食知新ブログ
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BLOG割烹知新〜奇想の一皿〜
2021.06.18
杦(せん)「麻婆白子豆腐」
奇想の一皿「麻婆白子豆腐」『菊乃井』や『和久傳』といった京都を代表する名店で修業し、『祇園ろはん』では料理長を務めた杉澤健さん。2018年にオープンした自身の店『杦』では"総合芸術"としての日本料理を提供すべく、四季折々の年中行事に則った繊細なもてなしで迎えてくれます。発想秘話5月はメイン食材が乏しい時期でもあり、このタイミングで「他のお店がしないようなことをやってみようか」という気持ちで取り組んでみました。随分前からうっすらとした構想はあったのですが、ちょっと勇気が必要で(笑)。今回、僕が「奇想の一皿」に選んだ料理は麻婆豆腐です。とはいえ、使うのはオーソドックスな和の食材ばかり。料理の世界でもここ最近「再構築」という言葉をよく耳にしますが、和のパーツを用いて新しい料理を組み立てていこうと思います。麻婆豆腐に欠かせない豆腐には、鯛の「白子豆腐」を使います。今回はこの「白子豆腐」と自家製の粉山椒を使うのがポイントです。粉山椒は今年初めて作ってみたのですが、色鮮やかで香りが良く、「これで何か作りたいな」と思ったことから、今回の料理が生まれました。右上の鮮やかな緑の粉が大原の実山椒から作った自家製の粉山椒です。ほかに生姜、葱、味噌、ぐじ、黄にらが入ります。白子豆腐には鯛の白子を使っているため、本当は具材にも鯛を使いたかったのですが......今日はいいぐじがあったので、こちらを使います。ぐじをほどよい大きさに切ります。打ち粉をし、唐揚げにして麻婆豆腐の具材にします。カットが大きいですか? 修業先(室町和久傳)の影響もあって、基本的に大きく切るのが好きなんです。芸舞さんからも「おとうはん、もっと小さく切って」とよく言われます(笑)。白子豆腐をサイの目に切ります。酒蒸しにした白子を裏ごし、出汁、調味料、くずを加えてよく練り、一晩固めたものです。白子自体に塩分があるので、ほとんど味は入れていません。今日は鯛の白子を使いましたが、ふぐで作ることもあります。店では椀だねにすることも多いですね。太白の胡麻油で香味野菜を炒め、香りが立ったら味噌を溶いた出汁を加えて麻婆豆腐の素を作ります。出汁に溶く味噌は普段から常備している田楽味噌っぽい甘い味噌で、焼き無花果のペーストと混ぜて鴨肉に添える無花果味噌にしたりと、いろんな味噌だれのベースになります。辛子酢味噌の素になる白味噌バージョンもあり、料理によって2種類の味噌ベースを使い分けています。白子豆腐は蒸し器で2分くらい軽く蒸し、ぐじの切り身は唐揚げに。白子豆腐は熱を加えすぎると溶けてしまうので、火を通し過ぎないよう注意します。本当は行者にんにくも入れたかったのですが、時期的に難しかったため黄にらで代用しています。どちらもあっさりしていてにおいも残らないので、普段からよく使う食材です。白子豆腐が煮崩れない程度に土鍋を煮立て、仕上げに粉山椒を振って完成です。今日はごはんと一緒に召し上がっていただくイメージで、かなりしっかりめの味付けにしています。ビールにも合うと思いますよ。僕は辛い味付けが大好きなので、自分で食べるなら黒七味も振りたいですね。伝統的な和の仕事である白子豆腐に田楽味噌、ぐじ、香味野菜、山椒......使っているのはどれも一般的な和の食材ですが、目先の変わった一品になったと思います。今回のような試みについてですか? きちんと基本を押さえた上で、たまにこういう(創作的な)こともやっていけるといいですね。同じことばかりしていても成長できませんし、伝統を守りながら新しいことにチャレンジするのは有意義だと思います。ただ最近つくづく思うんですが、僕らが考え付くようなことなんて、既に誰かがやっているんですよ(笑)。そう思うと僕らが出来ることなんて、せいぜい新しい科学技術を取り入れるとか、(流通や栽培システムの進化によって)今まで扱えなかった食材を使ってみるとか、そういう部分でしかないのかなって。とはいえ、昔からやっている仕事を今の技術で焼き直したり、再構築したりということはまだまだ可能だと思うんです。日本料理には歳時記に寄せてたくさんの決めごとがあります。料理だけでなく器や道具、お花、しつらい......さまざまな要素が特別な体験を形作っている。僕はそういった日本文化を大切にしたいので、6月のこの時期は玄関に茅の輪を用意しますし、スタッフも皆、普段からお茶やお花のお稽古に通っています。これからも日本料理の伝統と文化を守り、次の世代にしっかり伝えていきたいですね。 撮影 鈴木誠一 取材・文 鈴木敦子■杦(せん)京都市下京区五条通柳馬場上ル塩竈町379075-361-887312:00~15:00、17:30~22:00水曜休(不定休あり)
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BLOG料理人がオフに通う店
2021.06.17
「H.Splendideアッシュ・スプランディード g旬風庵」-「Osteria S.Puro」徳江聡さんが通う店
