北欧発の世界的ブランド「フライング タイガー コペンハーゲン」や「IKEA」とのコラボレーション商品で注目されるアーティストの河井美咲、40歳。その作風は大胆でシンプルで・・・誤解を恐れずに言うとかなりの「ヘタウマ」だ。特に変わっているのはその制作スタイル。世界各国のギャラリーや美術館から個展の依頼が入ると、夫と3歳の幼い一人娘・歩虹(ポコ)ちゃんを伴いファミリーでその地に数ヶ月滞在し、現地で次々と作品を生み出していく。10月28日放送のドキュメンタリー番組「情熱大陸」では、アートと子育てと旅が融合した一家3人のユニークな日々が放送され、母親として型にはまらない生き方と「日本人らしくない。地球か時々火星(笑)」と称される感性の斬新さに感銘を受ける声が相次いだ。
大成功を収めるも本人はどこ吹く風。「もっともっと下手になりたい」
河井は、もう何年も旅暮らしをしている。今回、番組の密着取材期間中だけでもアメリカ、デンマーク、ポルトガル、韓国の美術館やギャラリーから声がかかり、夫と娘を伴ってその地に数ヶ月単位で滞在しながらアートを生み出している。
昨春、河井はニューヨークにいた。依頼主は、ブルックリンのデザインホテル「ワイスホテル」。お題は「高さ8メートルほどの壁面をペインティングし、エレベーターホールを印象的なアートスペースにする」というものだった。
制作の様子はまさに自由奔放で、河井は下書きもなしにローラーで壁に絵の具を塗りたくっていく。ローラーの運びに迷いはなく、娘を背負いながらあっという間に黒い魚、ピンクの蛇など奇妙な生き物が壁に描かれた。ただし、プランはあっても気分がのらなければ変更を厭わないのが河井流。せっかく描いた絵を塗りつぶしたかと思ったら、上から奇妙な生き物を書き足し、正面には巨大なパンツを描き出した。こうして、エレベーターホールは、河井美咲にしか作れない"へたウマ"な空間に生まれ変わっていった。
(河井)
「どんどん下手になりたいな、大人になればなるほどキッチリしようとしたり脳がカタくなっていくから、その逆を行きたい」
香川で生まれ大阪育ちの河井がニューヨークで本格的な創作活動に入ったのは24歳の時だった。2003年、無名だった河井の立体作品「TreeHouse」がニューヨークタイムズ紙で絶賛され一躍アート界に躍り出て以来、世界の名だたる美術館やギャラリーから個展の依頼が後を絶たない。海外の方がよほど知名度が高いのは、型にとらわれない自由さのせいだろうか。
(現代美術家・大竹伸朗)
「僕も大ファンです。日本人ぽくない。地球かときどき火星か・・(笑)」
活躍は実に華々しいが、本人はどこ吹く風だ。飄々(ひょうひょう)として気取りがなく、好きな画家はと尋ねると、「画家じゃないけど、ジャッキーチェン。ひょうきんものがいい。ふざけてる感じが」とケラケラ笑った。
アメリカ人の夫と3歳娘との旅暮らしこそがインスピレーションの宝庫
絵筆一本で世界を渡り歩く河井の傍らには、常に夫のジャスティンと娘の歩虹(ポコ)ちゃんがいる。河井は言う、3人は「創作のチーム」なのだと。
例えば、作業中に母親を真似て絵筆を握ろうとする娘の歩虹(ポコ)ちゃんを、河井は決して止めようとしない。2人でキャンパスに線を描き、母娘共作になることもあれば、時にはジャスティンが気を利かせてポコちゃんを外に連れ出しサイクリングへ。その間に河井は制作に没頭し、息抜きタイムは母娘水入らずの楽しい時間を過ごす。これが、アーティストを中心とする一家が生み出した生活のリズムだ。作品作りと生活は分かち難く結びついていた。
一方、河井作品の"宣伝部長"を務めるのは、写真家の夫ジャスティンだ。世界中から声がかかるようになった今もグッズを手売りする地道な活動を続けており、この日は毎年開かれているアメリカ・ロサンゼルスでのアートグッズ即売会へ。河井ワールドをよりより多くの人に知ってもらう絶好の機会なのだが、当の河井は会場の隅で歩虹(ポコ)ちゃんをあやすだけ。
というのも、実は河井は人見知りな性格で売り込みが大の苦手だからだ。
(河井)
「私・・ビジネスって全然得意じゃない。作品は欲しいと言われたらすぐに人に(タダで)あげてしまうから・・(苦笑)」
河井の商業的な成功は夫のおかげと言って過言ではない。文字通り、二人三脚。互いに補い合って10年になる。
しかし、こうした暮らしが、いつまで続けられるのだろうか。子供が成長すればなおさらだ。
(河井)
「デンマークで暮らすのは想像できるんだけど、日本に住むのは想像できないなぁ。ここなら仕事ができるし、友達もいるし、仕事仲間もいる、ポコも学校に通える」
ただ純粋にアートに打ち込める環境はどこでも得られるものではないのだ。
新たな境地へ。河井の筆がほとばしる瞬間
9月、一家はアメリカ北道部のバーモント州にいた。一か月後に控えたニューヨークでの個展に向けて、自然の中で制作をしたかったのだ。
深い森に囲まれた家は夜ともなれば外は漆黒の闇に包まれ、暖炉の炎が美しくゆらめいている。
(歩虹ちゃん)
「あったかいなぁ」
旅暮らしの中で成長する歩虹(ポコ)ちゃんの言葉は河井と同じく関西弁のアクセントだ。
庭を流れる小川の水で絵の具を溶き、創作の時が始まる。家族3人のどこまでもプリミティブな田舎暮らしの中で得たインスピレーションが、河井の筆からほとばしり始めたのだ。
そして1か月後の個展初日。
いつもカラフルな河井の作品には珍しく、黒の背景の作品がずらりと並んでいた。制作期間中、家族で過ごしたバーモントの夜に着想を得たのだと言う。そこには見るものを虜にする新たな河井ワールドが広がっていた。
家族と共に自然の中で楽しんで作った世界が来場者を楽しませ、その笑顔がまた河井の創作意欲を掻き立てる。アーティスト河井美咲は幸福の循環の中にいるのかもしれない。
「情熱大陸」はスポーツ・芸能・文化・医療などジャンルを問わず各分野で第一線を走る人物に密着したドキュメンタリー番組。MBS/TBS系で毎週日曜よる11時放送。
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