食知新ブログ
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BLOG割烹知新〜奇想の一皿〜
2021.02.21
割烹八寸「ロール湯葉」
奇想の一皿「ロール湯葉」かつて追分(京都と大津の境)にあった総敷地面積2万坪以上の大料亭『八新』出身の久保田守氏が50年前に創業。端正で飾らない京料理が高い評価を受け、京都のみならず全国に多くのファンを持つ。物怖じしない性格から多くの陶芸家に愛された守氏は今も現役だが、父の志を受け継ぐ息子の完二氏が采配を振るう。『辻留』の流れを汲む東京・目白の茶懐石『和幸』で約10年、京都に戻って18年。料理の腕はもちろんのこと、カウンターの雰囲気づくりやトークの切れ味もさすがの一言。一流の何たるかを教えてくれる、京都でも指折りの名割烹だ。発想秘話"普段作っている料理とは発想を変えた料理"というお題ですが、僕としては和食から離れすぎるのは嫌なんです。というのも、僕は常々「崩さない」ことをポリシーとしているからです。『八寸』の料理は「和食のお手本となる仕事」を積み上げたもの。ですから「崩し」は、本来やってはいけないことなんですね。とはいえ料理には想像力が欠かせないのも事実です。料理人は頭の中で「これとこれを合わせたらこんな味になるやろうな」と、想像できないといけません。店で出す料理は正統派の京料理ですが、賄いとなれば話は別。パスタの日もあれば、ベシャメルソースを一から手作りすることもあるし、銀杏で作ったニョッキが出てきたことも(笑)。想像力や発想力を鍛える意味でも、賄いでいろんな調理法を試してみるのはありだと思っています。「奇想の一皿」を作るにあたり、「和の材料だけで作る」のが僕の考える最低条件でした。そこで今日は京都らしい食材のひとつ「湯葉」を使って、ロールキャベツをイメージした一品を作ってみようと思います。湯葉で包むタネは、鴨と鱧の2種類。「かも」と「はも」、せっかくなので語感も揃えてみました(笑)。まずはタネ作りから。鴨タネには鴨ロースを作る際に余る手羽の部分を使います。手羽のミンチに玉ねぎやナツメグを加え、箸でスッと切れるぐらいなめらかになるまであたり鉢で摺ります。鱧ダネは鱧のすり身に海老のミンチを加えて糝薯(しんじょう)に。鴨も鱧も片栗粉の代わりに浮き粉を使って、よりなめらかな質感に仕上げます。切り口が市松模様に見えるように、下茹でした京人参と大根をそれぞれのタネで包みます。この状態で一度、蒸し器に入れて10分ほど軽く蒸します。蒸しあがったら、タネを湯葉で巻いていきます。生湯葉は『静家』さんのもの。水にこだわって美山に移住される前からのお付き合いです。汲み上げ湯葉などもおいしいですね。湯葉で巻いてから再び蒸し器で蒸します。一般的なロールキャベツはここからスープで煮込みますが、湯葉は煮込むと固くなるので今回は煮込みません。代わりに自家製のトマトソースをつけて召し上がっていただきます。ソースは玉ねぎをオリーブオイルでよく炒め、トマトとかつおだしを加えて煮詰めたもの。トマトとかつおだしは思った以上に相性がいいですね。煮詰めた後に裏ごして、残った具をさらに濾してソースに戻して......このままパスタソースとしても使えるぐらい、かなり濃度の高いトマトソースに仕上げています。今回は料理が映えるようシンプルな器に盛り付けました。それぞれのタネの味の違いを楽しんでもらって、ソースの量もお好みで加減しながら味わってみてください。オリーブオイルを使いましたが、出汁と喧嘩することもなく、上品なソースに仕上がったと思います。焼き魚などに合わせてもおいしいんじゃないかな。最初に「崩さないのがポリシー」と言いましたが、「崩さない」と「進化しない」はイコールじゃないと思うんです。無理に新しいものを取り入れなくても進化することはできる。むしろ僕は「古い仕事」に興味があって、おやじや年配の板前さん、歴史の古い川魚屋さんに聞いたりして、「古い仕事」を再現しています。「寒鮒の子まぶし」とか、いつの間にか廃れてしまった料理って結構あるんですよ。そういった料理に今改めて目を向けると、逆に新鮮で刺激を受けますね。最初は料理人になる気はありませんでした。おやじにも「しんどい割に儲からん。和食はいずれあかんようになる」と言われてましたし、実際その頃はフレンチやイタリアンが脚光を浴びて、和食が不振の時代だったんです。ところが当時、店の常連さんが「跡を継ぐもんがいないと自分たちの憩いの場がなくなる」と寂しそうに話すのを聞いて、心変わりしたんです。こんな風に思ってくれるおやじのファンのためにも頑張らなあかんな、と思って。『八寸』を大切に思ってくださる方々の思いに応えるために、これからも先達から継承した味と技術を守り伝えていきたいですね。撮影 鈴木誠一 取材・文 鈴木敦子■割烹八寸京都市東山区祇園末吉町95075-561-398412:00~13:30(L.O.)、17:30~20:30(L.O. )日曜休
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BLOG料理人がオフに通う店
2021.02.19
「すし・一品料理 すし昌」-「Gori's Kitchen ゴリーズ キッチン」の足立充憲さんが通う店