「Osteria S.Puro」(オステリア・エスプーロ)徳江聡さん福島県生まれ。若い頃、故郷のスパゲティ店でアルバイトをしていた頃から、「料理は面白い!」とこの世界へ入った。24歳の時に縁あって京都へ。イタリアン・リストランテやフレンチの名店で修行を積み、2018年、42歳の時に自宅から自分の店を開いた。「イタリアンとフレンチの両方の世界を知っているので、自分らしく融合させた料理をお出ししたいです。リラックスしていただきながらも、きちんとしたレストランの味とおもてなしを提供したいと思っています」。素材を何より大切に、日々、心を込めて、素材を生かした料理を提供している。長いアプローチの向こうにようやくドアが見えてくる。 下京区新町通り高辻上ルの細い路地。奥へ奥へと導かれて行くとようやく店の入り口にたどり着く。オーナーシェフの井手 弘昭さんは、旧京都ホテルを皮切りに、京都ホテルオークラ、リッツカールトン大阪などの有名ホテルで腕を磨き、2004年に、まず、創作フレンチの店「旬風庵」をオープンした。町屋ブームの先駆けとして、また、和のテイストとフレンチのクロスオーバーを楽しめる店として、一躍人気店に。 その3年後の2007年、一つの原点回帰として純然たるフレンチを目指して、1日限定4室のみ、個室フレンチのレストランをオープン「アッシュス・プランディード」もスタートさせた。その後、あまりの多忙さに、「旬風庵」は知人のシェフに任せたが、数年後、そのシェフが独立したのちは、自分も大好きだという洋食店として、「旬風庵」をリスタートさせ、現在は、2店舗を切り盛りしている。 紹介者の「オステリア・エスプーロ」徳江聡さんは、実は、井手さんのもとで料理を学んだ。「素材ありき、素材を大切にするという基本姿勢は、井手さんから学んだものです。一つひとつの素材を大切に発掘して、旬一番の美味しさをいかに引き出すか。いつ訪ねても、ブレない料理をいただけるし、今も勉強させていただいています」(徳江さん)。今も、互いの店を行き来しながら、親しい交流を続けている。「オーソドックスなフレンチをベースにしていますが、たとえば昔の調理法だと肉や魚を高温で外側を固くこんがり焼いて旨味を閉じ込めるというのが主流でした。今は、低温調理など、少し低温でじっくりと火入れをする方が、素材がふっくらと美味しく仕上がったり、瑞々しい食感を生かせたりするので、新しい時代の調理法も柔軟にとりいれて、素材のポテンシャルを最大限に引き出す料理を心がけています」と井手さんは話す。 全ての料理の基礎となる素材は、20年以上付き合いのある、信頼できる仲買や店から仕入れている。野菜は滋賀県や京都府下で、無農薬、低農薬野菜を作る農家と提携する八百屋さん、魚介は現地の漁港に赴いて直接産地とつながる魚の仲買さん、肉は昔ながらのやり方で肉の熟成をしっかりと行う肉屋さんなど、それぞれ、目利きの店主が強い想いを持って食材を取り扱っている店からのみ、食材を仕入れているという。店内は全て個室。大切な人との大切な時間を、気兼ねなくリラックスして過ごしてほしいという思いからこのスタイルにしたそうだ。空間やおもてなしもレストランを彩る重要な要素となる。 料理は、昼・夜ともに、全てシェフお任せのコース。アミューズから始まり、デザートに至るまで、ご自慢の素材のオールスターが楽しめるような、ワクワクする構成になっている。 はじまりにふさわしい前菜の一皿は、『天然クロマグロ 彦根の福原さんのグリーンアスパラアボカドのダンバル仕立て』。「その後に続くメインディッシュまでしっかり楽しんでいただくために、前菜では野菜のソースを使ったり、ハーブで爽やかさを添えたり、スタートに相応しく、軽やかな味わいを意識しています」 絵画のような美しさの一皿は、シェフが惚れ込んだ野菜たちが、ハミングしているような瑞々しさで盛り合わされている。それぞれの野菜に最適な温度帯で、皮一枚ほどの絶妙なところで火入れを止め、甘みを引き出しつつ、アルデンテな食感をのこす。弾むようが味わいに、ビーツやパセリといったフレッシュなピュレをつかったソースがからんで鮮やかなアクセントに。タンバルの隠し味には、醤油とタバスコをほんの少し利かせて、味の深みや重なりの面白さを実感させてくれる。お花畑のように華やかな前菜。マグロやアボカドのトロみのある食感と、野菜のサクッ、シャッとした歯触り、レモンの香りを生かした、じゃがいもフレークのパリパリ感など、食感のハーモニーもまた素晴らしい。 目に染みるような緑は、グリンピースの冷製スープ。旬のグリーンピースをピュレにして、新生姜のソルベをふわりと浮かせている。スープが甘い!力みなぎるグリーンピース本来の甘みが最大限に引き出されて、冷たく、青い香りとともに、口の中に満ちてくる。その甘さにちょうど、新生姜のピリッとした辛味が絶妙の相性を見せる。 おもわずおかわりをしたくなるほど、魅力的な味わいだ。鮮やかな冷製スープ。食欲を刺激するだけでなく、これからのどんな美味しい料理に出会えるのか?コース料理への幸せな予感を運んでくれる一皿。本日の魚料理はオマール海老と、オオモンハタのポアレ。