後がない」、「最後の」といった意味や、「今夜はこれで終わり」という想いを込め、寝酒にするといいとも言われています。1年半に亘って連載させていただいた「美酒知新」も、このカクテルで一旦お別れ。ただし、このページはいつでもご覧いただけます。カクテル言葉と同じく「永遠にあなたのもの」というところでしょうか。では、またお会いできる日を楽しみにしております。カクテルレシピホワイトラム 40mlコワントロー 15mlレモンジュース15mlオレンジジュース 1tspダークラム フロート4月のウイスキーマッカラン12年イギリスの高級百貨店「ハロッズ」がつくったウイスキー読本では、このウイスキーを「シングルモルトのロールスロイス」と評価しています。それほどの格式と上質さがこのウイスキーにはあるということです。マッカラン独自の製法によるシェリー樽で、最低12年熟成させたシングルモルト。ウイスキーを初めて飲む方にも適したスタンダードな銘柄です。バニラやドライフルーツなど、ほんのりとした甘味に加え、ジンジャーのスパイシーなアロマが香ります。フィニッシュにはスモーキーな味わい、口に広がる濃厚さとエレガンスさのバランスが絶妙です。華やかで贅沢な味わいを堪能できます。まずはストレートで、強いなと思ったら、少しのお水で割ったり、氷を加えたりと、いろいろに楽しめるのも特徴でしょう。■Bar K6京都市中京区木屋町二条東入ル ヴァルズビル2F075-255-5009撮影:ハリー中西
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BLOG割烹知新〜奇想の一皿〜
2022.03.23
おが和「貧乏人のホワイトアスパラガス」
おが和「貧乏人のホワイトアスパラガス」幼い頃から料理が好きで「(一生懸命作っても)食べ終えると消えてしまい、記憶にしか残らないところ」に面白さを感じていた若き日の小川さん。料理学校を卒業後、名門『京都 吉兆』で鍛えられ、25歳の時「この人に教えを請いたい」との思いを胸に『祇園 さゝ木』へ。日本料理界をリードする佐々木浩氏のもと、新たな知見や技術を身に付け、2010年に独立を果たします。以来10余年にわたり着実にファンを増やしてきた小川さんですが、2022年1月、これまでの集大成ともいえる新たな店舗を立ち上げました。しっかりと先を見据え、ますます円熟味を増す注目の料理人に、師匠・佐々木浩氏からスタートした連載のトリを飾っていただきます。発想秘話今日は「貧乏人のホワイトアスパラガス」を作ります。皆さんよくご存じの「貧乏人のパスタ」と呼ばれるイタリア料理から着想を得たものです。「貧乏人のパスタ」はオリーブオイルと卵、にんにくで作るシンプルなパスタですが、これから作るお料理も卵とオイルの使い方がポイントになります。実は和食で油を使うシーンって意外と少ないんです。唯一、揚げ物をする時ぐらいでしょうか。でも僕は「油を使いたいな」と思う料理が結構あって......。そこで和食にも使える自前のオイルを作ってしまいました。和食として違和感がなく、素材の味をより引き立てる。「オイルを使いながら、和の一品に落とし込む」という、難しい課題を攻略するための秘密兵器といえるものです。今回はこの油を使い、今が旬のホワイトアスパラガスを「質素なご馳走」に変えていこうと思います。主な材料は国産のホワイトアスパラガス、卵、自家製のオイル。あとは調味料を少々。工程も少なく、あっという間にできてしまいます。ホワイトアスパラは佐賀県産のもの。甘みは香川県産のほうが強いのですが、僕は甘さが少なく、ほろ苦みのある佐賀県産をよく使います。というのも、ホワイトアスパラのおいしさって、春野菜特有の「ほろ苦さ」にあると思うからです。まずはアスパラガスを専用の鍋で茹でます。この鍋はイタリアで買いました、と言いたいところですが、残念ながらイタリアでは見つけられませんでした。この鍋の存在を知って以来、いつか手に入れたいと思っていたのに、かの地の厨房機器店では「そんな鍋はない」と言われてしまって......。結局、アマゾンで見つけてアメリカから取り寄せました(笑)。下の固い部分も無駄にせず、細かく刻んで茹で汁に加えます。そこに塩、少量のレモンを加え、アスパラガスを茹でていきます。イタリアの厨房を紹介するテレビ番組を見た際に、こういうレモンの使い方があることを知ったのですが、のちに知り合いのシェフからも「アスパラを茹でる時にはレモンを使う」と聞きました。