Gori's Kitchen ゴリーズ キッチン 足立充憲さん大阪の「Ristorante e Pizzeria SANTA LUCIA」で4年半、修業して、その後、さらに腕を磨くために南イタリアに渡る。現地のトラットリアで働き、帰国後は、大阪の「asse(アッセ)」で5年、さらに腕を磨いた。地元の京都に戻るが、資金を稼ぐのと、他の世界もみておこうということで3年ほど不動産営業の仕事に就いたのち、2016年に自分の店をオープンさせた。窯で焼き上げるナポリピッツァを中心に、足立さん自身が食べたいものをオリジナル料理としてメニューに反映させて、ナポリピッツアの他、前菜、メイン、パスタ、デザートなど多彩な料理を提供している。気取らない店主の人柄そのもの、アットホームな雰囲気の店には、家族連れや仲間同士が集い、いつも賑やかな空気が流れている。「すし昌」の店舗は、観光客でいつも賑わう『みやこみち』の中ほどに位置する。 モダンな店が立ち並ぶ『近鉄名店街みやこみち』は、もともと、昭和39年、新幹線開通と同時に京都駅八条口に近鉄名店街として開業した。現在は、東西約200メートルの間にみやげ店、飲食店、書店など約40店舗の店が立ち並び、京都の南玄関を代表する施設となっている。その中ほどにある「すし・一品料理 すし昌」は、美味い魚と寿司を食べさせる店として、地元京都人をはじめ、観光客や出張ビジネスマンなども数多く訪れる。 主人の松本敏昌さんは香川県の出身。大阪で「専門学校に通っていた頃、寿司店でアルバイトをしたのをきっかけに飲食の世界に入った。その後、うなぎの店や喫茶店のマスターなどを歴任し、平成17年にこの店をオープンさせた。毎朝、中央市場に自ら出向いて、新鮮な魚介を吟味し、仕入れによって品書きを毎日変える。「とにかく美味い魚を食べていただきたいです。うちのお客さんは大体、本日の造りや魚介系の一品料理をいくつか注文されて、締めに寿司、という感じで楽しんでおられます」と松本さん。 Gori's Kitchenの足立さんとはたまたま知り合って、年齢は違うが気があったそうだ。「面白い子でね。イタリアンの店で働いているのに、魚のことや捌き方を勉強したい言うて、頼んできたんですわ。なかなか真面目にちゃんとやってましたよ。一度、携帯に電話したら、眠そうな声で出て、今、イタリアやというからびっくりしました(笑)」。「魚のことを教えてください!と松本さんに頼み込んで、ええよ!と言ってもらって。割に長い間、通わせてもらっていました。若いからこんなことできたんやと思いますけど(笑)、松本さんにはほんまにお世話になりました。でも魚を見る目と捌く技術を教えてもらったのは、僕にとってほんまに大きなことでした」と足立さん。 現在は、互いの店を行き来して、変わらぬ交流を続けているという。店内は座敷、テーブル席、カウンター席がゆったりと配置されている。 足立さんは、この店に来ると、いつも大体、おまかせにするそうだ。「ここではとにかく何をお願いしても美味しいので、造りや焼き物、揚げ物など旬の魚をたっぷりと味わわせていただいています。こちらの好みもよく把握してもらっているので、味はもちろんですが、いつもちょうど良い量で、大満足して帰ります」 初めて来店した人におすすめなのが、お造り、寿司、椀ものがセットになった桶御膳だ。一人前でこのボリュームがあり、「すし昌」ご自慢の魚介料理が一度に楽しめる。今日の造りは、サザエ、甘海老、マグロ、鯛、サーモン。これでお酒をゆっくり楽しんで、その後に、握り9カンを食せば、満腹になってしまうという、かなりのお値打ちだ。 近州米を独自ブレンドしたすし飯は、しっかりとした味わいながら、甘さ控えめで、すっきりと爽やかな江戸前の味。魚との相性がよく、食べ飽きない。寿司や造りにつけて食べる醤油は、故郷、香川県は小豆島の、マルキン醤油の濃口とさしみ醤油を独自ブレンドしたもの。これもキリッとした味わいで魚介によく合う。人気「桶御膳」は、このボリュームで3700円(消費税込み)!すし飯がさっぱりとした江戸前なので、9カン、ペロリとお腹に収まってしまった。魚介の種類は当日の仕入れによって変わる。 松本さんは、すし店を開業する前は、うなぎ店をしていたことから、うなぎ料理も定評がある。国産のうなぎをふっくらと焼き上げ、丸ごと一尾、贅沢にいただけるのが特上うな重だ。真っ白なごはんに、しんなりと重く、艶めくうなぎがどっしりと乗って、それだけで胃の腑が唸る。香ばしい最上の焼き具合、脂が程よく乗って、ほろっフワッととろけるようなうなぎの身、ごはんにタレとうなぎの旨味が染み込んで、これはもう、ただただ、うっとりとなってしまう味わいだ。古くからの常連さんで、注文するのはいつもこれ、という人もいるというのがうなずける。特上うな重4300円。椀物と香の物がついている。本日の新鮮魚介たち。本マグロ、ぐじ、あわび、はまぐり、つぶ貝、香住の柴山港の松葉蟹などの旬魚が、松本さんの手で美味しい料理に仕立てられていく。 「うちは駅近で、地元の企業の方や観光客、外国の方などがよく来られますね。ワイワイしすぎず、大人の方が美味しい魚とお酒と寿司で、ゆっくりと食事を楽しんでいただける店です。これから春にかけて、美味い魚がたくさん出てきますので、ぜひ、御賞味ください」。 今朝、仕入れてきたばかりの魚介を見せてもらうと、キラキラ輝いて、今がまさに食べ頃。駅を降りてすぐという便利な場所に、美味い魚を食べさせてくれる寛ぎの一軒があるとは...!美味しいもの好きには、何とも幸せなことである。主人の松本さんの笑顔に誘われて、こちらもほっこり温かな気持ちになってくる。■すし・一品料理 すし昌京都市下京区東塩小路釜殿町37-7 近鉄名店街みやこみち075-661-6899平日11:00~ 22:00(21:30 LO)無休予約がベター撮影/竹中稔彦 取材・文/ 郡 麻江
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BLOG京の会長&社長めし
2021.02.18
菱高SDB株式会社の社長が通う店「HUNTER(ハンター)」