オマール海老は80℃ぐらいの温度でゆっくりとボイルして、ふっくら仕上げて甲殻類のソースを、また香ばしくポアレしたハタには、香気豊かな九条ネギのソースを加えて、バターをモンテしたソースで、二つの味わいをまろやかにつなげている。魚料理にも旬の野菜がたっぷりと使われている。盛り付けのセンスも心憎い。フランスだけでなくジャパニーズワインも多彩に取り揃えている。山梨や、長野の優れたワイナリーを訪ねて、質が高く、コスパがよいワインを常に探し求めている。ボトルワイン3850円〜、グラスワイン690円〜 料理の素材にせよ、ワインにせよ、自分が納得のいく素材を仕入れて、素材本来の味を生かしきることに日々、心を砕く。そんな井出さんの姿勢に惚れ込み、その審美感にかなうよう、素材を提供する仲買などの店側も努力を惜しまないのだろう。「良い素材に出会えてこそ、僕の仕事はまっとうできると思っています。本当にいろいろな人の努力に支えられて、僕自身が料理をさせていただいていると思っています。これからも丁寧にきちんと仕事をして、それがお客様の喜びにつながっていけるようにしていきたいですね」 静かな個室でゆったりと寛いで、井出さんの思いがこもる美しい料理を、ひと皿ずつ、愛でながら、じっくりと味わいたい。■H.Splendideアッシュ・スプランディード g旬風庵京都市下京区新町通り高辻上ル岩戸山町430-1 075-353-6185営業時間 12:00 ~ 14:30(LO13:00)、夜 18:00 ~ 21:30(LO20:00) おまかせコース料理のみ。昼4180円〜、夜11000円〜(税・サ込み)水曜・木曜定休※要予約撮影/竹中稔彦 取材・文/ 郡 麻江
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BLOGうつわ知新
2021.06.15
義山(ギヤマン)3
今月のテーマは「義山(ギヤマン)」です。西洋文化とともに日本にもたらされた義山について梶さんに解説いただきました。1回目は義山の歴史や種類について。2回目はそれぞれのうつわの見方や解説です。そして、3回目は、野菜をメインにしたフレンチレストラン「青いけ」の青池啓行シェフとのコラボレーションです。青池シェフが輝く義山のうつわに彩美しい料理を盛り付けてくださいます。「義山の世界」をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。義山(ギヤマン)3 これこそが「義山」呼ぶにふさわしい蓋茶碗です。多くのガラスのうつわには、刻印などが刻まれていないため、産地や年代の判定が困難です。「バカラ」も1940年以前の作品には、紙製のシールが残されているのを稀に見かけますが、「Baccarat 」の刻印が刻まれているのが常ではありません。日本人がバカラ社に自らのオリジナル設計で発注をするのが 1901年以降でありますから、1940年までの間に刻印のない品物が輸入されていたことが想像されます。料理屋では「義山」をさらに美しく輝かせて見せるため、うつわの下に南鐐のうつわを敷いてお使いになる事も多く見かけます。義山2より目板鰈のカルパッチョ うすいエンドウ豆のピュレとマイクロハーブ「蓋つきの美しいうつわなので、まずは蓋をしたままでお客様のもとへ。 この料理は、コースの最初にでるアミューズといったかんじでしょうか。 蓋を開けたときに、わあ~っと声をあげていただければと思い、6月らしく若葉のような清々しさや瑞々しさのある料理にしました。 薄く切った目板鰈にうすいエンドウ豆の青々しい香り、マイクロハーブの香味を添えています。この時期から脂がのっておいしくなる目板鰈を爽やかな風味で味わっていただけます。 素晴らしいガラス器なので、今回はうつわを主役にしたいと思っていました。料理の色目は少なく、クリスタルの輝きを静かに受け止めるようなものです。 義山のカットの美しさや金縁の豪華さを、下に敷いたシルバーのうつわがより輝かせてくれる組み合わせ。まずは、うつわの美しさをご堪能ください。」青池啓行シェフ 写真では伝わりにくいのですが、たっぷりしたサイズの鉢です。恐らく1800年代後半のバカラのものでしょう。日本人の注文品ではなく、西洋で平たいボウルとして使われていたものを、日本人が持ち帰ったのではないでしょうか。端午の節句に粽をのせて、あるいは清涼感ある夏の菓子をのせて茶会で使いたいものです。義山2より農園野菜15種類のプレッセ 葉野菜のブーケと玉ねぎソースを添えて「当店のスペシャリテといえる一皿です。 京都北山近郊の農園でつくられた新鮮野菜を使っています。 生が美味しいものは生で、茹でたり蒸したりと火入れしたほうがいいものは、控えめな火入れで、それそれの野菜の持ち味を引き出し、プレッセにしました。 甘みのある玉ねぎのソースで召し上がっていただきます。 この料理もさきほどのアミューズと同じく、主役はうつわです。 クリスタルの美しさを見ていただくために、お皿一杯に料理を盛るのではなく、余白をたっぷりと残しました。 料理と義山の組み合わせで、初夏の風や涼味を感じていただければ幸いです」青池啓行シェフ青池啓行(あおいけ ひろゆき)1975年、京都府生まれ。京都ホテルで修業を開始。現【レストラン スポンタネ】(※1日4組限定のフレンチレストラン)の谷岡シェフに師事する。