レモンの酸味にはアスパラガスの自然な甘さを引き立てる効果があるようです。アスパラガスを立てたまま蓋をして茹でることで、「茹で汁に浸かった下の部分」と「蒸気で蒸される上の部分」が異なる食感に仕上がります。上のほうにはちゃんと「こりっ」とした食感が残るんですね。この鍋を使うたびに「ヨーロッパの人って本当にホワイトアスパラガスが好きなんだなぁ」と、感心してしまいます。次に自家製のオイルを使って目玉焼きを作ります。この色ですか? これは昆布の色です。ある方法で太白の胡麻油に昆布の香りやうまみを移したものですが、作り方は内緒です(笑)。これで和風のパスタを作るとめちゃくちゃおいしくなるんですよ。カラスミとこのオイルで和えた冷たい素麺なんて絶品です。昆布のオイルを使い始めて「オイルを使う和食の提案」ができるようになり、料理の幅が広がりました。熱したフライパンに昆布オイルを入れ、卵を割り入れます。僕はカリカリの目玉焼きが好きなので、最初から強火で一気に焼きます。焼きあがる直前に霧吹きを使って醤油をスプレーし、醤油の風味を付けます。白身の裏側はカリカリに焼き、黄身はまだ生っぽさが残った状態で火を止めます。できあがった目玉焼きに、別途作っておいた温玉と昆布オイルを混ぜ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜます。本当は茹でたホワイトアスパラに目玉焼きを乗せ、ナイフとフォークで玉子を潰しながら食べて欲しいのですが、お箸でそれをするのは大変なので「ならば卵のソースをあらかじめ作っておけばいいんじゃないか」と思ったのが、発想の原点なんです。マヨネーズを作るイメージで、玉子とオイルをよく混ぜ合わせます。目玉焼きだけでなく温玉を加えるのは、白身のとろりとした感じを出したいから。ここで味を調えるために塩を少々。全体をよく混ぜ合わせ、ホワイトアスパラにしっかり絡むよう、とろとろのテクスチャーに仕上げます。大皿にホワイトアスパラを盛り、玉子のソースをかけます。醤油で軽く和えた削りたてのかつおぶしを乗せ、仕上げに昆布オイルを垂らしたら完成です。盛り付けたのは、京都の丹後に窯を構える陶芸家・前野直史さんのスリップウェア。ホワイトアスパラのごりっとしたおいしさが楽しめる豪快な一皿です。玉子にチーズを混ぜたり、かつお節の代わりに白トリュフを散らしてもおいしいと思いますが、そこまでいくと何料理か分からなくなる。和食料理人としては、このあたりが落としどころと考えました。和の食材だけで作った和食版「貧乏人のホワイトアスパラガス」。ホワイトアスパラに玉子をしっかり絡めて召し上がってください。思い返すと、2010年に自分の店を持った直後は「なにか新しいことをやらなくちゃいけない」と気負い過ぎていました。でも気持ちばかりが空回りして、おもしろいことなんて全然できなかったんです。そこで一旦頭を切り替え、逆に余計なものをどんどん削ぎ落していきました。お客さんの言葉に耳を傾け、素直においしさを追求していくうちに、次第にお客さんが増えていったんです。もちろん和食以外の手法を取り入れたり、フレンチやイタリアンからヒントをもらうこともあります。でも今はどちらかというと、伝統的な日本料理が気になりますね。「これは古い仕事だな」と思うものでも、お客様は「あー、おいしい」と素直に喜んでくださる。そういうクラシックな料理が途絶えないよう、次の世代にもしっかり伝えていきたいですね。独立して10年目にコロナ禍が始まりました。祇園にちょっと長く居すぎたかなという思いもあり、少し前から移転先を探し始めていたのですが、ちょうどそのタイミングでおやっさん(佐々木浩氏)から「今がチャンスやで」と耳打ちされたんです。バシッとした和食の店を作って、応援してくれるお客さんに恩返しをしなさい、と。ほどなく希望通りの土地が見つかり、2022年1月から西洞院三条の新店舗で営業を始めました。あまり大きくなく、僕が料理を作る様子をカウンター越しに見ていただける店にしたかったので、キッチンはオープンな造りにしました。仕込みに時間をかけるのではなく、そのとき僕が作りたいと感じる料理を目の前で作り、すぐさま召し上がっていただく。既製品を使わず、できたてにこだわった『おが和』の料理を、五感のすべてで楽しんでいただければと思います。写真:鈴木誠一 取材・文:鈴木敦子■おが和京都市中京区姉西洞院町515075-211-600512:00~14:30、18:00~22:00日曜休