■小川 敬介(おがわ けいすけ)さん 菱高SDB株式会社 代表取締役1978年生まれ。愛知県豊橋創造大学を卒業後、2003年4月に株式会社菱高SDネットワークに入社。先代である父の跡を継ぎ2020年7月に菱高SDB株式会社代表取締役に就任、障子の貼替、畳の表替えから大型の工場や倉庫、賃貸マンションや自動車ディーラーショールームの設計施工まで幅広く関わることで、建設業を通して明るい豊かな社会に寄与することを目標にして今に至る。現在は今までの事業を展開しながら、スタッフと共に「color your life.自分らしい生活」をコンセプトに「リノベ不動産by菱高SDB」の立ち上げに尽力。その他、トリュフ好きが講じて友人達と共に伊崎屋半兵衛「西洋松露 トリュフ煎餅」を開発、販売。最後の晩餐は、杜氏の奥様お手製の酒粕入りハヤシライス。味もボリュームも大満足。黒毛和牛からエゾシカまで、絶妙の火入れに唸る渾身の肉料理週の大半は外食という小川さん。友人や会社の仲間とよく訪れるお薦めの一軒が、地下鉄丸太町駅から数分の場所にある「HUNTER」だ。2017年にオープンするや、おいしい肉料理を出す店として、たちまち評判を呼んだ。御所南という場所柄、常連には企業経営者も少なくない。「ここは肉の火入れが秀逸なので、肉が食べたい時に行きます。自宅から徒歩圏内ということで、多い時は週2回程利用します。店主の今井さんの人柄がいいし会話も楽しくて、忙しくなる前の早めの時間に行っています」(小川さん)もともと肉好きという小川さんだが、この店との出合いは偶然だった。「青年会議所活動の帰り、友人たちと普段通らない道を歩いていた時に偶然前を通りがかったんです。何の予備知識もなく入ったのですが、頼んだ料理はどれもおいしいし、今井さんとは同い年で共通の友人も多いことがわかって話が盛り上がり、それから通うようになりました。一緒に行った人は皆喜んでくれます」元は倉庫だったという店内は、カウンターを中心に20席ほど。木材を多用した造りに、厨房のカラフルな迷彩柄や壁のイラストが楽しい。店主の今井良太さんはここをアルバイトスタッフと2人で切り盛りしている。「小川さんが最初に来られたのはオープンしてすぐの頃。遅い時間に来られてめちゃくちゃ食べはりました(笑)。それからちょくちょく来てくださるようになって。食べることがお好きなのでおいしいお店の情報交換をしたり、共通の友人の話をしたりしています。小川さんが料理を温かいうちにどんどん食べてくださるんですが、見ていて気持ちがいいですね」(今井さん)ここでは牛、豚、鶏から猪や鹿などのジビエまでさまざまな肉を扱う。祇園の「レストラン マエカワ」出身の今井さんはフレンチの技法をベースにしながらも、肉の種類や部位、肉質などに合わせて、和食や中華、エスニックなどのテイストも取り入れた料理をアラカルトで提供。豚のリエットや田舎風パテのようなものもあれば、ビーフンや餃子などが登場することも。「『マエカワ』ではコースのメインや温かい料理をやらせていただいていたので、そこで培ったものをベースに、スパイスを使うなど自分なりのやり方を加えたりしています。お肉は種類が豊富でものによっても全然違うので、その日入る肉ごとにどう調理してどう仕上げるかを考えます。特に今の時期一番面白いのはやっぱりジビエですね」と、今井さん。食材や料理の話に熱がこもる。使用する肉は信頼する大阪の業者や猟師を通して全国から入手。北海道のエゾシカなど特定のもの以外は、産地を決めずいいものがあれば仕入れるという。「今井さんの焼くことへの情熱と愛情はすごいと思います。彼が焼くところを見るのが楽しくて、いつもカウンターに座ります」(小川さん)肉を焼くのが大好きという今井さん。肉に特化した店を始めたのもそのことが大きいと話す。「この焼き加減にしたら確実にいい感じになるな、などと考えながら料理するのが面白くて。この肉やったら焼いたほうがおいしいなあとか、バターをちょっと利かせたほうがええかなとか、仕事というより趣味の延長のような感覚かもしれません(笑)」「食べやすい上に、スパイシーでお酒にも合う」と、小川さんが必ず注文するのがフランス産ウズラを使った名物の「うずらもも肉のからあげ」1200円。塩で下味をつけたウズラを揚げ、クミンやハーブをつけて仕上げる。ウズラはくせがなくジューシーで、程よい辛さにお酒が進むこと請け合い。8本がずらっと並ぶ様子もなかなかのインパクト。その日の肉によってソースが変わる「牛のロースト」4800円も、小川さんのお決まりの一品。「肉の焼き加減がとてもいい。コスパもよくていつも楽しみにしています」と、小川さん。60度の低温でじっくり加熱したあとフライパンで焼き、炭火で仕上げる。今回の肉は岩手・北上牛のイチボで、北海道の無農薬の根セロリを使ったピューレ、赤ワインソース、タスマニアのマスタードを敷き、仕上げにフランスの塩をトッピング。肉はやわらかくまろやかな味わいで、噛むと旨味がしみだしてくる。少し酸味のあるソースがよく合う。写真は小川さん用の350グラムで、通常は200グラム。鹿の角をつけたビールサーバーなど、この店らしい遊び心が見られる。小川さんが頼むのはハイボールだが、店ではワインも人気。メニューのワインのほか今井さんが集めたナチュールワインも多数ストック。「印象に残る料理を作って、食事を楽しいものにする力添えができたら」と、今井さん。そのためにも積極的にお客とのコミュニケーションを図っているそうだ。「話さないとその人の好みもわからないし、会話してその人の特徴を知れば何ができるか考えられるので」お客との対話の中からその人が喜ぶ料理を用意するという今井さんに、小川さんはじめ常連は厚い信頼を寄せる。「お客さんの顔を見てお薦めの肉を変えたりしてくれる。あの人に任せといたら何でもおいしく食べさせてもらえると思います」(小川さん)予算は飲み物代も含めて7~8千円。撮影 エディ・オオムラ 文 山本真由美■HUNTER京都市中京区東洞院通夷川下ル壺屋町533-2 武内ビル1F075-708-5566営業時間 18時~22時(LO)※水曜のみランチ営業あり(11時30分~なくなり次第終了)定休日 木曜、第3水曜※営業時間は状況により変更の場合あり。お店にお問い合わせください。