その後、26歳でヘッドハンティングされて市内のカウンターフレンチ【パリの朝市】のオープンに参画。これを含め、フランス料理店5軒で立ち上げに関わる。39歳で京町屋を改装し、【Restaurant 青いけ】を開業。現在に至る。青いけ青池啓行さんが、2014年京都・御所南に開いたフランス料理店。中村外二工務店設計の端正な店内で味わえるのは、野菜の持ち味を存分に生かした季節のコースです。コースには30~50種もの野菜が使われるのが特徴で、女性はもちろん健康を気遣うヘルシー志向の食通にも評判。1階では、シェフの調理や盛り付けを間近に見られ、カウンター席の醍醐味を満喫できます。■青いけ住所:京都市中京区竹屋町通高倉西入塀之内町631電話:075-204-3970営業時間:12時~13時30分(L.O) 、18時~19時30分(L.O)定休日:日曜、不定休あり
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BLOG京のとろみ
2021.05.31
「とん吉」のクリームコロッケ
ラーメン激戦区!京都一乗寺にとんかつ店「とん吉」はある。一乗寺は全国的に有名なラーメンの街。有名店が軒を連ね、とん吉の隣もラーメン店だ。とんかつが人気のとん吉だがクリームコロッケのファンも多い。とんかつとクリームコロッケがセットになった定食もある。私はこのセットの定食を注文することが多いのだが、今回はクリームコロッケのみの選択でオーダー。小さめとんかつとコロッケ、とんかつ2枚のダブル、とんかつ・エビフライ・コロッケの盛り合わせなど定食の種類も豊富だ。そして定食に付いてくる豚汁がめちゃくちゃ旨い。サクサクの衣の中には程よいとろみのクリームがたっぷりと入ってる。これだけでも充分に旨いのだが、かかっているソースがたまらなく良い。野菜と果物を煮込んで作ったソースは少しとろみがかりご飯との相性バツグン。とんかつもコロッケも、ソースは共通でご飯が進みまくる。このとろみのある魔法のソースを瓶詰めして売り出したら大ヒットするだろう!ソースはたっぷりとかかってくるので、コロッケはもちろん千切りのキャベツに絡めてもご飯のおかずになる。このソースを一滴も残したくない私は、2個目のクリームコロッケはソースと共にご飯に乗せてコロッケ丼にして食べる。クリームコロッケ丼!最高だ!
ハリー中西
料理カメラマン
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BLOGうつわ知新
2021.05.29
義山(ギヤマン)2
今月のテーマは「義山(ギヤマン)」です。西洋文化とともに日本にもたらされた義山について梶さんに解説いただきました。1回目は義山の歴史や種類について。2回目はそれぞれのうつわの見方や解説です。そして、3回目は、野菜をメインにしたフレンチレストラン「青いけ」の青池啓行シェフとのコラボレーションです。青池シェフが輝く義山のうつわに彩美しい料理を盛り付けてくださいます。「義山の世界」をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。義山(ギヤマン)2 これこそが「義山」呼ぶにふさわしい2種の蓋茶碗と四方向付です。と言いたいところですが、四方向付は恐らく「バカラ」を写した「江戸切子」ではないかと私は思っています。また千筋の蓋茶碗も欧州の産地不明なものですが、日本人の特別な注文品でしょう。このように多くのガラスのうつわには、刻印などが刻まれていないため、産地や年代の判定が困難です。「バカラ」も1940年以前の作品には、紙製のシールが残されているのを稀に見かけますが、「Baccarat 」の刻印が刻まれているのが常ではありません。日本人がバカラ社に自らのオリジナル設計で発注をするのが 1901年以降でありますから、1940年までの間に刻印のない品物が輸入されていたことが想像されます。料理屋では「義山」をさらに美しく輝かせて見せるため、うつわの下に南鐐のうつわを敷いてお使いになる事も多く見かけます。 左側の大きな蓋物は1800年代後半のバカラです。恐らくはキャンディーケースだったのでしょう。日本のうつわとしては使い勝手の悪いもののように見えます。ところが、蓋・身・皿と個別に見れば、蓋はともかく、身と皿は素晴らしい「義山」の鉢として楽しめるのです。右側のコンポートも1800年代後半のバカラなのだそうです。ただしバカラといっても必ず切子とは限らず、質の高くない鉛ガラスも存在していて、これは型にはめてプレス成形されたものです。また透明度も低く弾いても澄んだ音がしないことから、鉛の含有率も低いことが見て取れます。しかし、日本のうつわにはないデザインなので、夏のお菓子を盛ってみたいと手に入れたものです。このように「義山」も切子風に見せたプレス成型のものもありますので、注意して見てください。 写真では伝わりにくいのですが、たっぷりしたサイズの鉢です。恐らく1800年代後半のバカラのものでしょう。日本人の注文品ではなく、西洋で平たいボウルとして使われていたものを、日本人が持ち帰ったのではないでしょうか。