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BLOG京の会長&社長めし
2022.03.22
株式会社実業広告社の社長が通う店「ほんわか」
■馬場 俊光(ばば としみつ)さん株式会社実業広告社 代表取締役京都市交通広告協同組合 理事長1974年生 京都府出身 慶應義塾大学商学部卒昭和23年3月設立。交通広告を中心にテレビ・ラジオ・新聞・雑誌・WEBなどのメディアを通じて、クライアントのニーズに幅広く応えていますプライベートで行くなら気楽な店が好み。最後の晩餐は、すき焼きと白飯。自慢の焼き鳥をはじめ、大将の愛情たっぷりの料理と酒で憩う、地元民のオアシス阪急桂駅西口ロータリー前に立つビル1階に、居酒屋「ほんわか」がある。賑やかな東口と比べ、西口周辺は店舗数が少なく入れ替わりも激しいそうだが、ここはそんな中にあって、地元で長く愛され続けている一軒。馬場さんにとっても、親子で通った馴染みの店である。「今はコロナで少し足が遠のいていますが、月一ぐらいは行っています。常連だった父に連れられて行き始め、10年以上は経つと思います。焼き鳥が売りなんですが、ほかにもいろいろメニューがあってどれも美味しいし、誰でも連れていけるような店です。大将は若干強面ですけど、話しだすと気さくで感じがいい。大将との会話も楽しみたいので、カウンターに座ることが多いですね」(馬場さん)店主の中川悦男さんは言う。「もう亡くなられましたが、馬場社長の父上には、長年にわたって可愛がってもらい、相当お世話になりました。家族でお食事に来ていただいたりしているうちに、息子さんも一人で来ていただくようになって。馬場社長はご友人と3~4人で来られる時もよくありますね。豪快にお酒を飲んで、食べて帰っていただいています。すごく豪快な方なんで(笑)」15歳から飲食の世界に入った中川さんは、祇園の炉端焼き店やちゃんこ料理店での修業を経て、28年前に桂でカウンターの店をオープン。その5年後に場所をかえてこの店を始めたという。実家が元鶏肉店だったことから、焼き鳥をメインにおばんざいからカレーまで工夫を凝らした多彩な居酒屋料理を揃える。今は残念ながらコロナ禍で入荷がストップしているが、丹後の伊根町から届く天然魚にも定評がある。ここでは定番の焼き鳥以外はメニュー内容もその時々で変わる。根っからの料理好きで研究熱心、常に新しいメニュー作りを考えているという中川さん。そのあくなき探求心で、粉の配合に苦心したという北海道風唐揚げのザンギ、「最近のヒット作」自家製の餃子や焼売など、オリジナルの味を次々登場させている。アイデアマンの中川さんの料理を象徴するのが、名物の焼き鳥。関東のウナギの製法をヒントに7年ほど前に考案した方法で、鶏肉を蒸してから炭火で焼き上げる。そうすることで、肉の余計な脂が落とされるという。「水分が抜けないんでふんわり焼きあがり、うま味も逃げません」と、中川さん。「とりあえずお造りを食べて、そこからシーザーサラダとかアボカド、だし巻きなどを。で、〆に焼き鳥をつまみます」と、馬場さん。いつも酒のアテとして料理を楽しんでいるという。「いいだしが利いています」と、馬場さんお薦めのだし巻きは、たっぷりとだしを含み、シンプルに美味しい。本来のメニューにはないが、事前に予約すれば用意してもらえる。「うちはお馴染さんが多いんで、メニューの提供もフレキシブル。そうめんゆがいてといわはる人もあれば、焼きめし作れといわはる人もあるし、お客さんのオーダーに応じて作っている感じ」と、中川さん。身がふっくら柔らかく、ジューシーな自慢の焼き鳥は、大振りでボリューム満点。各種2本以上から注文できる。盛り合わせは5本入り780円と10本入り1560円。手前左は大人気のモモ。下味をつけた肉を巻いて一度蒸してから串を打って焼いている。黒糖やチョコレートを隠し味にしたコクのある特製タレがよく合う。「ザ・居酒屋」な内装の店内には、昔の広告ポスターなどが貼られ、どこかノスタルジックな風情を感じさせる。「初めてのお客さんでも『なんか昔から来ている気がするわ』て、皆言われます。あまりにも普通過ぎるからかなあ。でも普通でいいんですよ。