食知新ブログ
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BLOG料理人がオフに通う店
2021.03.22
「先斗町 ふじ田」-「すし・一品料理 すし昌」の松本敏昌さんが通う店
「すし・一品料理 すし昌」の松本敏昌さん主人の松本敏昌さんは香川県の出身。大阪の専門学校に通っていた頃、寿司店でアルバイトをしたのをきっかけに飲食の世界へ。うなぎの店や喫茶店のマスターなどを歴任し、平成17年に、「すし・一品料理 すし昌」をオープン。「とにかく美味い魚を食べていただきたい」という思いで、毎朝、中央市場に自ら出向いて新鮮な魚介を吟味し、仕入れている。近鉄京都駅すぐの『近鉄名店街みやこみち』で、美味い魚介とお酒を提供している。よく手入れされた清々しい木のカウンター席が、ゆったりと配置されている。 先斗町・歌舞練場の真向かいに、静かに暖簾が揺れる一軒。店内に入ると、まっすぐに伸びた、磨き上げられたカウンターが目に入る。その向こうで、料理長の田中正一(しょういち)さんが、出迎えてくれる。「松本さんとは、仕入れ先の中央市場で顔見知りになったんです。お会いするうちに、互いに話すようになりました。市場でお会いすると、『どない?』と聞いてこられて、僕が『ふつうです』と応えるのがいつものことです(笑)。うちの店には、お休みの日に奥さんと一緒に来ていただいたりしています。今年は、おせち料理を注文してくださいました」と田中さん。「お店では、お任せのコースを頼みますが、ほんまに何をいただいても美味しいんです。特に今年は、おせち料理がどれもとても丁寧に作りこんであって、お願いして正解でした」と松本さん。美味しいものを追い求める者同士、リスペクトとシンパシーを感じる。テキパキと作業をしながら、カウンターを挟んでお客さんとの会話も大切にしている田中料理長。 田中料理長は、愛知県の一宮の出身。実家が寿司屋を営んでいたこともあって、自然に日本料理の道へ進んだ。 日本料理を学ぶなら京都で、という考えで、京都の老舗料亭で修業をスタート。3年後に「ふじ田」に移り、それ以来、一筋で仕事を続け、平成17年に料理長に就任した。「うちの店の料理の基本は、オーソドックスな懐石料理です。季節ごとの素材の取り合わせ、器との相性などを考えつつ、歳時記などに合わせた色々なストーリーに沿って、盛り付けや色合いに工夫を凝らすようにしています」。 コース料理は月替りで変わっていく。しかし、田中さんが作る料理は、単に、「正統派の懐石料理」というだけではない。例えば、和物にチーズを使ってみたり、肉料理を組み合わせたり、モダンな感性でひと工夫加え、変化と緩急を楽しめるコースに仕立てている。「いつ来ていただいても、ちょっとしたサプライズを楽しんでいただきたいと思っています」。 今回は、コースの「馳走一」から、おすすめの料理を抜粋してもらった。節分にふさわしい一椀。鮮やかな色彩が美しい。料理は全て「馳走一」15,000円(税サ込)から抜粋。 朱の折敷に、漆黒の塗りの椀が冴えざえとしたコントラストを見せる蛤の真丈の吸い物。酒蒸しにした蛤を、白身魚のすり身と卵黄を合わせた真丈で包み込み、蛤で引いたエキスたっぷりの出汁を張って供する。取材時はちょうど節分の時期だったので、大根を升に見立てて、そこに大豆をのせ、季節のストーリーが鮮やかに表現されている。愛らしい梅人参や緑のセリ、柚子皮を添えた一椀は、豊かな春の色彩に溢れ、春到来を待つ気持ちが伝わってくる。だしに満ちる蛤の濃厚なコクと、ふわりとした食感の真丈がじつによくマッチしている。海の青、白い砂を連想させる盛り付けが食欲をそそる蒸し鮑のステーキ。 この店の名物料理の一つが、この蒸し鮑のステーキだ。鮑を3時間、じっくり酒蒸しにして、さらに2時間、だしで味を含ませるように煮る。下ごしらえにじっくりと手間をかけることで、柔らかさもありつつ、弾力に満ちた海の恵みの美味しさを余すことなく、堪能できる。添えてあるソースは、鮑の肝を煮詰めてバターを加えたもの。ほろ苦さがバターのまろやかさを纏い、感動的な味わいを生み出す。和の味が続く中で、インパクトのあるアクセントとなって、舌に忘れがたい印象を刻みつける。ほくほく、さっくり、カリっ、と様々な食感と風味が楽しめる、季節の野菜の炊き合わせ。 季節の野菜の炊き合わせにも、田中料理長の創意工夫が生き生きと息づいている。ゆで汁と一番だしを合わせて、味を含ませた近江かぶは、なんと甘やかな味わいだろう...!八方だしで煮含めた京人参もまた、素材本来の甘みをしっかりと引き出している。小松菜はだしでさっと湯がいて青味も生き生きと、小芋は浸透圧でだしの旨みをゆっくりと含ませて、しっかりとした味わいをそれぞれ楽しむ。 さらに、玄米粉をまぶしてカラッと揚げた太刀魚を添え、とろりとした濃厚な白味噌だしとともに食すのは、まさにここならではの味。まったりと甘やかな白味噌に野菜や太刀魚をからめて食すとまさしく「滋味」そのものの味だ。滋味深い味を堪能するうちに、"美味しい料理は人を幸せにしてくれるのだなあ"としみじみと思う。いつもにこやかな田中料理長。この笑顔で出迎えてもらうとほっとする。「僕の師匠でもある前の料理長の時代から"会話もごちそう"というのが、うちの店のモットーで、僕もそれを大切にしています」という料理長。一階はカウンター席のみなので、お客さんに、調理法や素材のことをなど、丁寧に、ユーモアを交えて、時に英語も使って、説明するのだという。笑顔溢れる楽しい会話は、料理の美味しさをさらに引き立てて、食時間を心豊かなものにしてくれる。 春にはたけのこや山菜、桜鯛が登場して、味も見た目も、春爛漫の華やかなコースに仕立ててくれるに違いない。寛ぎの空間で、肩の力を抜いて、リラックスしながら、京の粋なる料理の数々を楽しんでほしい。帰りは、胃の腑も心も満ち足りて、春の先斗町をそぞろ歩きして帰りたくなるはずだ。二階は個室、三階は大広間とさまざまなTPOに対応してくれる。■先斗町 ふじ田京都市中京区先斗町三条下ル 先斗町歌舞練場前075-255-0500木曜〜日曜 11:30~14:00、17:00~22:00※火曜・水曜は予約のみ。コース料理は昼3800円〜、夜8000円〜。月曜定休撮影/竹中稔彦 取材・文/ 郡 麻江
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BLOG京の会長&社長めし