端午の節句に粽をのせて、あるいは清涼感ある夏の菓子をのせて茶会で使いたいものです。 左は肉厚なボディにシンプルで深く大胆なカットが施されています。女性は茶室で取り廻すことを嫌がるだろうと思うほど重たい鉢なので、それを思うと日本人の注文品ではないでしょう。入れられたカットがシンプルなので、ガラスを透して料理がハッキリ見える面白さがあります。これはバカラではなく他社製品かもしれません。実はバカラ社は経営問題で、同じフランスのサンルイ社 (Saint-Louis)と1816年~1829年の間、統合されていたのです。ですから統合期間後もサンルイとバカラの製品はとても見分けが難しいのです。これはそのような品ではないかと思っています。 現在、バカラ社には中国の資本が大量に入り、中国企業のような様相を呈しています。一方、バカラより歴史が古いサンルイ社は、現在エルメスグループの企業になっています。そんなことで、日本人の多くはバカラを高く評価してきましたが、今後その見方に変化があるかもしれませんね。 右側の瑠璃色の鉢は英国のブリストルグラス(Bristol)です。以前から稀にオークションで見かけることはあったのですが、手に入れるまでの気持ちにはならなかったのですが、ついにある日、魔がさして落札したのです。ところが落札の時点では、このガラスの正体がわからなかったのです。オークションの出品主に尋ねても、インターネットで様々な言葉で検索してみても、何の手がかりも見つけられませんでした。 ある日、私のアシスタントのひとりが白洲正子さんの本で類似品の写真を見たことがあると、手がかりを示してくれました。その本にはフランス製と思われるガラスと記されていました。これで一件落着と思ったら、ある日、弊店のお客様のひとりが「ブリストルかな?」と呟いて、後日、その資料をご持参くださいました。その資料にはこの作品と同じデザインのうつわが数種類紹介されていました。そして解説には、1921年に東京の島津邸に於いて島津斉彬侯の偉業を称えた「薩摩切子陳列会」が開催され、そこにこの「ブリストルグラス」が「薩摩切子」として出品されていたというエピソードが紹介されていました。上流階級の名士の所有物だった品々に紛れていたため、誰もがその真贋に疑いの目を向けず、「薩摩切子」と誤解され陳列されていたのだそうです。 このことは後日、訂正されたようですが、18世紀後半から1920年まで生産されていたこの「ブリストルグラス」も、欧州から押し寄せた文明開化もののひとつとして「義山」の仲間にいれてやりたいものです。私は、5年ほど前にイギリスを訪問しロンドンから電車で2時間弱のブリストルの街近くまで足を延ばしましたが、出会った人でブリストルグラスを知る人は誰もいませんでした。案外日本の数寄者たちの所有物だったからこそ、綺麗に保存されているのかもしれません。2009年にサントリー美術館で開催された「一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子」展にもブリストルグラスは参考出品されていたそうです。義山3につづく
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BLOGうつわ知新
2021.05.28
義山(ギヤマン)1
今月のテーマは「義山(ギヤマン)」です。西洋文化とともに日本にもたらされた義山について梶さんに解説いただきました。1回目は義山の歴史や種類について。2回目はそれぞれのうつわの見方や解説です。そして、3回目は、野菜をメインにしたフレンチレストラン「青いけ」の青池啓行シェフとのコラボレーションです。青池シェフが輝く義山のうつわに彩美しい料理を盛り付けてくださいます。「義山の世界」をお楽しみください。梶高明梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。義山(ギヤマン) 今月は「義山(ギヤマン)」についてお話をさせていただきます。そういえば以前にも、「義山」を取り上げた記憶がありましたので、さかのぼってアーカイブを探してみました。すると、ちょうど一年前に「水無月のうつわ」として取り上げており、そこでおおよそのことについてお話をしておりますので、今回は少し切り口を変えてお話をさせていただきたいと思います。 わが国でも平安時代まではガラスが作られていましたが、それが途絶えたため、ガラス製品といえばどこか輸入品のイメージを私たちは持ってしまいます。 初めて日本にガラスがもたらされたのは1543年の鉄砲伝来と同じころだったと考えられています。鉄砲をもたらしたポルトガル人は、彼らの言葉でガラスを意味する「ビードロ(vidro)」を日本にもたらしました。 しかし、「ビードロ」は薄手の吹きガラスのことですから、厚いガラスにカットを施した「義山」とは異なる種類です。 鉄砲が伝来した時代は大航海時代と呼ばれ、ポルトガルやスペインを中心に、新しい交易国や植民地の開拓が盛んに行われていました。キリスト教の布教を先行させて、まるで人々を正しい宗教に導くかのように見せかけて行われる巧妙な植民地化政策や、交易される品目は物品に留まらず、奴隷売買がその主な事業に含まれていて、日本人もその対象であったことは教科書では教えられていません。