誰でも好きなように入ってこれる店がいいんじゃないですかね」(中川さん)また馬場さんのように親子二代で通う常連客も少なくない。「子供の頃から来ていて、もう酒飲める歳になったんか、っていう人もたくさんいはります。子供さんにオムライスやらパスタやらメニューにないものを作ったりしていたのが良かったのかな。大人になっても『おっちゃんの作るオムライス、最高やわぁ』いうて食べて帰らはります」(中川さん)親子でよく一緒に飲んだという馬場さん。「ここは焼酎のボトルキープができるんです。親父も結構酒飲みだったので、二人でボトル一本ぐらいはすぐあけていましたね」と振り返る。写真は店で馬場さんのキープボトルに使われているキーホルダー。実はお父さんのボトルで使っていたものがそのまま引き継がれている。日本酒は全国各地から料理に合う地酒を揃えている。「店の造りも昔と全然変わらず、アットホームな感じ。隠れ家的で地元の人しか行かないようなところも、気楽でいいんですよ」と、馬場さん。訪れるのは自営業などの地元の常連客が大半という「ほんわか」。仕事終わりに遅がけの食事をしにきたり、会食のあとの一杯を楽しんだりする人も少なくないという。ハレの日に使う特別な店ではないが、こんな行きつけの店が地元にあるのは、幸せなことなのではないだろうか。弟子も独立し、今は一人で厨房に立つ中川さんだが、まだまだ料理人としての意欲は衰え知らずだ。「やめる気は全然ないですね。体が動くんやったら80でも90でも店はしたいと思ってます」予算は食べて飲んで3000円~3500円。撮影 エディ・オオムラ 文 山本真由美■ほんわか京都市西京区川島有栖川町桂西口駅前ビル1F075-394-7878営業時間 17時~24時定休日 火曜※営業時間は状況により変更の場合あり。HPで要確認http://www.izakaya-honwaka.com/
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BLOG料理人がオフに通う店
2022.03.21
「イタリア料理 casa bianca」-「京料理・天ぷら 天㐂」の石川輝宗さんが通う店
推薦者の石川輝宗さん歴史ある西陣にて昭和8年創業の「京料理・天ぷら 天㐂」。三代目を継ぐ石川輝宗(てるむね)さんの祖父が、当時まだ他にはなかった「天ぷら会席」を日本で初めて発案。その後、石川さんの父(二代目主人、輝夫さん)が、表千家の直門になったことをきっかけに、数多くのお茶人の方との知己を得ることができ、その名を全国に広めた。 現在では敷地内には茶室を造り、数多くの茶会を催し、お茶人たちに愛される名店ともなっている。お茶の心を、おもてなしの根幹において、しかしながら敷居を低く、片肘張らず、くつろいで料理を楽しんでもらえる店にと言う思いは、この店の根幹であり、一筋に貫かれている。 「天ぷらは素材ありき」と姿勢のもと、鷹峯の提携農家の野菜、明石や山陰の漁場から直接仕入れる旬魚、米も低農薬栽培で育てたものを厳選。冬場の王様、柴山の蟹はなんと漁船を指定して、直接仕入れている。代々受け継がれる伝統の味、天ぷらを基本に、中華や洋食の要素を和と融合させた創作料理など、緩急を巧みに取り混ぜた味の数々は、遠く海外までファンを持つ。「とにかく何を頼んでも美味しくて、家族ともよく行かせていただいていますが、一人で仕事帰りにふらりと立ち寄ることも...(笑)。ワインとアラカルトの料理をよく楽しんでいますね。コースもありますが、おすすめはやはりアラカルトです。定番の料理はもちろん、季節ごとのスペシャリテもどんな料理がメニューに登場するのか、いつもワクワクします。洗練されたもてなしも心地よいですし、それでいて気を張ることなく、アットホームな雰囲気でほっと寛げる大切な一軒です」ヨーロッパの古い小さな教会を思わせる心地よい店内。 京都御所のすぐ東。今出川通から少し奥まったところに白壁が明るく映える一軒のレストランがある。オーナーシェフの那須 昇さんが、ピエモンテ州を中心に北イタリアで4年半修行し、1995年、生まれ育った御所近くに開いたリストランテだ。 京都でも、いや全国的にも、リストランテという言葉がまだ定着していなかった頃のことである。まさしく、この店はイタリア料理文化の草分け的存在といえる。「ちょうど阪神大震災のあった年にスタートでした。関西はどうなるのか?という不安の中でのスタートでしたが、生まれ育った地元に助けられました。