2021.03.17
丹山酒造有限会社の社長が通う店「松葉」
■長谷川 渚(はせがわ なぎさ)さん 丹山酒造有限会社 取締役社長1978年京都府亀岡市生まれ。地元の高校を卒業後、滋賀県余呉発酵機構研究所で発酵学を学び、その後半年間、東京農業大学の小泉武夫先生の研究室で研究生として発酵を学ぶ。実家の丹山酒造に戻り、製造の職人として15年程。現在は5代目として会社の経営に携わっている。最後の晩餐は、母のお手製の玉ねぎソースをかけた肉料理。伝統の味を守りつつ新たなメニュー開発にも挑む、にしんそば発祥の老舗京都の名物、にしんそば。京都人のソウルフードともいえるこの料理を考案したことで知られるのが、四条大橋東詰にある老舗蕎麦店「松葉」だ。創業は1861(文久元)年。初代が芝居茶屋を営んだのが始まりという。ここ本店では、にしんそばをはじめとする麺類、丼、弁当などが楽しめ、推薦者の長谷川さんも幼い頃からこの店の味に親しんできたという。「幼稚園か小学校の頃、祖母に南座の帰りに何度か連れて行ってもらった記憶があります。松葉さんとお仕事のお付き合いをさせていただくようになってからは、営業の合間などによく利用しています。私の中では松葉さんといえば、やはりにしんそばのイメージです」(長谷川さん)地上5階、地下1階の本店は昭和48年の建造。地元客、観光客、舞台関係者など、さまざまな人が訪れる。「昔からの柱や机など趣があって気に入っています。小さい頃は四条通と川端通が見える席で、市バスなどを眺めるのが好きでした」(長谷川さん)名物のにしんそばが誕生したのは明治15年。2代目の松野輿三吉(よさきち)氏が、貴重なたんぱく源だった身欠きにしんを甘辛く炊き、蕎麦と組み合わせて売り出したという。「京都にはにしん茄子というおばんざいがあったんですが、昔の身欠きにしんは硬くて、小骨が多く臭いもきつい。水でもどして炊くのにすごく手間がかかるから、家庭ではあまり作られていなかった。それを骨まで柔らかく炊いて、お蕎麦に入れるという発想でした」と、輿三吉氏の孫で4代目の松野泰治さんが説明する。北海道産の身欠きにしんは、毎日水を替えながら1~2日水に浸し、次に水炊きしたあと、みりん、酒、砂糖、醤油で半日煮込んでいく。炊き上がったらさらに煮汁に1日漬け込み、ようやく完成となる。今も手間入りだが、昔は水で戻すのに7~10日要したという。そんな扱いにくいにしんを使った蕎麦は、京都の人々に新鮮に映ったようだ。「当時マスコミの情報などないなか、にしんそばのことが知れ渡って、にしんが上手に炊けていると評判もよかったようです」(松野さん)麵は自家製、だしはイワシ、サバ、カツオをブレンドした削り節と利尻昆布で取っている。長谷川さんをはじめ、多くの常連が頼む「にしんそば」は1430円。「最初はあっさりしたおだしが、最後はにしんから出た味でしっかりしたおだしになる。その変化も楽しんでいます」という長谷川さんの言葉に、「そんなふうに召し上がっていただくのはありがたいですね。うちでは鉢の底ににしんを敷き、その上にお蕎麦、おだしを入れます。まずおだしを飲んでお蕎麦を手繰っていくと、にしんの煮汁とだしが絡み、最後に独特のにしんそばの味になるんです」と松野さん。にしんの甘辛さと旨味になじむ繊細な蕎麦とだし。最後の一口まで考えられたおいしさだ。(注:写真ではわかりやすいようににしんを見せています)「角煮がとろとろですごくおいしい」という長谷川さんのお薦め「角煮うどん」1430円は、約10年前に考案された人気メニュー。八角、ネギを加えて飴色に炊き上げた豚の角煮は、上品なだしと麺にバランスよくなじみ、意外と重さを感じさせない。「ほかにもいろいろおいしいものはありますが、これは角煮と和の組み合わせが斬新で、衝撃を受けました。松野社長は伝統を守る一方で新しいものにチャレンジされている。発想が明るくて前向きで、自分が仕事をする上でもすごく勉強になります」(長谷川さん)「同じものを続けることも大事ですが、AとBを足しておいしかったらやるべきやというのが私の考え方です」と、松野さん。角煮うどん以外にもゆりねうどんや連獅子そばなど、オリジナルメニューを作り出している。それらが生まれる場になっているのが、年3回の落語の会。プロの落語と蕎麦を楽しむこの催しでは毎回趣向を凝らした麵料理を提供し、好評だったものは商品化しているという。上の写真のオリジナルの日本酒は、丹山酒造に特注したものだ。「松野社長とは20年ほど前に府の物産協会でお会いしたんですが、まだ社会人になりたての私に、お蕎麦に合うお酒を提案してほしいと声をかけてくださったんです」(長谷川さん)当時、東京へ蕎麦打ちを学びに行っていた松野さん。東京では蕎麦屋で昼酒を飲む文化があることを知り、自分の店でも昼酒を楽しめるようにと、酒造りを依頼したという。「蕎麦が主役で、それを引き立てるお酒。一所懸命研究していただいて、最終的にできたのが『松葉』です。おかげさまで評判が良く、今は吟醸系の『与三吉』を加えた2つを出しています」(松野さん) 下の写真は、先代の時に作ったマッチ箱。長谷川さんは猫のイラストが気に入り、「与三吉」のラベルに使わせてもらったそうだ。「一人で行って、ぱっと食べて、さっと出ることが多い」という長谷川さんだが、ここでの食事は短いながらも癒しのひと時になっている。「何も考えず、外の景色を見ながらリラックスできるあの空間がすごく好きで。自分のペースで時間を楽しみたいので、いい意味でほっといてもらえるのもうれしいですね」「一人でも多くのお客さんに喜んでいただけるよう、お仕事させてもらうこと。それをずっと大事にしていきたいですね」と、松野さん。新しい魅力も加えながら、感謝の心で伝統を受け継いでいく。撮影 エディ・オオムラ 文 山本真由美■松葉 本店京都市東山区四条大橋東入ル川端町192075-561-1451営業時間 11時~18時(LO17時45分)定休日 水曜(祝日の場合は営業)※季節により変更あり※営業時間は状況により変更の場合あり。お店にお問い合わせください。http://www.sobamatsuba.co.jp/
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BLOG食知新
2021.03.07
高級食材「丹後とり貝」の魅力 老舗料亭の料理人たちはどう引き出す?