実際には、多くの日本人が奴隷として世界で取引されたようです。このような状況を当時の権力者の織田信長や豊臣秀吉はどれくらい把握していたのでしょうか。 九州を平定した豊臣秀吉は長崎の地がイエズス会の直轄領として勝手に寄進され、日本の所有でなくなっていたことを知らされます。またこの頃、日本人奴隷が家畜のごとくの扱いを受けていることをハッキリ認知するに至ったようです。これらのことに激怒した秀吉は1587年にバテレン(宣教師)追放令を発令し、その後、キリスト教を禁じる方向へと進んでいきます。 時は流れて関ヶ原の戦いがあった1600年、ポルトガル人が種子島に現れた57年後、オランダのリーフデ(慈愛)号が現大分県臼杵市の黒島沖に漂着します。多くの乗組員は豊臣秀吉亡き後の権力者になった徳川家康の庇護を受けて帰化し、多くの情報をもたらします。やがて幕府が開かれ、秀吉同様にキリシタン勢力の台頭に頭を悩ませていた家康は、キリスト教の布教を伴わない交易を約束したオランダを優遇し、同時に鎖国政策を進めるなかで、交易を明国とオランダに絞るようになります。 そしてそのオランダとの交易でもたらされたのが、吹きガラスの「ビードロ」ではなく、厚手のガラスにカットを施した、オランダ語でダイヤモンド(diamant) を意味する「切子ガラス」、つまり「義山(ぎやまん)」だったと言われているのです。 当時の欧州の「切子ガラス」はチェコの「ボヘミアグラス」か、イタリアの「ベネチアングラス」がその主たるものだったので、日本に渡ってきた「義山」もそれだったのではないかと言われています。フランスのバカラは1764年にようやく設立されていますので、オランダとの交易でもたらされたものではありません。ちなみに日本語の「ガラス」の語源もオランダ語の「GLAS」に由来するのではないかと言われていて、ガラスの原料になる「硝石(しょうせき)」を元に、当て字で「ガラス」を「硝子」と表すようになったと考えられているのだそうです。 話を本題に戻しますが、「義山」が厚手のカットガラス、つまり「切子ガラス」を意味する言葉であることをお解かりいただけたと思いますが、装飾的なカットを行う以前に、厚手のガラスを作ることに技術が必要だったため、ポルトガル人が「ビードロガラス(吹きガラス)」とその製造技術を伝えた後も、日本人は厚手のガラスに装飾を加えた「切子ガラス」を生み出すまでには長い時間を要しました。それは主に厚く成形したガラスを冷やす「徐冷(じょれい)」の技術を持っていなかったため、割れてしまっていたようです。 欧州から日本に伝えられたガラスはいずれも、鉛を含む「鉛ガラス」の製造技術でありました。手吹きでそれを製造し続けた結果、鉛による健康被害で職人たちの寿命は極めて短く、技術を習得し一人前になるまでに長い時間を要することもあり、ガラス産業の発展は職人たちが命を削ってきた歴史と言ってもよいのです。 「義山」は「切子ガラス」を意味し、それは鉛を含んだガラスです。この「鉛ガラス(lead glass レッドグラス)」を、日常、私たちはクリスタルガラスと呼んでいます。それは鉛が健康に害を及ぼすイメージを回避するために使われているようです。ガラスに鉛が含まれると、硬くなり、光の屈曲性が高まり、透明度も上がります。つまり装飾的なカットをされたガラスがさらにダイヤモンドのように煌めくようになるのです。また弾くと澄んだ金属的な音を響かせます。しかし硬度が増せばカットを施す作業が困難になるだけでなく、もろく欠けやすくもなるため、加工には高い技術も必要となります。そのような結果からも「義山」は希少で高価なものとして、数寄者たちの好むものとなっていったわけです。 私たちが今日「義山」と呼んでいるのは、和製の「切子ガラス」ではなく、概ね舶来の「切子ガラス」を指しています。そして古い時代の舶来ガラスの現存数が少ないこともあって、その主たるものは、1901年(明治34年)に大阪の宝石商、安田源三郎氏によって持ち帰られ、それをきっかけに日本の複数の商売人によって注文輸入されたフランスのバカラ社のものです。その中の代表が、大阪の茶道具商の春海商店の発注によるものとして、「春海バカラ」と呼ばれるのです。春海商店には当時の設計図が残されていると、現在の当主からお聞きしたことがありますが、それが書籍などとして公開されているわけではないため、私たちは「春海バカラ」か、他のものかの区別を、箱に押された春海商店の刻印や貼り紙を手掛かりにする以外にはありません。 「義山」の出現はオランダとの交易に始まるとお話をしましたが、現実にはその時代のものは市場に流通していません。ですから「義山」として私たちが取り扱い、皆様がお使いになっている「義山」も大体はこの「春海バカラ」か、同時期に輸入された同等の舶来の「切子ガラス」のことで、懐石道具や茶道具として明治以降に発注輸入された、日本向けの「うつわ」なのです。 ガラスは本体に刻印がない限り、その作られた場所の特定が難しく、「義山」と呼ばれながらも、実は日本の「江戸切子」などであることも少なからずあります。