昔の友人、知人がこぞって訪ねてきてくれて、お客さんを連れてきてくれたり、人に紹介したり、口コミでも広げてくれて、本当に感謝しています」地元の利ということだけでは、もちろんないだろう。やはりそこには、力あるシェフが作る、力ある美味なる味があったからだ。だから評判が評判を呼び、人が人を呼んで、瞬く間に京都にこの店あり!という存在になれたのだろう。 那須さんはイタリアの本場で学んだ調理法をきちんと守り、いわゆる"日本人向け"の味ではなく、現地の味わいをそのまま伝えたい、という強い思いを持って店を開いたという。以来、その思いを一貫して持ち続けている。「調理法はイタリアの技法をしっかりと受け継ぎながら、素材は地元で手に入る新鮮なものを使って、この店の味に仕立てていく、それが私のやり方です。その時々の、旬の一番美味しい魚介や野菜を吟味して、大切に丁寧に現地で身に付けたやり方で料理すること。それだけなんですが、とにかくイタリア人のお客様がうちの店に来られて、本当に美味しい!と言ってもらうのが何より嬉しいんです。その味を日本の方にも提供して、イタリアンの味を心ゆくまで楽しんでいただきたいと思っています」こんな小部屋もなかなか素敵だ。カップルや家族に人気の席だという。 そしてもう一つ、那須さんが大切にしているのは、地元の人たちとの関係だ。オープン時に、様々に店を引き立てて協力してくれた地元の人たちに長く愛される店になること。それが感謝をあらわす唯一の方法だったという。 そんなシェフの思いは、ぶ厚いメニューにぎっしりと詰まっている。ランチとディナーのコースをそれぞれ用意しているが、あくまで温・冷の前菜、パスタ、メインなどアラカルトが中心で構成されている。また、その品数も半端ない。 なぜこれだけメニューの数を揃えるのだろう?月に複数回訪れるという常連さんは、"いつもの定番"を頼むことが多いが、時に「今日はちょっと違った料理を楽しみたい」という"その日の気分"がある。そんな気分にもちゃんと応えたいという思いから、料理を考えるうちに「これだけの品数になってしまいました」。 グランドメニューが50種以上、旬のおすすめ料理は20種近くもあり、食材だけでも常時揃えるのは個人の店では並大抵のことではないだろう。でも那須さんはからりと笑う。「私自身がほかのお店に行く時は、その日の気分でアラカルトから自由に料理をあれこれ選んで楽しみたいタイプなんです。とくに行きつけの店だとさらにその思いが強くなるので、お客様もおそらく同じ思いで来ていただいているだろうなと思っていて...。リクエストにもあれこれお応えしているうちに、グランドメニューがこんなにぶ厚くなってしまいました(笑)」 地元のお客のために日々、丹精込めて料理を作り、それが口コミで広がって、遠方からもたくさんのお客が訪れるだけでなく、イタリアの外務大臣をはじめ、国内外から数多くのVIPがこの店の料理を堪能してきた。長年にわたってイタリア料理の文化を広く知らしめた功績が認められ、なんとカヴァリエーレ(イタリア共和国功労勲章)が授与された。名実ともに唯一無二のシェフが率いるリストランテは、まさしく観光都市・京都を代表するリストランテとなったのだ。ゆったりとしたソファは、心地良いウエイティングスペースになっている。 創業当時から変わらぬ情熱を注ぐ那須さんに、おすすめの料理を作っていただいた。最初に登場したのは、温前菜のホワイトアスパラのミラノ風だ。フレッシュな白アスパラをさっとボイルして、バターソテーし、ポーチドエッグをふわりとのせて、パルミジャーノチーズをたっぷりとすり下ろす。まずはそのままでアスパラのさっくりとした食感を楽しんで、その後、玉子をつぶして、とろりと絡めていただく。スパークリングや白ワインにピタリと合いそうだ。小雪?花吹雪?美しい景色と物語が一皿の上に展開するホワイトアスパラのミラノ風1800円〜。フランス産を使うので仕入れによって価格が若干変動するという。※価格は全て税込目をみはるような鮮やかな色彩のホタルイカと菜の花のキターラ 2100円。 菜の花の緑、ホタルイカの紫、ドライトマトの赤がなんとも華やかでどこか小粋なパスタは、まさに春の訪れを待つよろこびを表現する一皿。手打ち麺のキターラを春の味わいとともにオイルベースでいただく。菜の花の青味、ホタルイカのほろ苦さが、イタリアンにおけるまさに出会いの妙を実感させてくれる。パスタは手打ち麺が中心。