丹後とり貝って、どんな貝?丹後とり貝は、京都府北部発祥のとり貝です。丹後の海は栄養がとても豊富で、日本有数のとり貝の漁場として知られています。しかし、天然のとり貝は年によって漁獲量が大きく変動し、なかなか手に入りにくい希少な存在。そんな中、丹後とり貝は、試行錯誤を重ねて開発した特殊な養殖技術によって、日本で初めてとり貝を安定的に供給することに成功したそうです。「養殖」というと、人工的に餌を与えて育てるというイメージがありますが、丹後とり貝は、手間をかけて天然とり貝と同じ環境で、天然に存在する植物プランクトンを食べて育つそうです。そのため、この飼育方法を「育成」と呼んでいるとのこと。一般的なとり貝と比べて、丹後とり貝は「大型・肉厚」であることが特徴。どのくらい大きいのかというと、上の写真の右が普通のとり貝で、左が丹後とり貝。並べてみると一目瞭然で、こんなにも大きさが違うんです! なんと、一般に流通しているとり貝のひと回り以上も大きくて肉厚なんです。大型・肉厚な丹後とり貝は、シャワシャワとした歯切れの良さと、やわらかい食感、そして噛むと口の中に広がる上品な甘さが印象的。料理人たちからも高い評価を受けており、2008年には水産物として初めて「京のブランド産品」にも認定されています。透き通った栄養たっぷりの丹後の海で、手間をかけて丁寧に育てられるからこそ、大きくて歯ごたえの良いとり貝に成長するんですね。「丹後とり貝」が料理人たちの研鑽会のテーマにそんな丹後とり貝が、京都の一流料理人たちが参加する「柴田日本料理研鑽会」で、調理のテーマ食材に選ばれたのです。「柴田日本料理研鑽会」とは、一流の料理人たちが知識・技術のさらなるレベルアップを目指して切磋琢磨し、日本料理の発展に寄与することを目的とした会。柴田書店が刊行する月刊『専門料理』誌上で誕生しました。月ごとに食材のテーマが決められ、メンバーたちが趣向を凝らした料理を発表し、その内容について議論をします。メンバーはというと「菊乃井」の村田吉弘氏「たん熊北店」の栗栖正博氏「魚三楼」の荒木稔雄氏「相伝京の味なかむら」の中村元計氏「天㐂」の石川輝宗氏「木乃婦」の高橋拓児氏「美山荘」の中東久人氏「山ばな平八茶屋」の園部晋吾氏「瓢亭」の髙橋義弘氏京都を代表する老舗料亭の巨匠たちが勢ぞろい! 京都の食をけん引する、そうそうたる料理人たちが一同に会する柴田日本料理研鑽会で丹後とり貝が扱われるとなると、一体どんな料理が誕生するのでしょうか?「柴田料理研鑽会」に潜入!では早速、柴田日本料理研鑽会に実際にお邪魔してきた様子をリポートします。丹後とり貝をテーマとした研鑽会は、2月末に菊乃井本店のテストキッチンで行われました。丹後とり貝の出荷時期は4月ごろからなので、この日の調理は冷凍処理された丹後とり貝が使われました。研鑽会では、料理人それぞれが下準備してきた料理を完成させ、順番に披露していきます。メンバー全員で試食をした後に、それぞれの料理に対して意見や議論が交わされます。では、実際に披露された料理のアイデアと、それに対する議論をみていきましょう。「丹後とり貝」本来の甘みを引き出した逸品最初の発表者は「美山荘」の中東さん。丹後とり貝独特の甘みを活かしたという「とり貝のわさび漬け」を考案されました。とり貝のわさび漬け「とり貝を2時間ほど天日にあてて、旨味をさらに強めました。わさびは甘酢漬けにすることでマイルドになり、とり貝本来の旨味をさらに引き立てています。そして、白味噌、酒かす、甘酒で甘みを付けました」と、中東さん。試食した研鑽会のメンバーからは「白味噌、麴の甘さが同調してとり貝の甘みがさらに引き立てられていた」「噛むほどに口の中に甘みが広がった」「噛んでいるうちに変わっていくとり貝の食感と味がおもしろい」など、甘みと食感を絶賛する声があがりました。丹後とり貝自体の甘みと食感がいかに特徴的で、それがわさびや白味噌などでより引き立てられたことが伝わってきますね。西洋料理にも応用!? 「丹後とり貝」の可能性に注目次は、「瓢亭」の髙橋さんのアイデアである「とり貝と春キャベツの炊き合わせ」に注目してみましょう。とり貝と春キャベツの炊き合わせ「軽く炙ったとり貝に、塩麴と玉ねぎのすりおろしを合わせて、炊き合わせ仕立てに調理しました。とり貝は、食感を損なわないように火を入れすぎないように気を付けました。また、とり貝とキャベツの食感を一緒に楽しんでもらうため、キャベツの芯のペーストを加えました」と、髙橋さんは話します。研鑽会メンバーからは、とり貝本来の心地いい食感と、キャベツのザクザク食感の相性が抜群だと評価する声が上がりました。さらに、髙橋さんの料理が西洋料理に近かったことから議論が発展し、「平皿の料理など、西洋料理にも応用できるんじゃないか」「とり貝ってフレンチなどにも使いやすいかもしれない」「大きいプレートに乗せて、下にキャベツとか置いて、ソースをつけたらとても絵になる」などの声があがりました。日本料理にとどまらず、境界を越えて西洋料理にまで議論が発展するなんて、丹後とり貝ってやっぱりすごい!あまりの柔らかさに驚き! 料理人の技を感じる麹漬け「菊乃井」の村田さんが作られたのは、「とり貝と赤蕪の麹漬け」。ピンク色のビジュアルで、見た目にもインパクトがある逸品です。とり貝と赤蕪の麹漬け「赤蕪、とり貝を、金柑と一緒に10日ほど麴漬けにしました。とり貝は、麴に漬けることで分解され、さらに柔らかくなり甘みも増すんです。とり貝特有の心地いい食感はそのままに、お年寄りでも食べられるくらいに柔らかくなっていると思います」「食べた瞬間にとり貝のあまりの柔らかさに驚いた」「金柑の香りがして、麴漬けが苦手な人でもつるっと食べられる」など、驚きの声が。もともと柔らかい食感の丹後とり貝ですが、麴に漬けることで料理人たちも驚くほど柔らかくなるそうです。