普通、国産のものは「江戸切子」「薩摩切子」あるいは単に「切子」として呼んで舶来の「義山」と曖昧な区別がされています。 このように「義山」は明治後期に日本人が設計発注したバカラ製の茶道具としてのうつわを表すことが多いわけです。それではなぜそのバカラ社のうつわが高い評価を得たのでしょう。それはうつわの重量に対して30%以上の鉛を含んだ「フルレッドグラス(full lead glass)」と呼ばれる品質だったからと思われます。鉛の含有率が24%以上30%未満の通常の「レッドグラス(lead glass)」に比べて透明感と輝きが異なることが大きな原因です。 幕末の頃、日本でも鉛を多く含んだ「切子ガラス」が江戸や薩摩で生産されていました。しかし日本の茶人たちが欧州に「義山」を発注したのは一体どういう理由だったのでしょう。私ども古美術商のオークションの中でも滅多にお目にかかることはないですが、超高額で取引される「薩摩切子」は1851年に島津斉彬(なりあきら)の手によって研究が進められ、その製造に成功しました。ところがわずかに7年後、斉彬の急死により工場は閉鎖され、1863年の薩英戦争でイギリスの艦砲射撃を受けてその施設を焼失させてしまったと言われています(異説もあります)。「江戸切子」も同じく幕末の動乱期に安定した生産ができず、結局は日本の茶人たちの欲求を満たすことはできなかったのでしょうね。 さらに明治維新にかけて西洋から大量に押し寄せた文明開化物の目新しさに日本国中が踊らされてしまい、国産品より舶来品の方が飛びつきやすかったのでしょうね。義山2につづく
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BLOG京都美酒知新
2021.05.26
カクテルが飲みたくなる話「マルガリータ」
■西田稔(にしだみのる) 京都木屋町二条「Bar K6」、「cave de K」、「keller」のマスターバーテンダー。2020年開業の「ザ・ホテル青龍 京都清水」内の「Bar K36」を監修。自らもカウンターに立つ。京都生まれ、同志社大学卒業後、東京のバーで経験を積み、1994年に「Bar K6」を開業した。シャンパーニュの将校、グラッパの騎士、クリュッグアンバサダー、ウイスキーコンテスト審査員マルガリータカクテル言葉「悲恋」ロサンゼルスのレストラン「テール・オ・コック」のバーテンダー、ジャン・デュレッサー氏が創作したとされるカクテル「マルガリータ」。1949年のUSAカクテルコンテストで3位に入選した作品です。カクテル言葉の「悲恋」が表すように、このカクテルには、彼の悲恋が潜んでいます。若き日、恋人のマルガリータと二人で狩猟に行った際、彼女が流れ弾にあたって亡くなってしまいます。その女性を偲んでつくったのが、このカクテルだといわれているのです。本来ならば、グラスのリム(縁)全体に塩をつけるところ、今回は、半分はインスタントコーヒーを付けた特別バージョン。ベースになるテキーラにコーヒーの香りがとても合う。少し濃いめの「ネスカフェ・エクセラ」が私のおすすめです。よく冷えた材料と氷をシェイカーに入れて混ぜ、塩とインスタントコーヒーをリムに付けたグラスに注ぎます。最初は塩が付いた部分から口をつけて飲み、その後コーヒー側で味わうと、その違いがよく分かります。塩とコーヒーが付いた境目の部分から飲むのもいいでしょう。ほろ苦い、悲恋の味を感じてください。カクテルレシピパトロンシルバー(テキーラ) 40mlコアントロー 15mlレモンジュース 15ml塩とコーヒーをリムに付けたグラス5月のウイスキー白州 ノンヴィンテージ南アルプスの清冽な水と自然の恵みに育まれた、清々しい香りとすっきりした味わいのシングルモルトウイスキーです。白州蒸留所が持つ多彩な原酒の中から、ブレンダーたちが理想のモルトを選び抜いて生まれました。森の若葉のように瑞々しく、軽快な味わいが特徴。ほのかにスモーキーフレーバーを備えたモルトと、複雑で奥行きのある原酒が合わさっています。ソーダ割にして、ミントの葉を添えることで、より青い森の香りが広がります。白州蒸留所サントリーが、山崎蒸溜所とは異なるタイプのモルトウイスキー原酒を求めて全国各地を調査して出合ったのが、日本有数の名水地である"白州"です。1973年、サントリー第2のモルトウイスキー蒸溜所が"白州"に開設されました。長い年月をかけて、南アルプスの山々をくぐり抜けた地下天然水は、ほどよいミネラルを含むキレの良い軟水で、この水で仕込まれた原酒は軽快で穏やかな味わいを持っています。白州蒸溜所におけるウイスキーづくりの特長は、大きさや形状の異なる蒸溜釜を使い分けるほか、貯蔵(熟成)工程でも様々な樽を使い分けるといった世界にも類を見ない多彩な原酒のつくり分けです。発酵工程では、保温性に優れた木桶発酵槽にこだわり、乳酸菌などの微生物の働きによって、白州ならではの独特な風味を生みだしているのです。サントリーHPより■Bar K6京都市中京区木屋町二条東入ル ヴァルズビル2F075-255-5009撮影:ハリー中西
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BLOG割烹知新〜奇想の一皿〜