今でこそ手打ち麺も定着しているが、1995年のオープン当初に、那須さんが手打ち麺をいち早く取り入れたことも記しておきたい。説明不要の王道の一皿。「鴨のロース バルサミコソース」3300円。 ロマネスコや赤万願寺、カリフラワーなどの野菜がバランスよく添えられて、その中心にましますのが、しっとりしたロゼ色の断面...!見るだけで思わず食欲を誘うのは、メイン料理の中でも人気の「鴨のロース バルサミコソース」。鴨ロースをソテーして、バルサミコを煮詰めた甘酸っぱいソースでいただく。シンプルゆえに火入れが肝心。絶妙の火入れで、肉はあくまで柔らかく、口の中にジューシーな鴨肉の旨味が、じんわりと広がる。ついつい、ボディのある赤ワインを欲してしまいそうになる。ここにきたら必ずこの料理を注文するという常連ファンの気持ちが本当によくわかる。ワインはイタリア各地のものを常時100種、取り揃えている。グラスワインは700円〜、ボトルワインは4000円から〜。「これからやりたいことですか?そうだなあ、やはり自分も大好きなアラカルトをもっといろいろ考えて、きわめていきたいですね。お客様が食べたいものを食べたい時に食べたいだけ、きちんと提供できる店でありたいです。外食する時間はやはり普段とはちがう、ちょっと特別な時間でしょう?少しぐらい我がままな気分があっていいんです。それにしっかりと応えるのが僕たちプロなんですから(笑)」 確かな味はもちろんのこと、素材の組み合わせにも、一皿ひと皿の盛り付けにも、那須さんの瑞々しい感性が息づいて、器と料理の色のコントラストや立体的なフォルムの面白さなど、そこには豊かなストーリーが存在する。 前菜、パスタ、メイン料理としっかりフルで楽しむもよし、アラカルトをいくつか頼んでゆっくりワインを楽しむもよし。那須さんが彩るストーリーにすっかり浸ってしまう幸福な時間がここにはゆったりと流れている。 那須さんが料理の話をするとき、本当に楽しそうに笑顔が満ちてきてふわっとこぼれる。ああ、この人は本当に料理を、イタリアを愛しているのだなあと思う。人を惹きつけてやまないものには、料理、空間、もてなしなど様々な要因があるけれど、やはり人、那須シェフの魅力がこの店の大いなる磁力になっているのだ。懐の深さ、イタリア料理への愛、京都への思い。いろいろな思いが込められて、この包み込むような笑顔になるのだろう。■イタリア料理 casa bianca京都市上京区今出川寺町西入南側075-241-3023営業時間 11:30〜14:00(LO)、17:00〜21:30(LO)定休日 月曜 ※サービス料はなし。アラカルト注文の時のみ、コペルト(席料)一人350円あり。撮影/ハリー中西 取材・文/ 郡 麻江
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BLOG京のとろみ
2022.02.28
「吉野」の辛ソース
三十三間堂のほど近く、住宅街の路地裏に「お好み焼き 吉野」はある。今でこそ、観光客や修学旅行の生徒たちにも人気の店になり、週末には行列も出来るようになったが私が通い始めた40年近く前は教えてもらわなければまずたどり着くことが出来ないし常連客だけのかなりディープなお好み焼き屋だった。京都市内の七条より南にはこんなディープなお好み焼き屋が何軒も存在するし、それぞれの店に色や味、特徴があるけれど一番好きなのは吉野さん。メニューはミノ、ホソ、スジ、レバーなどホルモンの鉄板焼きに始まり、お好み焼き、焼きそば、ヤキメシ、そばめし、オムライスなどビールや酎ハイが止まらない。私が必ず注文するのはミノ鉄板焼き、ホソ入り焼きそば(野菜抜き)。お好み焼きは豚玉にイカと油かす入れて玉子はダブル。お好み焼きはにはソースは塗らず焼き上げた状態で運ばれるので、ソースは自分で塗るスタイル。鉄板横には甘ソース、辛ソース、カツオ、青のりが用意されている。甘ソース、辛ソースを自分の好みでお好み焼きに塗るのだが、とろみのある辛ソースが旨辛濃厚で最高!お好み焼きに限らず鉄板焼きや焼きそばにもたっぷりつける。結果、なんぼでも酒が飲めるマジックソース(笑)野菜抜きを注文すると「野菜食べなあかんで!」と叱ってくれるお母さん鉄板焼きも焼きそばもお好み焼きも全部美味しいけど私が吉野に来るのは、吉野のお母さんに会いたいからだと思う。昨年50周年を迎えられた吉野さん、まだまだ通わせていただきます!