麹に漬けて柔らかさが増したとり貝は、さらに色んな楽しみ方ができそうで、とり貝の可能性を感じさせられました!「丹後とり貝」をアレンジしたメニューはまだまだたくさん干しとり貝と春野菜のおひたしとり貝の炊き合わせ料理人たちによる趣向を凝らしたとり貝料理、まだまだあります。「京料理 直心房 さいき」の才木さんが考案された「干しとり貝と春野菜のおひたし」(上)は、約2週間干したとり貝を、昆布出汁と一緒に戻したというもの。「山ばな平八茶屋」の園部晋吾さんによる「とり貝の炊き合わせ」(下)は、鰹節、昆布、みりん、醤油を合わせた出汁にとり貝をひと晩漬け、とり貝に味を染み込ませたそう。上にかかる餡には、とり貝からとった出汁を使っています。どちらの料理も、とり貝の出汁を使っているというところがポイント。研鑽会メンバーたちからも、とり貝の出汁の美味しさを評価する声が多数挙がりました。今回はとり貝本体の身の部分から出汁を取っていたのですが、「とり貝のひもから出汁を取るのもいいかもしれない」というアイデアも。料理人たちの手にかかると、いろんなアレンジが楽しめそうですね。料理人たちが考案したとり貝料理は、一貫して、丹後とり貝本来が持つ魅力をいかに生かすかということがポイントとなっていました。一流の料理人たちが口を揃えて認めるほど、丹後とり貝は素材それ自体の食感や旨みが非常に高い評価を得ているということがわかりました。その背景には、生産者の丹後とり貝の生産かける手間、育成に適した丹後の海洋環境も大切に守り未来に残していく取組があるからこそ、「丹後とり貝」という素晴らしい食材が提供されてということがわかりました。今回は、「柴田日本料理研鑽会」に潜入して、丹後とり貝が持つ魅力を探っていきました。料理人たちが揃って絶賛していた「丹後とり貝」は、料亭や高級寿司店などで味わうことができるので、ぜひ足を運んでみてくださいね。また、今後は西洋料理などでも食べることができるようになるかもしれないので、さらに期待が高まりますね。こちらもおすすめ!関連情報■ 丹後とり貝の詳しい情報はこちら■ テレビ番組京都知新でも取り上げました!こちら
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BLOGうつわ知新
2021.03.01
魯山人と志野3
今回は「志野」のなかでも魯山人の器に特化して梶さんにレクチャーいただき、京都和食界の雄「祇園さゝ木」の佐々木浩さんに料理をおつくりいただきました。「魯山人の志野」の解説については、魯山人と志野1「魯山人と志野について」魯山人と志野2「作品解説」の2回に分けて配信いたします。また3回目には、佐々木浩さんによる魯山人のうつわとのコラボレーション料理をご紹介します。魯山人がつくる「志野焼」の魅力をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。魯山人の志野3 「古典に学ぶが、古典に媚びず、新しいを盛り込んで、新しさに溺れない」、「個性を前面に出した作品にせず、道具(うつわ)であることを忘れない」、「職人の眼で作らず、料理人の発想も備えつつ、数寄者の喜ぶうつわを目指す」。 魯山人の作品からはこんな思いが聞こえてくるようです。志野四方鉢 29cm角 魯山人の志野としては大作と言っても良い、堂々とした仕上がりと大きさのうつわです。魯山人は赤味のよく出た仕上がりを好んだために、彼は信楽産の土を採用したと伝わっていますが、さらに強い赤を出すために、鬼板と呼ばれる、鉄分を多く含む化粧泥で表面を覆いました。そして、その化粧土を掻き落として絵や模様を描き、白い長石釉を掛けて焼き上げ、赤と白が激しく交じり合う表情を生み出しています。 まるで焦げたかのようにカリカリに焼きあがった鬼板の化粧土の上に、こびりついたかの如くに見える白い長石釉が荒々しい表情を見せています。作品としては大作だと誇れるものだと私は思うのですが、うつわとしては主張が強すぎるとも考えます。魯山人の志野2よりひな祭りを寿ぐ八寸「威風堂々としたこの四方鉢は、作品としての圧倒的な力強さがあります。 3月の料理ということで、その力強さに包まれる様子をイメージした「桃の節句のお料理」を調えました。 菜の花や鯛の子といった春が旬の食材の他、焼き蛤、お寿司など節句を寿ぐお料理を、彩りよく盛り付けています。 鯛の子の旨煮、菜の花のおひたし、スモークサーモンと胡瓜の手綱寿し、焼き蛤、車エビ、ふわふわ玉子、スナップエンドウとわけぎのてっぱいという品々です。 百合根の花びらを散らして華やかな春を表現しました。 召し上がる方が、見て味わって心をうきたててくださればという想いを込めた料理。 魯山人のうつわに料理を盛れることは、料理人としての喜びでもあります。」佐々木浩さん秋草彫の手平鉢(あきぐさ ほりのて ひらばち) 直径23.5cm 5客組の数物でありますが、「皿」と箱書きに書かれていないのは、魯山人が呼び名にこだわったからで、呼び名で作品の品格が変わると思っていたようなのです。 ぽってりと肉厚に作られ、帽子の鍔(土星の環のようでもありますが)のように縁を平らにして、中央の見込み部分を緩やかに凹ませた「鍔型(つばがた)」という、魯山人の十八番の形をしています。裏面に高台や足は付けずに、削りで整えたきれいな平面を出すような仕上げもしていませんから、形的に几帳面な印象ではなく、やわらかな印象を受けます。裏面中央部分は窯に入れる前に、釉薬を拭き取って、胎土に含まれる鉄分が赤く発色する景色を意図的に見せています。 また、釉薬を完全に削り取ってしまうのではなく、拭き取ることにこだわって、わずかに残った釉薬成分や胎土に含まれる鉄分が酸化した時、より強い赤に発色することを狙っていたようです。