うつわと料理は無二の親友のよう。いままでも、そしてこれからも。新しく始まるこのコンテンツでは、うつわと季節との関りやうつわの種類・特徴、色柄についてなどを、「梶古美術」の梶高明さんにレクチャーしていただきます。
梶高明
梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。
"冷えたもの"が持つひそやかな"力"
先月「冷えたもの」というテーマでお話ししましたが、破損した器だけでなく、半端になったうつわたちも、この「冷えたもの」の仲間に入れることができるでしょう。私たちはうつわを求めるときに、5客、あるいは10客揃ったものを買い求めてきました。ところが、揃っていたはずのうつわも、残念なことに、やがてその数を減らして、揃わなくなります。すると私たちは、それを半端物として食器棚の奥に片付け、あるいはお客様へは出さないうつわとして扱うようにさえなってしまいます。でも、うつわ自体がその魅力を失ったわけではありません。ですから昔の数寄者たちは、こういった半端物にあえて出番与えることを考え出したのでしょう。
これが、秋の10月、「名残り」の月なのです。傷ついたもの、半端物のリバイバル月です。さらに数寄者たちはそれだけに留まらず、この「半端物」を積極的に作り出し、色や形の異なるバラバラのうつわで5客、10客を揃えて楽しむ「寄せ向(よせむこう)」を考え出し、陶工たちに作らせたのです。
こうして、意図的に「冷える」を作り出してまで楽しみだした彼らの遊びは、「呼続(よびつぎ)」と言う新しい発想をも生み出します。破損して失われたうつわのパーツを、従来は漆を用いて修復修理していたところを、別の焼き物の破片で補う「呼続」という方法を考え出します。「呼続」には似通った質の焼き物を用いることもあれば、あえて異なる質や色の焼き物を当てはめて、うつわの再構築を遊んでしまうようなことさえあります。挙句の果てに数寄者たちは、「呼続」をせんがために、意図的にうつわを割っていることさえあります。まるでジーンズを、破き、つぎはぎし、ストーンウォッシュし、漂白して、なんでもありの加工を施して着こなしてしまう現代人のようです。
いま私の手元に、北大路魯山人が作った織部十字皿が数枚あります。
それらは、焼成時に窯の中で焼け縮むことが上手くできなかったためか、あるいは作られた時の形を維持できないほど反ってしまったために完全に裂けてふたつになっています。 ふたつになっていなくても、大きなひび割れが入っていたりします。これらは「窯切れ」と呼ばれ、「げもの」として廃棄されることも多く見られます。それでも魯山人はこの「げもの」状態でも、魅力を失っていないと感じたのか、復活させるために再度釉薬を掛けて焼き直した痕跡を残しています。ある日、同業の先輩に、このことを裏付けるような魯山人がうつわを復活させたエピソードをお聞きしました。
ある時、京都東山山麓にある裏千家桐蔭席という茶室を魯山人が借りて、展覧会を開いていたそうです。そこへ先輩のさらに大先輩が訪ねて行ったところ、販売されていた作品の脇に窯の中で裂けたと思われる「げもの」が無造作に置かれているのを目にしたそうです。
「これはどうしたのか?」と尋ねたところ「不出来な作品であるから売り物にならない。」と魯山人が返答したそうです。そこで、大先輩は金継や焼き直して発表することをためらう必要はないと話したそうです。それ以来、魯山人自らが金継ぎなどを施し、作品を発表するようになったそうです。また、その時のご縁で、次の展覧会は京都美術倶楽部で開かれたとのことでした。 これもまた、「冷えたもの」にまつわるエピソードですよね。
「げもの」として生まれた焼物のエピソードを、もうひとつお話しいたしましょう。 古い窯跡の周辺には、おびただしい数の陶片が埋まっていることは、ご存知だと思います。もちろんそれらは文化財として、現在は保護されています。それでも、それらを掘り起こし、商売につなげようという人はまだいるのではないでしょうか。