ハリー中西
料理カメラマン
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BLOG料理人がオフに通う店
2022.02.28
「京料理・天ぷら 天㐂」-「樽八」の平松昌峯さんが通う店
推薦者の「樽八」店主、平松昌峯さん 百万遍に程近い場所にある「樽八」。初代の父、水賀(みのり)さんが、友禅の染職人から大きく方向変換をして、友禅工房だった建物を改装し、昭和54年、居酒屋を開いた。た。18歳の時から父の下で働いていた長男の平松さんは、15〜6年前に、店の方針をリフレッシュし、「料理人が丁寧に手間をかけた料理を大切にお出したい」という希望をかたちにして、大人がゆっくり料理と酒を楽しめる店へと舵を切った。 食材をさらに吟味して厳選し、レシピも一から見直し、価格は庶民の財布に優しい設定を心がけた。昔から馴染みの大学関係者をはじめ、サラリーマン、カップル、ファミリーなど、幅広い層のファンが店に通っている。 若い時は料理の勉強として、母と一緒によく通わせて頂いていました。最近は「天㐂」さんのマスターに紹介して頂いたお客様にお呼ばれして、伺うことが多くなりました。お昼のランチタイムに行く事が多いですが、お昼も夜と同じお料理を出していただけます。カウンターで会席料理をよく楽しませていただいていますが、前菜から八寸、造りなどから天ぷらに入っていくコースで、多種多様な天種で毎回、感動の連続です。先日は、新茶の時期限定の「新茶にしん蕎麦」を出していただきましたが、素晴らしく美味しかったです。「鱧の焼霜の千枚落とし造り」も斬新で印象に深く残っています。 京都はお高い金額のお店も多いですが、まっとうな金額で、お料理を最初から最後まで楽しめて、お腹いっぱいになります。敷居が高く見えがちなお店ですが、皆さん気さくで本当にゆっくり出来るお店です。やはり代名詞の天ぷらが素晴らしく、食材により揚げ方を変えて、温度まで毎回調整してここまで変わるのか...と、驚きの連続ですね。基本中の基本、海老の天ぷらは、香ばしくてお菓子のような特筆すべき旨さです。ご主人の経験値と手抜かりの無い丁寧な仕込みがあっての味だと思います。何度でも通える素晴らしいお店だと思います。お茶の心そのままに、全ての客室において、丁寧にしつらいが調えられている。 鎌倉時代から機織りの町として時を刻んできた歴史ある西陣。「京料理・天ぷら 天㐂」はその一角に昭和8年に創業した。三代目を継ぐ石川輝宗(てるむね)さんの祖父が、当時まだ、他では例を見なかった「天ぷら会席」を日本で初めて発案し、店の柱として打ち出した。「当時はね、京都の料理に天ぷらやなんて...とおっしゃる方もおられたようです」と石川さんは言うが、天ぷらと京料理を融合させた、他にはない妙味が人々に喜ばれ、次第に「天ぷらの天㐂」として、全国にその名を馳せることになった。「うちとこの店がたくさんの方に受け入れられるようになったのは父(二代目主人、輝夫さん)が、表千家の直門にさせていただいたことが大きかったようです。お家元について全国を廻らせていただき、お茶を通じて、多くのお茶人の方との知己を得ることができました。お茶人の皆様に店の味を認めていただくようになりまして、それが私どもの自信にもなりました」 敷地内には茶室を造り、数多くの茶会を催し、お茶人たちに愛される名店ともなっている。お茶の心を、おもてなしの根幹において、しかしながら敷居を低く、片肘張らず、くつろいで料理を楽しんでもらえる店にと言う思いは、この店の根幹であり、一筋に貫かれている。数寄の心が息づく室内。大切な人たちとの時間をゆったりと心地よく過ごすことができる。 石川さんが大切にしているのは、何よりも地元に根付いた店、地元の人々を大切にした店でありたいということだという。「地元の皆さんが、祖父の代から、通ってくださってこの店を育ててくださいました。ですから、恩返しの気持ちを込めて、日々、仕事をさせていただいています」 お客さんには親子三代で通う人や、60年以上通い続ける常連さんもいる。近所のおばあさんが、よく一人でお昼のミニコース(椅子席3850円・税込、サなし)を食べにくるなど、まさしく地元にしっかり根付いた店だといえるだろう。取材をした1月の天ぷらは車海老、琵琶湖産のわかさぎ、和歌山のふきのとう、なると金時、太ゴボウの含め煮など。その時々の旬味を美しい天ぷらにして供する。 夜の「天ぷら京会席」は1万1000円〜(夜は全て税込、サ15%別途)から用意されている。先付け、八寸、煮物椀、造り、天ぷら、焼き物、酢の物、炊き合わせ、香の物、ご飯、水物で構成される。中でも、やはり、誰もが期待に胸を弾ませるのが天ぷらだろう。 天ぷらの盛り合わせは、どこまでも気品に満ちて、実に美しい景色を見せ、さすが京の美意識が隅々まで息づいている。「天ぷらは素材ありき」と石川さんは言い切る。鷹峯の提携農家から日々取り寄せる新鮮野菜のほか、魚介は中央市場への日々の買い付けのほか、明石、山陰の漁場から季節の魚貝類を直接仕入れている。米も低農薬栽培で育てたものを厳選し、自然の恵みそのままを味わってもらうために、栽培方法や品質管理までしっかり目を届かせているという。 