白い長石釉のかかった釉下は、胎土の白い色が透けて見えています。また「鬼板(おにいた)」と呼ばれる鉄分を多く含む泥で草を描いています。魯山人の志野2より「先ほどの四方鉢に華やかな料理を盛っておだしする。と、同時に銘々皿(取り皿)として平鉢をお出しする。 目のまえに出されたこの平鉢を、しばし眺めていただきたいからです。 四方鉢もそうですが、この平鉢もうつわ自体が完成されている。作風はもちろんのこと、色合いやかたちなど、それだけで美しい。 ほんとうなら、料理を盛らず、南天の実をふた粒だけそっと置きたい。そんな想いがわくうつわです。 魯山人の作家としての技量だけでなく、人としての懐の深さを感じさせられる作品です。」佐々木浩さん祇園 さゝ木味はもちろんこと空間や劇場型のもてなしまですべてが「ほかにはない」と評され人気を博す京都を代表する料理店。店主の佐々木浩さんは、客を驚かせ喜ばせる達人で常に新しい料理を模索して作り上げる。その日仕入れた筍や鮑をピッツアの石窯で焼き上げ、洋テイストの味わいに仕上げるなど、従来の和食の範疇を超える料理も多い。客前で生きた蟹をさばく、鮨を握って手渡すなど躍動感ある演出もこの店の魅力。グループ店に割烹形式で一品料理を味わえる『祇園 楽味』、さゝ木の料理と鮨の両方を味わえる『鮨 楽味』、洋食など酒に合う料理で飲める『食ばあー楽味』がある。■祇園 さゝ木京都市東山区八坂通り小松町566-27電話:075-551-5000営業時間:12:00~14:00、18:30~いずれも一斉スタート土曜 17:00~、19:30~一斉スタート定休日:日曜日、第2・第4月曜日、不定休あり■祇園 楽味京都市東山区祇園町南側570-206電話:075-531-3773営業時間:終日2部制第1部17:30~20:20(最終入店18:30)、第2部20:30~23:00(最終入店21:30)定休日:日曜日、第2・第4月曜日、不定休あり■鮨 楽味電話:050-5597-8015営業時間:第1部17:00~、第2部19:30~ 一斉スタート定休日:日曜、第2・4月曜
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BLOG京のとろみ
2021.02.28
「茶の間」のカレー
京都御所の西側に「いのしし神社」として親しまれ、足腰の守護神として有名な「護王神社」がある。その神社の北側の道、下長者町通りを少し西に進むと喫茶「茶の間」がある。御婦人おふたりで営業されている喫茶店の店内はソファーから、床、壁、天井などすべてが昭和のまんま。ゆっくりと時間は流れているのだがモーニングサービスの時間が終わり、ランチタイムに入るとこちらのカレー目当ての客で店内はすぐ満席に。喫茶店のカレーと舐めてると痛い目に合う。辛さはマイルド・普通・辛口・大辛まで4段階あって選べるのだが、普通でもかなり刺激的!辛さに弱くない人でも汗が噴き出すことになり、セットで付いてくるサラダのポテトサラダに救われる(笑)が、ただ辛いだけではない。目で確認できる具は牛肉と玉ねぎだけだが奥深いコクがあり、大汗をかきながらもスプーンは止まらない。しかも、ライスと別々で提供されるポットに入ったカレールーは、サービスでおかわり出来るので違う辛さも楽しめる。一杯目が普通で二杯目を大辛にするのもいいだろう。こちらには午後2時過ぎに行かれることをお勧めする。ランチタイムの喧騒が終わり、ゆっくりとした時間が戻ってくる。常連のご近所のおばちゃんの世間話と店内に流れるクラシック音楽が、実に心地いいBGMになる。ただ、カレーが売り切れてしまうことがあるので悩ましい。
ハリー中西
料理カメラマン
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BLOGうつわ知新
2021.02.27
魯山人と志野2
今回は「志野」のなかでも魯山人の器に特化して梶さんにレクチャーいただき、京都和食界の雄「祇園さゝ木」の佐々木浩さんのほか、グループ店の「祇園 楽味」水野料理長、「鮨 楽味」野村料理長に料理をおつくりいただきました。「魯山人の志野」の解説については、魯山人と志野1「魯山人と志野について」魯山人と志野2「作品解説」の2回に分けて配信いたします。また3回目には、佐々木浩さんによる魯山人のうつわとのコラボレーション料理をご紹介します。魯山人がつくる「志野焼」の魅力をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。魯山人と志野2 「古典に学ぶが、古典に媚びず、新しいを盛り込んで、新しさに溺れない」、「個性を前面に出した作品にせず、道具(うつわ)であることを忘れない」、「職人の眼で作らず、料理人の発想も備えつつ、数寄者の喜ぶうつわを目指す」。 魯山人の作品からはこんな思いが聞こえてくるようです。秋草彫の手平鉢(あきぐさ ほりのて ひらばち) 直径23.5cm志野草平向(しの くさ ひらむこう) 直径16cm この2種類の作品は写真では伝わりませんが、実はサイズが大きく異なっています。名前も、平鉢と平向(ひらむこう)で分けられています。どちらも5客組の数物でありますが、「皿」と箱書きに書かれていないのは、魯山人が呼び名にこだわったからだと、作品を多く扱った私の経験から思えるのです。つまり、魯山人は呼び名で作品の品格が変わると思っていたようなのです。 大きい方は銘々の皿としても使えるのですが、ゆったりとした豊かさが感じられる作品なので、一客だけで鉢として用いるに足りると思ったのでしょう。鉢と呼ばせると、茶室の中で皆さんが取り廻すうつわとしても用いることが出来ます。