昔、伊万里や唐津の窯跡周辺では、雨が降って、土が柔らかくなった日を狙って、鉄の棒を地面に突き立てて陶片を探したと聞いています。細い鉄の棒は地面に深くに突き刺さり、陶片に当たるとカチッと音を立てて、埋っている場所を教えてくれたそうです。そして掘り起こした陶片を持ち帰り、まるでジグソーパズルをするが如く組み合わせて、元の姿に復元する。ピースがそろわず復元できないものは、他のピースに置き換えて、呼び継ぎをする。
そうして復元出来なくとも復活した焼物は、地中で長く留まっていた味わいも加味されて、完品や伝来品とは違った深くて素朴な、まさに「冷えたもの」として力を持つことがあるのです。ごちそうがあふれるこの時代ですが、質素な料理とともににお酒を楽しみたい人などには、この「げもの」が「冷えたもの」としてたまらないお友達になるのでしょう。
桃山時代から江戸初期の頃、権力者たちは茶道具収集に夢中になっていました。京都街中の三条通り界隈には、当時「唐物屋」と呼ばれた陶器屋が何件も軒を連ねていたそうです 。唐津や美濃で焼きあがった茶器や食器が大量にここに運ばれ、目利きたちの手によって、店頭に並べるかどうか選別されていたそうです。
ふるいにかけられて、落ちこぼれたものは、近辺にまとめて廃棄されたらしく、その跡地からはおびただしい数の焼き物が発掘されています。それらは現在、京都の西陣地区にある考古資料館に保管展示されています。まさに冷えたものの宝の山です。是非、一度お運びください。
今月の器〜冷えたもの〜
侘びたという感覚を呼び覚ますような、呼び継いだもの、金継ぎを施したものとして2種の皿を選びました。それぞれ雰囲気は異なるのですが、両方とも、素朴で枯れた料理をちょこっと盛られるのを待っているようです。
壊れたり、捨てられたり、欠点を抱えた状態での再出発。でもその欠点が作られた時代より後世の人の手と感性で見事に復活。そんな苦難を乗り越えた"力"がどこかに潜んでいるようです。
素材を生かした素直な料理を要求してくるような、おおらかでありながらも強い主張が感じられるうつわです。
「冷えたもの」うつわには、素朴な料理をご馳走に変えてしまう力が秘められているのです。
唐津線紋五寸皿 (1600年代初頭)
シンプルな線だけの装飾が潔さを感じさせる唐津焼五寸皿。このうつわには、焼却時の窯内で重ねて焼いたときの、目跡(めあと)と呼ばれる痕跡が残されています。互いにくっついてしまわぬように、うつわ間に土玉挟んだ痕跡が中央部に残っています。おおきく歪んでしまったためか「げもの」として廃棄されたのでしょう。
それをわざわざ発掘し、呼び継ぎや金継ぎを施したものです。自然な割れや歪みを逆手にとって見どころに変えてしまった感じですね。
初期伊万里染付総花紋五寸皿
こちらも窯の中で大きな歪みが生じて捨てられて、土の中に眠っていた初期伊万里の五寸皿です。この皿は、割れたものを樹脂で継いでいます。金継ぎは傷跡に金を載せるため、修復跡を目立たせることで新たな景色を生み出します。こちらはその真逆で、磁器色に近い樹脂を使っています。私もあえて金継ぎはせずに、樹脂で修復し、その後、紅茶に漬けおきして古色らしい感じに仕上げることがあります。金ではなく、紅茶染めでもなく、アクリル絵の具でペイントすることもありですよね。
初期伊万里は高台が小さく、高台周辺は肉厚で、陶工が掴んだ指跡も残されていることもしばしばです。呉須の精製が悪いため、沈んだ染付の色。素焼きの技術がまだ無かったために、シンプルに描き流した模様。本来は美しいはずのない、雑味を持った稚拙さが、このうつわの魅力です。
■ 梶古美術
京都市東山区新門前通東大路西入梅本町260
075-561-4114
営10時~18時
年中無休(年末年始を除く)