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BLOGうつわ知新
2021.02.01
信楽焼3
今回は「信楽焼」の器について梶さんにレクチャーいただき、京都和食界の雄「祇園さゝ木」の佐々木浩さんに料理をおつくりいただきました。佐々木さんの出身地滋賀の焼き物「信楽焼」に、どんな料理を盛りつけるか。上品でありつつも躍動感のある佐々木さんの美しい料理をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。信楽焼と日本料理杉本貞光氏作の信楽長方鉢信楽焼のなかでも、茶席で使いたくなる品格ある作風の人もいます。杉本貞光氏がそうです。自然釉がかかっていない部分は明るいオレンジ色が出ています。これを信楽では火色と呼ぶそうです。このオレンジ色の部分がこげ茶色に発色することもあるようですが、それは粘土に含まれる鉄分の加減と陶芸家の窯の操作によって生み出されるようです。信楽焼の自然釉は、緑色を帯びたガラス状に結晶するため、ガラスを意味するポルトガル語のビードロと呼ばれます。 信楽焼2より風干し鰯の炙りと鯛の奉書巻「信楽焼は、私の出身地滋賀県の焼き物です。今回、どんな器に料理を盛らせていただくかと考えたとき、まず信楽焼をと思いました。 この器は梶さんの解説にもあるように上品な作風です。一年の最初を祝う、節分のお料理を盛るのに最適だと感じました。 節分といえば、鰯と大豆。鬼は鰯の匂いを嫌うことから、鬼を追い払うために、節分の日には鰯を焼き、頭は柊の枝に刺して、戸口にかけておくという風習があります。 今回は風干しした鰯を炙ったものと鯛の子の奉書巻を用意しました。豆まきに用いる福豆を散らし、この器の美しさを引き立てる柊の実を飾りました。」佐々木さんこれは辻清明作氏の信楽窯変盤です。彼の活動拠点は信楽ではなく東京であったため、信楽に住み、信楽の空気を吸っている陶芸家の作品とは異なる趣を持っています。中央に真紅の火色を出すことに成功していますし、そこから横方向に引っ掻いたような激しい線で中央が爆発しているように演出された、エネルギッシュな作品になっています。側面に刻まれた波模様も現代的なセンス溢れる作品です。風炉の敷板にも使えそうな大きな盤だけに、うつわとして使うと迫力があります。信楽焼2よりまながつおの味噌漬け 大根と蕪、胡瓜の酢の物 「この変盤を最初に見た時、中央の深紅の火色がポイントだと思いました。 ですから、中央には何も盛らず、皿として見た時にも作品の迫力を伝えることができればと思いました。 器自体がそれだけで絵画のように美しい。赤の部分をできるだけ残して、その赤色に添うような、黄色の料理を盛りつけると決めました。 手前にはまながつをの味噌漬け。奥には、味噌漬けを食べた後に、口の中をさっぱりとさせてくれる、大根と蕪の酢の物。黄味酢を散らして彩を添えるとともに、躍動感を表現しました。」佐々木さんこちらは北大路魯山人の信楽の茶碗です。茶碗に料理を盛るなどけしからん、と叱られそうですが、桃山時代の古信楽には、複数の人で取り廻す盛り鉢はあっても、ひとりの人が直接口をつける様な茶碗や向付はほとんど存在しません。信楽焼の特徴を「自然釉を使った焼物」と考えるならば、釉薬の掛かっている方向は正面のみのはずですが、この茶碗は45度斜め方向からも釉薬の痕跡が見受けられます。その不自然さから、魯山人自らが作為として釉薬を掛けて景色を演出したことがわかります。高台を低く小さく削り出し、高台脇を水平に整えた、手のひらに収まりの良い円筒形の茶碗です。魯山人の茶碗は、食器に比べると気のないような作品も多く見られるのですが、この茶碗は気持ちの入った作品に仕上がっていると思います。 信楽焼2よりお碗代わりの温菜(クエの葛うち、胡麻豆腐、金時人参、うぐいす菜、黄柚子)「贅沢にも魯山人作の茶碗を使わせていただきました。深みがあるので、お碗に見立て、クエや胡麻豆腐とともに冬の京野菜、金時人参やうぐいす菜を盛り込みました。 覗き込んだときに、上品な色彩が目に入ってくるよう、白、緑、赤、黄色をバランスよく盛り込んでいます。 寒さ厳しい2月に味わっていただく雪中仕立て。温かさがじんわりと体に染みわたるお料理です。」佐々木さん祇園 さゝ木味はもちろんこと空間や劇場型のもてなしまですべてが「ほかにはない」と評され人気を博す京都を代表する料理店。店主の佐々木浩さんは、客を驚かせ喜ばせる達人で常に新しい料理を模索して作り上げる。その日仕入れた筍や鮑をピッツアの石窯で焼き上げ、洋テイストの味わいに仕上げるなど、従来の和食の範疇を超える料理も多い。客前で生きた蟹をさばく、鮨を握って手渡すなど躍動感ある演出もこの店の魅力。グループ店に割烹形式で一品料理を味わえる『祇園 楽味』、さゝ木の料理と鮨の両方を味わえる『鮨 楽味』、洋食など酒に合う料理で飲める『食ばあー楽味』がある。■祇園 さゝ木京都市東山区八坂通り小松町566-27電話:075-551-5000営業時間:12:00~14:00、18:30~いずれも一斉スタート土曜 17:00~、19:30~一斉スタート定休日:日曜日、第2・第4月曜日、不定休あり■祇園 楽味京都市東山区祇園町南側570-206電話:075-531-3773営業時間:終日2部制第1部17:30~20:20(最終入店18:30)、第2部20:30~23:00(最終入店21:30)定休日:日曜日、第2・第4月曜日、不定休あり■鮨 楽味電話:050-5597-8015営業時間:第1部17:00~、第2部19:30~ 一斉スタート定休日:日曜、第2・4月曜