これを皿と呼んでいたなら、サイズが大きいから、これ幸いと無理やり鉢に転用したのかと、まるで背伸びして鉢に格上げしているような印象を与えてしまいそうですから、最初から鉢と箱に記したのでしょうね。 小さい方も皿とは呼ばず、平向(ひらむこう)と箱書きしています。向付が茶室の中で皿よりも重い役目を担ううつわであることをわかっていたからでしょう。彼の作品でも「皿」「沙羅」と名付けられているものもありますが、皿を平向と強く意識して使い分けている作家は、私の知る限りでは魯山人以外ほぼ皆無です。 育ちが良かったわけではない魯山人が、豊かな暮らしの数寄者や知識人の中で学び取った感性が、こんなところに現れているのでしょうね。 このふたつのうつわは、ぽってりと肉厚に作られ、帽子の鍔(土星の環のようでもありますが)のように縁を平らにして、中央の見込み部分を緩やかに凹ませた「鍔型(つばがた)」という、魯山人の十八番の形をしています。裏面に高台や足は付けずに、削りで整えたきれいな平面を出すような仕上げもしていませんから、形的に几帳面な印象ではなく、やわらかな印象を受けます。裏面中央部分は窯に入れる前に、釉薬を拭き取って、胎土に含まれる鉄分が赤く発色する景色を意図的に見せています。 また、釉薬を完全に削り取ってしまうのではなく、拭き取ることにこだわって、わずかに残った釉薬成分や胎土に含まれる鉄分が酸化した時、より強い赤に発色することを狙っていたようです。白い長石釉のかかった釉下は、胎土の白い色が透けて見えています。また「鬼板(おにいた)」と呼ばれる鉄分を多く含む泥で草を描いています。 志野四方鉢 29cm角 魯山人の志野としては大作と言っても良い、堂々とした仕上がりと大きさのうつわです。魯山人が志野を焼き始めたころは、美濃から産出するもぐさ土も使っていたようですが、もぐさ土は粘りがなくパサパサしていて、細かな作業や薄造りの作品の製作には不向きでした。また、魯山人は赤味のよく出た仕上がりを好んだために、彼は信楽産の土を採用したと伝わっていますが、さらに強い赤を出すために、鬼板と呼ばれる、鉄分を多く含む化粧泥で表面を覆いました。そして、その化粧土を掻き落として絵や模様を描き、白い長石釉を掛けて焼き上げ、赤と白が激しく交じり合う表情を生み出しています。 当時の美濃では、釉薬を作るための良質な長石の確保が困難だったため、京都の実業家で魯山人の大パトロンであった内貴清兵衛の力添えを得て若狭から取り寄せたと言われています。まるで焦げたかのようにカリカリに焼きあがった鬼板の化粧土の上に、こびりついたかの如くに見える白い長石釉が荒々しい表情を見せています。作品としては大作だと誇れるものだと私は思うのですが、うつわとしては主張が強すぎるとも考えます。 皆様はどうお感じになるでしょう。鼠志野 中鉢 直径28cm 鼠志野は胎土の上を鬼板の化粧土で覆いながら、鬼板の色が透けて見える頃合いの厚みで長石釉をかけた焼物です。赤とも濃い茶色ともつかない鬼板の発色の上に白い膜がかかるので、見た目の色が鼠色やチョコレート色にみえるわけです。見込みには魯山人が良く好んで描いた「阿や免(あやめ)」が描かれています。 掻き落として描いた絵の部分には白い土で象嵌(掻き落とした窪みに白土を埋め込む)をしているようです。裏面には丸い高台を作っていますが、その内側に焦げてこびり付いたような輪を見る事ができます。これは土の重みで、焼成中、高台の内側が沈み込まないように粘土で支えを作った跡です。これも白い土を用いず、鼠志野の場合は茶色い鬼板で作るということが桃山の頃からの習わしです。 このような古陶磁器の約束事も、魯山人はパトロンだった数寄者たちに教わっていたのでしょうね。うつわには金で修理が施されていますが、これも魯山人が行ったものだと考えられます。集合写真、左手奥:志野茶埦 直径12cm×高さ9cm、 左手前:志野 さけのみ 直径4.5cm×高さ4.6cm 右:絵志野芒文四方平鉢 18cm角高台写真、手前:志野茶埦、奥:志野 さけのみ 「志野茶埦」「志野さけのみ」「絵志野芒文四方平鉢」を集合写真で見ると、ひとつひとつのうつわに施された魯山人の作為(さくい)というか、たくらみが手に取るようにみえてきます。茶碗は陶器で作ったものですから、土遍の「埦」の漢字を使い「茶埦」と箱書きしています。こんな所にも、魯山人のこだわりが見えます。 茶埦全体にほのかな赤い発色が見られながらも、土見せの高台を見ると赤くなり過ぎていません。土の配合で調整して狙ったのでしょうか。ごつごつして荒々しい表現をされがちの志野にあって、やさしい肌色で形も素直に丸い、碗なりに作られています。高台は太く安定ある形です。この太くおおらかな高台は、桃山期のうつわではあまり見かけませんが、魯山人は好んでいたのか、うつわの高台などでも度々見かけます。腰のあたりには長石釉に小さな穴を見ることが出来ます。柚肌(ゆずはだ)と呼ばれる景色で、胎土に含まれていた空気が抜け出た跡です。 打って変わって、「志野さけのみ」「絵志野芒文四方平鉢」はどちらも鬼板で化粧をして、強い赤色を出させています。「絵志野芒文四方平鉢」は表に厚く長石釉を掛けて純白の表情をさせていますが、よく見ると釉薬の薄い部分からは鼠志野的な表情も見つけることが出来ます。裏は真逆の激しい赤い土見せとしています。桃山期の志野にはよく小さな足が付けられているのですが、このうつわには足も高台もつけずに焼いています。裏の四方の角近くに焼成時の目跡(土で作った支えを用いた跡)を見ることが出来ます。 「志野さけのみ」は「絵志野芒文四方平鉢」の表面のように厚く均一に長石釉を掛けず、斑(むら)が出るような掛け方をしています。かといって鼠志野の仕上がりでなく、赤志野の仕上がりです。赤志野と鼠志野は作る手順は同じだそうですが焼き上がりの景色で呼び分けをするようです。 魯山人は、もっと長石釉が薄くかかり赤が強く出て、カリカリに焦げたように焼きあがった「紅志野(べにしの)さけのみ」も作っていますが、ちょうどこの「志野さけのみ」の底面のような色合いと風合いです。魯山人と志野3料理編につづく