2021.05.25
炭火割烹 いふき「鮑のガスパチョ」
奇想の一皿「鮑のガスパチョ」店主の山本典央さんは、京都北部の舞鶴出身。祇園町の割烹などで経験を重ね、2005年に炭火焼をメインに据えた新しいスタイルの割烹『炭火割烹 いふき』をオープンしました。自由な発想と緻密な思考を基に、上質な魚介類や肉、ジビエなどを鮮やかに調理。臨場感あふれる焼き場の景色を楽しみながら、ここでしか味わえない刺激的な料理に出合える一軒です。発想秘話僕にとって「夏野菜」は大きなテーマのひとつなんです。毎年この時期になると新しいチャレンジがしたくなる。気温が上がってくると、みずみずしいトマトや胡瓜の水分が恋しくなりませんか? やはり身体も自然と時季の食材を求めるんですよね。そんなわけで今回は夏野菜を使ったガスパチョを作ることにしました。ガスパチョって、もともと農夫たちが畑でお茶代わりに飲んでいたもの。トマトはグルタミン酸が豊富で、南欧やポルトガルではだし代わりにも使いますし、和食に取り入れてもまったく違和感ないと思うんです。ただし色が......。トマトの赤って、和食の流れの中ですごく異質に感じませんか? 僕にはどうもしっくりこない。そこで今回は「ある処理」をして、トマトの赤色を取り除いてしまいます。僕は新しい料理を考えるとき、まずは各要素をバラバラに分解するところから始めます。例えば今回作るガスパチョなら、それぞれの素材がどんな働きをしていて、どのパーツを外すとどんな影響が出てくるのか。トマトがなければ、うまみと水分がなくなる。でも逆にうまみと水分さえあれば、赤い色はなくても構わない......そんな風に考えを膨らませ、アイデアを形にしていきます。主な材料はトマト、水茄子、万願寺唐辛子。そして鮑。味のアクセントに胡瓜と独活(うど)も使います。水茄子はやはり泉州産がおいしいですね。うちでは毎年、泉州の三浦農園の水茄子を使っています。トマトと万願寺はそれぞれ串に刺して炭火で焼きます。トマトはつぶしやすいようしっかり焼く。万願寺もしんなりするぐらいまで火を通します。香ばしい香りが付くだけでなく、味もぎゅっと凝縮されます。一方、水茄子は中心に火が通り過ぎない程度に素揚げします。焼き茄子でも悪くはないのですが、焼くなら長茄子のほうが適しているかな。鮑も炭火で焼きますが、事前に立て塩程度の塩を加えた昆布だしで蒸し煮にしています。生のまま焼くと縮んでしまいますが、こうすることで身が縮まず、ふっくらと香ばしく焼きあがるんです。そしてこれがガスパチョの主役となるトマト。焼いたトマトを串から外し、ミキサーにかけます。つぶしたトマトを力づくで絞ると赤い色がでてしまうので、丸一日ふきんの上に乗せたままにしておきます。すると重力で自然と水分が下に落ち、透明なトマトだしがとれるわけです。こんな感じになります。一見、トマトのしぼり汁には見えないのに、味わいはフレッシュなトマトそのもの。グルタミン酸のうまみがしっかり感じられるはずです。この透明なトマトだしに、先ほどの鮑、万願寺唐辛子、水茄子をそれぞれ漬け込み、一日かけて味を含ませます。水茄子もこんな感じで......。あとは適当な大きさにカットして、水茄子の上に鮑やほかの野菜を盛り付けます。万願寺、独活、胡瓜はこまかくカットして鮑の上に。苦みや青臭さがいいアクセントになるんですよ。仕上げに貝と相性のいい紫蘇オイルをかけて完成です。でもこれが最終形ではないんです。さらに改良を重ねて、より進化したものをいつかメニューに載せてやろうと思っています(笑)。炭火焼って「ただ焼くだけ」と誤解されがちなのですが、下処理や焼き方、調味料の使い方などによって、驚くほど多彩な表現が可能なんです。例えば今回の鮑のように、「事前に蒸し煮にする」とか、「魚のたんぱく質が固まり始めるぎりぎりの温度帯で一度火を通しておく」とか、食材のおいしさを底上げする手法はさまざま。最近はガストロパック(減圧加熱調理機)を使った下ごしらえにも注目していて、いいものはどんどん取り入れていきたいですね。伝統的な和食の技術を習得し、実践していくことは非常に重要だと思います。しかしそこで満足するのではなく「その上で自分は何を表現したいのか」と考えると、僕はやはり炭火焼の可能性をもっと追求していきたい。これまで和食の世界では「科学的な視点」が欠けていたように感じます。「なぜそうなるのか」を意識せず、当たり前にやっていたものはありますが、科学的なアプローチという点では、まだまだできることがある。一方で洋食のシェフたちは「減圧加熱」や「糖化」「低温調理」など、新しい技術を積極的に取り入れています。彼らの姿勢に刺激を受けますし、ジャンルを問わず「この人はセンスあるな」と感じる人からヒントを得ることも多いですね。鰻や夏野菜など攻略したいテーマや秘かに温めてる構想もあるので、これからも創意工夫を重ね、柔軟に進化し続けたいと思います。撮影 鈴木誠一 取材・文 鈴木敦子■炭火割烹 いふき京都市東山区四条花見小路南側四筋目東入ル六軒目075-525-666517:00~21:30(L.O.)火曜休
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