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BLOGうつわ知新
2021.01.31
信楽焼2
今回は「信楽焼」の器について梶さんにレクチャーいただき、京都和食界の雄「祇園さゝ木」の佐々木浩さんのほか、グループ店の「祇園 楽味」水野料理長、「鮨 楽味」野村料理長に料理をおつくりいただきました。「信楽焼」の解説については、信楽焼その1「歴史」信楽焼その2「それぞれの器解説」の2回に分けて配信いたします。「信楽焼」の歴史や世界観をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。 まずご紹介するのは、杉本貞光氏作の信楽長方鉢です。 信楽焼は本来焼き締めの陶器ですから、野趣あふれる姿がその見どころと思われがちです。ところが陶芸家によっては、荒々しい野趣が際立つ作風の人もあれば、茶席で使いたくなる品格ある作風の人もいます。その違いを、陶芸家はどのようにして作り分けられるのか、私はまだ見出せていませんが、この杉本貞光氏は後者の人です。 自然釉がかかっていない部分は明るいオレンジ色が出ています。これを信楽では火色と呼ぶそうです。このオレンジ色の部分がこげ茶色に発色することもあるようですが、それは粘土に含まれる鉄分の加減と陶芸家の窯の操作によって生み出されるようです。 信楽焼の自然釉は、緑色を帯びたガラス状に結晶するため、ガラスを意味するポルトガル語のビードロと呼ばれます。 これは辻清明作氏の信楽窯変盤です。彼の活動拠点は信楽ではなく東京であったため、信楽に住み、信楽の空気を吸っている陶芸家の作品とは異なる趣を持っています。中央に真紅の火色を出すことに成功していますし、そこから横方向に引っ掻いたような激しい線で中央が爆発しているように演出された、エネルギッシュな作品になっています。 側面に刻まれた波模様も現代的なセンス溢れる作品です。風炉の敷板にも使えそうな大きな盤だけに、うつわとして使うと迫力があります。 続いてご紹介するのは、北大路魯山人の信楽の茶碗です。茶碗に料理を盛るなどけしからん、と叱られそうですが、桃山時代の古信楽には、複数の人で取り廻す盛り鉢はあっても、ひとりの人が直接口をつける様な茶碗や向付はほとんど存在しません。 信楽焼の特徴を「自然釉を使った焼物」と考えるならば、釉薬の掛かっている方向は正面のみのはずですが、この茶碗は45度斜め方向からも釉薬の痕跡が見受けられます。 その不自然さから、魯山人自らが作為として釉薬を掛けて景色を演出したことがわかります。高台を低く小さく削り出し、高台脇を水平に整えた、手のひらに収まりの良い円筒形の茶碗です。魯山人の茶碗は、食器に比べると気のないような作品も多く見られるのですが、この茶碗は気持ちの入った作品に仕上がっていると思います。 何度も申し上げているように、桃山時代に作られた焼き締めの茶碗はほとんど存在しません。それ故に、もし、古い信楽の茶碗に出会えたなら絶対購入しようと、いつもアンテナを張っていましたし、幾度か手に入れてみたこともありました。 しかしそれらの茶碗を自分の所有物として眺めているうちに、メッキが剝がれるように時代の若さが見えて来て、ガッカリさせられてばかりでした。 この茶碗は1800年代半ばに活躍した表千家10世家元の吸江斎が「信楽新焼茶碗」と最初から箱に記して「山猿」の銘を与えています。つまり自ら、桃山以降の茶碗だと名乗っている茶碗です。とても固く焼きしまっていますので相当な熱量をかけたことが想像されます。自然釉の景色は見られませんが、備前の火襷の景色のように、赤い火色が複雑に絡みついたような焼き上がりです。高台は低く広く、荒々しく削り出してあり、畳にどっしりと座る姿をしています。山猿として野山を駆け回って暮らしている躍動感と筋肉感に溢れた作品です。その魅力を作り手の作為として訴えてくるところが桃山時代の作品らしくないところです。 美を積極的に創り出すことに成功していることが、まさに新しい時代の感性なのだと思います。「作品なのか」「道具なのか」、そういう観点でいうならば、桃山の作品は、作品である前にまず道具であると言えるでしょう。 作品としての作者の作為は、その道具の後ろに息をひそめて隠れているものだと思っていますが、新しい時代のものであるが故、この茶碗は作者の作為が隠れきれず、激しい削りの姿になって見えているのです。難しい話をしましたが、それでも唸るほどに魅力ある茶碗です。左)杉本貞光作 蹲花生、 左手前)信楽新茶碗 銘山猿、右手前・奥)北大路魯山人作 信楽徳利、右)信楽水指 写真の左手前は、すでに解説をさせていただいた信楽新焼茶碗「山猿」です。その右隣と奥にある徳利は北大路魯山人の作品です。 この徳利は未使用であるためか、まだ糊のきいた白いワイシャツのようで柔らかさがありません。いつの日かお酒好きの誰かが、たっぷりお酒を吸った肌に仕上げてくれるのを期待しています。 魯山人は信楽焼の作品を作るときに限らず、好んで信楽の陶土を用いていることは以前にお話をしたと思います。私は信楽に足を運んで陶芸家とお会いする度に、魯山人の足跡を尋ねるのですが、いまだにそのことをご存じの方に出会うことがありません。 相当な量の信楽の土を使い、作品も数多く残っていることから、誰かが焼き方を指導したり、土の手配をしたりしていたはずです。たかだか60年ほど前にはこの世に暮らしていた人物です。ぜひ信楽での彼の足跡を探し当ててもらいたいと思います。 