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BLOGうつわ知新
2021.02.26
魯山人と志野1
今回は「志野」のなかでも魯山人の器に特化して梶さんにレクチャーいただき、京都和食界の雄「祇園さゝ木」の佐々木浩さんのほか、グループ店の「祇園 楽味」水野料理長、「鮨 楽味」野村料理長に料理をおつくりいただきました。「魯山人の志野」の解説については、魯山人と志野1「魯山人と志野について」魯山人と志野2「作品解説」の2回に分けて配信いたします。魯山人がつくる「志野焼」の魅力をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。魯山人の志野 白色の陶磁器は古来より人々の憧れの的でした。江戸初期の1614年に日本初の磁器が伊万里で生産されるまでは、それ以前の白い国産の陶磁器として唯一のものは、桃山時代に焼かれた志野でした。 毎月ならば、ここで志野についての様々な基本情報をお話しするところですが、そうすると情報量が多すぎて、お話の展開が複雑になり過ぎる心配があります。今回は北大路魯山人の志野に焦点を当てていますので、魯山人の人物に沿った形で志野のお話を進めさせていただくことにしました。 魯山人は歴史上、この志野という焼き物と最も縁の深い人物と言って良いのかもしれません。 幕末から明治維新の動乱期を過ぎ、近代化が進む日本の中で、次第に時代の牽引役は武士に代わって経済人たちが引き受けるようになります。それと同時に、彼らは数寄者としての側面でも、没落する大名家や武士階級から引き継ぐように、茶の湯や美術の世界に再び明かりを灯します。このことは人々の古陶磁器への鑑賞熱を高める役目を果たします。 昭和2年、魯山人は陶磁器研究家の案内で瀬戸地方にあった30を超える窯跡の試掘を行い、古陶磁器の研究に取り組みます。しかし、その試掘ではめぼしい陶片を発見できず、彼が望んだような成果は得られませんでした。 「瀬戸黒」や「黄瀬戸」という名前が指し示すように、それらは昭和2年の時点では瀬戸で焼かれたものと考えられていました。それ故、本当は美濃で焼かれていた志野や織部も、「瀬戸黒」や「黄瀬戸」に続いて瀬戸で焼かれたものだと思い違いされていたので、魯山人が行った試掘でこれらの陶磁器に関わる発見が見つかるはずはなかったのです。 そして昭和5年のことです。魯山人は共に仕事をしていた荒川豊蔵(後の人間国宝)を伴って、名古屋で開催した「星岡(ほしがおか)窯主作陶展」へ出向きます。そして名古屋滞在中、この地の名家の関戸家から、「玉川」という筍の描かれた志野茶碗の名品を借り受けて、鑑賞する機会を得ます。当時この二人は志野焼に心を強く惹かれており、魯山人は「古伊賀・古志野は、日本が生んだ純日本的作風を有することが、第一の権威に値する」と高く評価し、「室町・足利時代の絵画や彫刻に匹敵するほど、ゆるゆるした良い気持ちで見ることができる」とも述べています。また、朝鮮の茶碗に比べても遜色なく、光悦の作品に先駆けるものだと恋い焦がれるようでもありました。 そのような状態でありましたから、魯山人と豊蔵は借り受けた志野焼を目の前にして、時の経つのも忘れて語り合ったそうです。荒川豊蔵は、それから寝床に入った後も眠りに落ちることができずにいました。そして数年前に美濃の窯跡を調べ歩いた時に、たまたま拾った織部の陶片のことを思い出し、いてもたってもいられなくなり、翌朝、魯山人にそのことを話し、早速美濃に出かけることにしました。 この時、普段は金銭的に渋い魯山人も珍しく調査費用を持たせてくれたそうです。美濃では、付近の村人たちに窯跡を尋ね歩き、草むらに分け入って陶片を探したそうです。そしてついに黄瀬戸と鼠志野、そして偶然にも前夜に魯山人と眺めた関戸家の「玉川」と同様の絵付けをされた、志野の向付の陶片を探し当てました。この大発見に豊蔵はしばらく呆然として動くことすらできなかったそうです。そして電報で魯山人に報告し、付近の農家に一週間ほど泊まり込んで捜索を続けました。 この大発見と共に持ち帰った陶片は、魯山人を狂喜させました。改めて魯山人と豊蔵は、人手を揃えて計画的な発掘を行うため美濃へ出向きます。そして、さらに多くの陶片を発掘し、すかさず鎌倉に魯山人が開いた星岡窯に人々を招き、これらの陶片を披露します。 さらに魯山人が営む東京の料亭の星岡茶寮においても、その成果を披露するための会を大々的に開催することとなります。この時になると、この大発見はすっかり魯山人の手柄であるかのように広告されるようになり、魯山人はより詳しい発掘調査にも乗り出し、その成果を文章でも発表するようになります。自分こそが功労者だという自負がある荒川豊蔵は、これらのことに強く抗議をしたようです。しかし、このことを魯山人はアメリカ大陸発見に例えて、「コロンブスは俺で、豊蔵は水夫だ」と語った記録が残されています。 志野という焼物に取りつかれ、その正体を明らかにした最大の功労者が、魯山人であるのか、荒川豊蔵であるのかは一旦脇に置いて、この先、活動を分かつ二人ではありますが、両名とも志野が自らの代表作と呼んでいいほどに極め、数々の名品を世に送り出すことになるのです。 魯山人の志野の作品は、一見、桃山時代の古陶への回帰を思わせる出来栄えです。