冬場の素材の王様、柴山の蟹はなんと漁船を指定して、直接仕入れると言うから驚く。「素材を揚げると言うシンプルな調理法だからこそ、天ぷらは素材が生命線。最高の素材を探すことに、代々が心血を注いできたんです」 天ぷらの油は、素材の良さをそのまま引き出す「大豆の白締」を使用する。素材の味わいを衣にしっかりと包み、それでいて重たさがない。天つゆ、または塩をお好みで食すが、揚げたてはもちろん、時間が経ってもサクサクと歯ごたえが増し、美味しくいただくことができる。すっぽんとフカヒレの茶碗蒸しは、13,200円のコースから。 伝統を守りながらも新しい味わいの探求も怠ることがない。冬にはこれがないと納得しないというファンが多いのが、二代目が考案したすっぽんとフカヒレの茶碗蒸しだ。 すっぽんの身を炊いたのスープとXO醬でフカヒレを煮含めて、すっぽんの身、フカヒレを入れた茶碗蒸しは、和と中華が見事に融合した一品である。サクサクの食パンと叩いた車海老のしっとりした食感の対比がたまらないパン天2200円。 二代目は長崎の卓袱料理からインスパイアされた料理が得意で、エビトースト揚げからヒントを得た一品料理にパン天もその一つ。車海老を叩いて塩と合わせただけの具を大正製パンの食パンに挟んで、からりと揚げる。噛み締めるほどにじんわりと海老の旨味と香りが広がって、なんとも幸せな心持ちにしてくれる味わいだ。 石川さん自身もブルーチーズとセロリ、アワビを合わせた前菜や、春巻きの皮にトマト、うに、バジルを巻いて揚げた「マルゲリータの天ぷら」など、様々な新味を打ち出して、お客様を喜ばせている。「これ何?美味しいなあ...!と言っていただくのが、何より楽しみです。お客様の笑顔が見たくて、仕入れから料理まで、日々の仕事をしていると言っても過言ではないですね」 サクサクと薄衣で軽やか、京都らしく上品な天ぷらには、ワインもよく合う。最初にシャンパーニュで乾杯する人も多く、ワインも取り揃えているが、ワインを担当するのは、ソムリエールの資格を持つ、石川さんの妹であり女将の橋本静代さんだ。内外からVIPを迎えることも多く、料理だけでなく、それに合わせるワインまで、しっかりと見届けるあたりに、何ごとにも妥協しないこの店の姿勢が見て取れる。ワインセラーには女将が吟味したプレミアムなワインが静かに出番を待っている。京都の料理人や女将とサドヤワイナリーがコラボして、造りあげた京の料理に合う白「セミヨン3331」(左)は希少なワイン。シャンパーニュや赤、白と厳選ワインを揃える。日本酒は地元の金鳩正宗をはじめ、主人のめがねにかなった各地の地酒がそろう。独特の造りの母屋。建築の専門家が訪ねてきた時、とても個性的な意匠と設計だと言われたそうだ。手前の中庭が四季折々の自然を感じさせる。すっきりと清々しいカウンター席。お昼のミニ会席もこちらでいただける。網代天井や聚落の壁など、隅々まで数寄の精神が息づく美空間。 店内は鰻の寝床そのまま、入り口から奥が驚くほど広く、長く続いている。茶室を設けた伝統的な数寄屋造りはどこまでも清々しく、心がすっと落ち着くような空間となっている。 中庭を経て、大小さまざまな座敷が展開し、家族の集まりや大切な人との食事、ハレの日の宴会、法要後のひとときまで様々なTPOに応えることができる。また、カウンター席やテーブル席は気軽に立ち寄って食事をすることも可能だ。 実は若い頃は教師を目指し、教員資格を持つ石川さんは、英語が堪能なことでも知られる。海外の和食シンポジウムなどにも参画し、流暢な英語で和食文化の紹介を行っているそうだ。また、海外からのお客様も巧みな英語でお迎えし、天ぷらや和食の説明をフレンドリーに行って、リラックスしてもらうという。「初めての和食で緊張気味の方もそれで打ち解けていただいて、お食事を楽しんでいただけるんです。海を越えて、たくさんの方にうちの料理を美味しいと思ってもらえる。料理をする者にとっては、これ以上の幸福はないと思います」 もてなしの心がここまで行き届くには、相当な労力が必要とされるだろう。しかし石川さんは、「こだわりと言うのは私ども店側が持つものではなく、お客様が持たれるべきものやと思っているんです」とさらりと、しかしきっぱりと言う。 お客様がこだわって、こんな味を楽しみたい、こんなもてなしをして欲しいというその希望にできる限り、応えていくこと。それが「天㐂」の商いの根本だという。 料理と空間だけでは、店の文化は成り立たない。そこに人がいてこそ、なのだ。「お茶の心とおもてなしを礎に、素晴らしい空間で料理を堪能してもらって、できるかぎり、敷居を低くして、寛いでいただきたい。そして皆さんに喜んでいただく。それでこそ、うちとこの店の名に恥じないことでしょう?(笑)」 まさしく。「天が喜ぶ」。 石川さんの言葉と暖かな笑顔に、その意味をしかと実感した。■京料理・天ぷら 天㐂京都市上京区千本今出川上ル上善寺町89075-721-8080営業時間 17:00〜23:00定休日 月曜(祝祭日の前日は営業)撮影/竹中稔彦 取材・文/ 郡 麻江
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