写真右端は信楽の細水指です。赤みのさした素直な景色がいかにも信楽的ですが、これが伊賀であったなら、複雑に厚くビードロをかぶり、どうだ!と言わんばかりの主張があるでしょう。下部が黒くなっていますが、これはこの部分が灰に埋もれた状態で焼きあがったことで生まれた景色です。 写真左端は杉本貞光氏作で、蹲(うずくまる)と呼ばれる花生です。人がうずくまったような形に見えることからその名があります。肩のところに施された桧垣(ひがき)模様が信楽独特のものです。桧垣模様は古典作からずっと見られる文様です。信楽は肌が明るい色なので、花を生けるととても華やぎます。詫びていながらも華やいだ空気感を出せるのも信楽の特徴だと思います。信楽焼3につづく今月の記事を書き上げるのに際して、信楽の上田直方ご夫妻には沢山のご指導を賜りました。この場をお借りして感謝申し上げます。
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BLOGうつわ知新
2021.01.30
信楽焼1
今回は「信楽焼」の器について梶さんにレクチャーいただき、京都和食界の雄「祇園さゝ木」の佐々木浩さんのほか、グループ店の「祇園 楽味」水野料理長、「鮨 楽味」野村料理長に料理をおつくりいただきました。「信楽焼」の解説については、信楽焼1「歴史」信楽焼2「それぞれの器解説」の2回に分けて配信いたします。「信楽焼」の歴史や特徴など世界観をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。信楽焼1 大学を卒業後、サラリーマン生活をスタートさせた私の最初の担当地域は、信楽を含む滋賀県の甲賀地域でした。そのお陰で、数えきれないくらい信楽へは通わせていただきました。 お出かけになった方もおいでになるでしょうが、信楽は山間部に開けた高原盆地で、いまでこそ高速道路が開通し便利になりましたが、以前は宇治、草津、伊賀、水口(みなくち)など四方に隣接するどの町からでも、山道をクネクネと車で30分以上登らなければなりませんでしたから、信楽が営業担当地域に入っているだけで、仕事上では随分と負担になったものです。 社会人駆け出しの私は、与えられた仕事をどうにかこなすことに精いっぱいで、信楽の町の事に興味を持って、学ぶ余裕もありませんでした。ですから、奈良時代に紫香楽宮(しがらきのみや)が造営され、甲賀寺(こうがでら)という古代寺院が存在したことについて調べようと思ったこともなければ、その遺跡の横を幾度通り過ぎても、車を停めて眺める余裕すら持ち合わせていませんでした。 いまさらながら、山間の盆地に都を造営しようと試みた理由を信楽の人たちがどう考えているのか尋ねてみたところ、奈良へ行くにも京都へ出るにも、あるいは伊勢方面や名古屋へ向けて行くにも、それぞれの方向へ山を下っていけば、同じくらいの時間で到達できる要の位置にあるのが信楽なので便利だったのだろうと言うことでした。 ずいぶん昔に読んだ本の中に、信楽焼の起源について記されたものがありました。信楽から山を下った琵琶湖の南部、水口(みなくち)地区や甲南(こうなん)地区に須恵器の窯が存在し、それらの職人が更なる陶土や窯の燃料を求めて、信楽の山を登り、移って来たのではないかと記載されていました。そして、そのやきものを用いて紫香楽宮や甲賀寺の屋根瓦なども製造し、そこからの技術発達が現在の信楽焼に続いているのだと解説されていました。 ところが、近年の第二名神高速道路の建設に先駆けて行われた建設予定地周辺の発掘調査の結果、古信楽焼の窯跡から見つかったのは古常滑焼の影響を強く受けた陶片だったのです。つまり奈良時代に焼かれていた須恵器が発達して、現在の信楽焼に繋がったのではなく、平安後期の12世紀頃、誰かが計画的にこの信楽に焼物産業を立ち上げる目的で、常滑からの技術を導入したのだということが明らかになってきたのです。その際、信楽の地が選ばれた理由は、先にもお話した上質な陶土を産出し、豊富な燃料を確保でき、各方面の消費地へのアクセスが容易な街道の要に位置していると言うことだったと考えられているのです。 火山列島の日本は、陶土の原料となる花崗岩(かこうがん)に恵まれています。花崗岩は地下深いところで溶岩がゆっくりと凝固したもので、長石(ちょうせき)・珪石(けいせき)・雲母(うんも)などの小さな結晶体が集って出来た岩石です。これが風化して、微細な砂となり、地殻変動によって地表近くに現れて来ます。それが雨に流されて古代の琵琶湖の底に堆積し、動植物の死骸などの有機物と混じり合いました。やがてその地層が隆起し、その上に生えた苔や植物、朽ちた木々などとも混ざり合って、気の遠くなるような時間を経て、焼物に適した粘り気やコシのある信楽の土になったのです。 信楽焼を語るとき、ひとつ紛らわしい存在があります。それは信楽から峠ひとつ隔てた土地で生産された伊賀焼です。私も信楽焼と伊賀焼の見分けがつくような気になるまで、随分時間を要しましたが、それでも自分の見解が正しいかどうか怪しいと思っています。しかし、信楽焼を語るうえで、この違いを語ることは避けて通れないことなので、私の考えをお伝えしようと思います。正しいかどうかということよりも、ひとつの考え方として参考にしていただければ幸いです。 今月の解説を書き始める前に、実際に信楽に赴いて学び直す必要があると感じた私は、信楽焼茶陶の第一任者の6代目上田直方氏を訪ねることにしました。氏とは知り合って30年近くなりますが、その変わらないフレンドリーな人柄に甘えて、奥様も交えて多くのお話をお聞かせいただきました。わざわざ足を運んで、経験を通して学ぶことの大切さを改めて感じる時間でした。 