しかし、実際には彼独自の新しい試みが随所に見られ、そのことが他の陶芸家の模倣を許しません。魯山人は彼の陶芸家としての活動の中で、特に長きに渡って志野を焼き続けています。 当初は当たり前に鉄分の含有量も少なく、白い美濃のもぐさ土をなんの疑いもなく使っていましたが、より鉄分を含み、火色が赤く出やすい信楽の土を用いるようになっていきます。信楽の土は、そのきめ細やかさから強い粘り気を持ち、成形しやすかったのです。もぐさ土を用いた桃山時代の志野は、ほんのりと桜の花のごとく赤味がにじむ程度ですが、魯山人の志野は、信楽の土を用いて研究を重ねるにしたがって、強く赤い鉄錆色を効果的に用いるようになります。 現代の志野焼の陶芸家の多くは、強い赤や鉄錆色と長石の純白との色の対比を、その表現の主軸に置いています。いまになって振り返ると、魯山人はこの表現の先駆者であったように思えます。しかしそこには、彼の厳格な決まり事や節度があったように思えてなりません。 現代の志野の作品は、赤と白が強烈に対峙しあい、色に加えて造形的にも主張が強すぎるため、道具やうつわではなく、鑑賞目的のオブジェであるかのようになっていると感じるのは私だけでしょうか。「うつわは料理の着物」と語っているように、あくまで主人公は料理であることを忘れないよう、魯山人は桃山時代の志野を自身の手で進化させていたようです。魯山人と志野2につづく
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BLOG京都美酒知新
2021.02.22
カクテルが飲みたくなる話「ウイスキー・アレキサンダー」
■西田稔(にしだみのる) 京都木屋町二条「Bar K6」、「cave de K」、「keller」のマスターバーテンダー。2020年開業の「ザ・ホテル青龍 京都清水」内の「Bar K36」を監修。自らもカウンターに立つ。京都生まれ、同志社大学卒業後、東京のバーで経験を積み、1994年に「Bar K6」を開業した。シャンパーニュの将校、グラッパの騎士、クリュッグアンバサダー、ウイスキーコンテスト審査員ウイスキー・アレキサンダーカクテル言葉「初恋の思い出」「アレキサンダー」は、ブレイク・エドワーズ監督のアメリカ映画『酒と薔薇の日々(Days of Wine & Roses)』に登場することでも知られるカクテルです。この映画では、「アレキサンダー」を酒好きの夫から薦めれた妻が、その口当たりの良さに惑わされ、次第に夫婦そろってアルコール依存症に陥っていく姿が描かれています。「アレキサンダー」は、ジンやブランデーをベースにつくることが多いカクテルですが、このコーナーでは、アイラウイスキーをベースにしてスモーキーな香りをまとわせました。生クリームやカカオリキュールを入れるのでまろやかで甘味があり、映画のヒロインではありませんが、つい飲み過ぎてしまいがちなカクテルです。オーセンティックバーでこのカクテルを注文すると、目の前でナツメグをすりおろしてカクテルに入れるバーテンダーを見ることがあります。ところがこれは、日本だけのレシピ。実は、終戦直後の日本では質の悪い生クリームが出回っていて、その生臭さがカクテルに影響を及ぼすことがあり、臭み消しのためにナツメグを入れていたのだそうです。そのレシピが今も残っているのでしょうね。 時代は移り、今は逆に、上質な生クリームの美味しさを感じられる一杯になりました。ひんやりと口当たりのいい「アレキサンダー」は、珠玉の一杯です。とはいえ、飲み過ぎは禁物。ほどよく飲んで、ほろ酔いの心地よさを愉しんでください。カクテルレシピアイラウイスキー ラガヴーリン16年 30mlカカオリキュール 15ml生クリーム 15ml2月のウイスキーラガヴーリン16年をストレートでラガヴーリンはオークカスクの中で最低でも16年熟成させる完成度の高いシングルモルトウイスキーです。ドライでスモーキー、ヨード臭と潮の風味がうまくまとまり、セカンドフィルシェリー樽からくる甘味やフルーティーさが同居しています。口にするとスモーキーでピーティー、正露丸のようなヨード香と磯の香が一気に押し寄せます。けれど、それら薬品香の奥には花の蜜が潜んでいて、最後にドライフルーツ、バニラの甘味と香りがしっかりと感じられる。ラガヴーリン蒸留所のスタンダードウイスキーにして傑作です。ラガヴーリン蒸留所蒸留所は「ホワイトホース」の生みの親ピーター・マッキーの手に渡ったこともあり、ブレンデッド・ウイスキー「ホワイトホース」のキーモルトとして長く使用されている事でも有名です。ストレートでそのまま、香りや味わいを感じていただくのがおすすめですが、ハイボールフロートにしても個性を楽しめます。 ラガヴーリン蒸留所シングルモルトの産地アイラの中でも真っ先に名前が挙がるのがラガヴーリン蒸留所。1816年に農業経営者で蒸留職人でもあったジョン・ジョンストンが、かつて島々の王が根城としていたダニヴェイグ城を望む場所に最初の蒸留所を創業しました。1年後にはアーチボルド・キャンベルが二つ目の蒸留所を創業。ジョンストンの死後、この2つの蒸留所が統合されるなど紆余曲折を経て、ラガヴーリン蒸留所が確立されます。アイラ島の中でも、蒸留に最も長い時間をかける蒸留所として知られ、蒸留時間は最初の蒸留で約5時間、二度目の蒸留で9時間以上を費やします。この製法がラガヴーリン独特の個性をつくりだしている要因の一つと言えるでしょう。戦時中の麦芽不足による一時閉鎖など様々な苦難を乗り越え、2016年、創業から200年を迎えました。■Bar K6京都市中京区木屋町二条東入ル ヴァルズビル2F075-255-5009撮影:ハリー中西
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