まず、古信楽焼と古伊賀焼の土は違うのだろうかと言う問題から始めましょう。私は以前、このことを調べたとき「両者は土が違うのだ」として、細かく研究されている文献に出会いました。その詳細な調査資料から、私は「両者は土が違うのだ」説を支持してきました。 しかしそれ以降、展覧会や茶会、オークションで出会った古信楽と古伊賀から「なるほど両者は土が違う」と感じたことはありませんでした。このことを上田直方氏にぶつけたところ「両者の土が異なっていると言うより、採取した場所や深さが少し違えば、土は異なるのです。また、粘土として使える状態にするまでに、石や不純物を取り除いたり、異なる土とブレンドしたり大変な労力が必要なのです。」と教えていただきました。 どこの産地でも当たり前のことですが、採集後に土は陶芸家のイマジネーションを以て粘土へと作り上げられているのです。作品に込められる作家の作為(さくい)は、この土を掘って、粘土へと整える段階から始まっていることに改めて気付かされました。 信楽焼は焼きあがった表面に多数の長石の石粒を見ることが出来ますが、これは作家が粘土を作るときに調節して混ぜているのだと思っていましたが、その逆で沢山の石粒を取り除いていることを教えていただきました。そしてこんな根気のいる作業は、奥様が担当されているともお話しいただきました。また石だけでなく枯葉や枝などの木屑などが適度に取り除かれていなければ、作品を破損させ、水漏れの原因にもなるのだそうです。そういった石や不純物は、焼き物の景色になるので、歓迎されるものだと思い込んでいましたが、何事も頃合いが大事なのですね。 このように粘土が、人の手によって調節されていることと、採取する場所の加減で土は容易に表情を変えるものだとすれば、同じ山の峠を挟んで異なる斜面から採取されたことだけで信楽焼と伊賀焼を区別できるのだと思い込むことはナンセンスですね。 ちなみに水をつかって粘土の粒子を整える水簸(すいひ)と呼ばれる作業を信楽では行わないのだそうです。粘土の粒子が細かく整うと、信楽焼の野趣が消えてしまうというのが理由だそうです。 次に窯の話ですが、信楽焼は一度の焼成、伊賀焼は複数回焼成されることで区別するという話です。私は、これが信楽焼と伊賀焼の決定的な違いだと思っていました。一度焼きの信楽焼は、表面に付着している長石の石粒も、焼成後も石粒としての原型を留めているし、窯の中で舞い上がった灰が表面に付着して流れ現れる自然釉の景色にも複雑さが見られません。 片や伊賀焼では表面の長石の石粒は度重なる焼成のため溶けているし、自然釉も幾度も被ることで厚く複雑な景色を見せて、時には炭化した燃料が付着して黒く焦げたような部分まで見受けられる。これをもって両者を区別することが、私を含め多くの皆さんの考え方だと思っていました。 ところが、そのことを区別する決定打だと思うのも違うのではないか、と上田氏は教えてくださいました。信楽焼でも複数回焼成するケースもあるのだそうです。 氏がそのあと続けてお話になった「伊賀は信楽に比べ、執念深く数寄者の意向を反映させた焼物ではありませんか」という言葉は、両者の違いスッキリさせてくれる表現だと思いました。確かに信楽焼は茶道具だけではなく、様々な日用品を手掛けてきた歴史があるので、土味で魅せる以上のことに執着が少ない。ところが伊賀焼は茶道具専用の窯のような出発点なので、数寄者のこだわりが執念のように、その複雑な形や景色に表現されている。これは感性の違いを両者の国境線としたお話なので、焼物を長く見てきた人にしか伝わらないかもしれませんが、このことをお伝えきることが今回の収穫だと思います。 よく「花生で耳の無いのが信楽焼で、伊賀焼には耳がある。」と言われていますが、これは傾向としては正しくても、実際に特徴として確かとは私には思えません。それよりも、数寄者のこだわりで区別することの方が私は納得できるように思えます。 現在において、信楽も伊賀も堂々たる焼き物の産地でありますが、実は伊賀焼は、開窯の時期もはっきりとはわかっていません。 恐らく1580年頃から茶会に登場するようになり、1630年頃にはその活動を終えたのではないかと考えられており、そして100年強の時を経て、1750年頃に再興されたことになっています。そして再興された伊賀焼は、焼き締めの窯ではなく釉薬を掛けて焼いた施釉陶をその主流として現在に至っているのです。 茶の湯の道具に軸足を置いて、信楽と伊賀を見た場合、どちらも釉薬を掛けず焼成する焼き締めと言われる焼物だと思ってしまいます。 ところが上田直方氏の奥様が奇妙なお話を聞かせてくださいました。上田家は信楽の職人の中では変わり者で、焼き締めの茶陶の作品を作り続けている家は、以前は2軒くらいしかなく、多くの窯元は「信楽の土は良質なので、どんなものでも作れる」と言うアドバンテージを利用して、火鉢・植木鉢・風呂釜・狸の置物などを作って日本の市場を席巻したそうです。この陶磁器産業とも言うべきものが信楽を潤したため、茶陶の仕事は決して信楽の代表的な焼物とは言えないのだそうです。その結果、ここ信楽においても伊賀と同じで、焼締めではなく施釉の陶器が主流となってしまっているのです。 私は古美術商という職業柄、信楽焼も伊賀焼も等しく釉薬を掛けない焼き締めの陶器だと思っていますし、ほぼそれしか取り扱っていません。そして以前にもお話ししましたが、古い時代に作られた焼き締めの陶器は、直接口をつけるようなうつわ類である、茶碗・向付・飯碗・銘々皿等はほとんど存在しません。そんなことから、今回もうつわとしてご紹介出来た信楽焼は現代陶の杉本貞光氏の作品だけでした。 しかし、いまの信楽は、陶磁器の制作環境が整っていることから、国内だけでなく世界中からアーティストが集まる町になっています。そして伝統的な美しい茶陶の作品に留まらず、モダンアートと呼んで良いような良質な作品までもが、バランスよく生み出される町だと言えます。MIHOミュージアムや陶芸の森美術館などにも立ち寄れば、浸るように美術と接することができるでしょう。素晴らしい信楽焼に出会いにお出かけください。信楽焼2につづく今月の記事を書き上げるのに際して、信楽の上田直方ご夫妻には沢山のご指導を賜りました。この場をお借りして感謝申し上げます。
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BLOG京都美酒知新
2021.01.29
カクテルが飲みたくなる話「ウイスキー・マティーニ」
■西田稔(にしだみのる) 京都木屋町二条「Bar K6」、「cave de K」、「keller」のマスターバーテンダー。2020年開業の「ザ・ホテル青龍 京都清水」内の「Bar K36」を監修。自らもカウンターに立つ。京都生まれ、同志社大学卒業後、東京のバーで経験を積み、1994年に「Bar K6」を開業した。シャンパーニュの将校、グラッパの騎士、クリュッグアンバサダー、ウイスキーコンテスト審査員Whisky Martini ウイスキー・マティーニカクテル言葉「知的な愛」1979年に出版された『ザ・パーフェクト・マティーニ・ブック』には、268種類ものマティーニのレシピが掲載させれているそうです。マティーニはまさに「カクテルの王様」といえる存在でしょう。映画『007』シリーズのなかで、主役のジェイムス・ボンドが「Vodka Martini, Shaken, not stirred(ウォッカマティーニを。ステアせずにシェイクで」とセリフを決めるシーンがあります。本来ならばジンでつくるマティーニをウォッカで、それもシェイクして、かつ混ぜないでとオーダーするのです。この意表をついたカクテルがうけ、ウォッカマティーニが流行しました。その後も、『007』シリーズでは、このカクテルが定番になったのです。また、2006年に公開された『007 カジノロワイヤル』では、ボンドが「ゴードンジン3、ウォッカ1、キナリレ1/2をよくシェイクしてシャンパングラスに注ぎ、レモンと皮を入れてくれ」と細かなレシピでマティーニをオーダーします。このマティーニは、そのときに登場したボンドガールの名前から、ヴェスパー、あるいはヴェスパー・マティーニと呼ばれるようになりました。昨年、初代のジェームス・ボンドを演じられたショーン・コネリーさんが逝去されました。彼は、長年スコットランドの独立運動を支持したことでも知られる愛国心の強い方でした。そんなショーン・コネリーさんを偲び、今回はスコットランドにある蒸留所のウイスキーを使ったマティーニをつくりました。カクテルレシピ季の美 45mlアランウイスキー10年 15mlオレンジビターズ 2dash1月のウイスキーアラン10年でつくるウイスキーソーダスコットランドのアラン蒸留所でつくられる「アラン10年」は、ファーストフィル(ウイスキー熟成に始めて使う樽)のバーボンバレルで熟成させた原酒をメインに、シェリーホグスヘッド(容量220~250lの樽・豚一頭分の重さに近いことからこの名がついた)で熟成させたシングルモルトを、バランスよくヴァッティング(大きな樽でモルトウイスキー同士を混ぜ合わせる)させ、10年間寝かせたもの。あたたかみのある金色で、香りはハチミツのほか、砂糖漬けのシトラス、リコリス、バタースコッチと多彩。アランの特徴でもある清らかでフルティーなモルトの味わいを感じられるフラッグシップウイスキーです。グラスにまずは氷を入れてアラン10年を注ぎ、軽くステアして温度を下げます。そこに冷えたソーダを加えてステア。温度差を少なくすることで、ウイスキーとソーダをうまくなじませることができます。アラン蒸留所1995年にスコットランド・アラン島のロックランザ村に誕生した蒸留所です。独立資本経営で、ブレンド用の原酒づくりではなくシングルモルトウイスキーのみを生産する数少ない蒸留所です。昨今、世界各地で産声を上げるクラフト蒸留所のパイオニアとして知られ、4基の小型蒸留器で丁寧に蒸留を行います。■Bar K6京都市中京区木屋町二条東入ル ヴァルズビル2F075-255-5009撮影:ハリー中西
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BLOG京のとろみ
2021.01.29
「更科本店」のたぬききしめん
新京極商店街にある更科本店さん。こちらは京都では珍しい「きしめん」のお店だ。外観や店内の雰囲気も味があって居心地がいい。メニューにはうどんや蕎麦もあるがやっぱり看板のきしめんを頼んでしまう。そして冬場は迷わず「たぬききしめん」一択!関東で「たぬき」と言えば天かすの入ったうどんやそばのことで関西では揚げの入ったそばのことを指す。揚げの入ったうどんは「きつね」である。ところが!京都で「たぬき」と言えば揚げの入った餡かけのうどんやそばのことになる。ややこしい・・・なので、更科本店さんで「たぬききしめん」と注文すると「揚げ入りの餡かけきしめん」が出てくる。濃いめの出汁にとろっとろの餡、たっぷりのおろし生姜。きしめんとは言え、そこは京都!コシとは無縁のやわやわの麺がしっかり出汁を吸いまくる。だしを飲む感覚で麺が喉を通っていく。そして凄いのが揚げの分厚さである。こちらも出汁を吸いまくりまるでよく煮込んだおでんの厚揚げみたい。京都の冬には欠かせない「たぬき」うどんやそばもいいけど是非とも「きしめん」を試してみて欲しい。「たぬききしめん」癖になります。
ハリー中西
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