無線機専業メーカー「アイコム」 社長はアメリカ国防総省に無線機を売り込んだ『伝説の営業マン』

3分で読める!『ザ・リーダー』たちの泣き笑い

2024/06/10 13:00

 無線機専業メーカー「アイコム」は、今や売り上げ341億円(2023年3月期)のうち約7割が海外というグローバル企業だ。しかし、製造拠点は国内に限っていることについて中岡洋詞社長は「狙いのひとつに日本のモノづくりそのものを進化させることがある」と話す。かつて世界が注目した「日本のモノづくり」が陰りを見せる中で、いかにして輝きを増していこうと考えているのか。かつてアメリカ国防総省に初めて納入を成し遂げた「伝説の営業マン」中岡社長に日本のモノづくりの未来と今注目を集める賃上げ問題について聞いた。

海外赴任を目指して入社 しかし英語ができず会社に"居場所がなかった"
b.jpg―――長崎県の出身ですが、大阪に本社がある会社に就職しようと思われたのは?
 大学は九州だったんですけど、体育会の先輩がアイコムに勤めていたのと、大学の先生がアイコムと関係がありまして。決め手は「英語が苦手でも頑張ったら海外に行ける可能性がある会社だ」と言われたことですね。「行きます!」って即答してしまいました。当時は全く英語なんてできませんでしたが、海外で働けるチャンスがあるんだったらということで。

―――新入社員の頃の思い出は?
 やはり英語ができなかったのが一番ですかね。だから新入社員の頃は一生のうちで一番勉強したなと思いますね。私が入社した時は、英語が堪能な1つ上2つ上の先輩たちは海外出張にも行っていましたし。英語ができないと自分の居場所がないというか、自信もつきませんので...。そんな時に会社にテニス部を作る話が出て、私が学生時代にテニスをやっていたのを知っていた先輩から「お前がテニス部を作れ」と言われて、テニス部を作ったのが入社2年目か3年目だったと思います。
c.jpg―――会社にテニス部を?
 テニス部を作っても実績がないと会社が部として認めてくれなくて、地元の小さな大会に何回か続けて出場して、準優勝、準優勝としたのですが、それではちょっと弱いと言われ続けて、3回目でようやく優勝することができたんです。それでテニス部をやっと会社が部として認めてくれまして。こういうことがあって、会社での居場所といいますか自分の存在価値といいますか、そういったものを見つけられたような気がしました。仕事に直接関連する話ではないのですけどね。

製品が世界中で大ヒット! 能登地震でも"必ずつながる無線機"が活躍
d.jpg―――無線機にもいろいろな種類がありますよね?
 海上用、陸上用、航空用といろんな種類がありますね。ヒット商品は、私が入社した1980年代に発売した「IC-2N」という無線機です。周波数を変える時は、当時、対応する周波数に応じた水晶振動子を全部載せて...ということでちょっと手間とスペースが必要だったんですけど、「IC-2N」はサムホイールというダイヤルで数字を合わせるだけで周波数を設定できる機構を搭載して大幅に小型化できたのです。当時としては非常に持ち運びの簡単な機械ということで、世界中でベストセラー、ロングセラーになりました。世界中で売れたので全社員で飛行機をチャーターしてハワイ旅行にいきました。
e.jpg―――今年の元日に起きた能登半島地震でも無線機を現地に届けたとか?
 無線機は携帯電話と違って中継局を介さず直接通話できるので、インフラにダメージがあるような大災害の時に役に立ちます。電話は非常に便利なツールですけども、やはり目的も使い方も違うので。一般的によく言われる無線機の強みは同報性と即時性で、インフラに頼らない点も大きいですね。また、非常時という点では、以前、消防士と話した時に、とにかく絶対につながる、火災現場で落としたりぶつけたりしても消火のための水に濡れても必ずつながる、信頼感がある無線機でないと困ると。そういう無線機を提供するのが我々の使命のひとつだと思っていますね。

―――時代とともに無線機に求められる機能に変化は?
 例えば、従来のトランシーバーの機能に加えてIP電話として使える製品を開発しました。IP電話で外線にかけることができますし、外からかかってきた電話を社内の内線に転送することもできます。病院であったりホテルであったりする所で「こういう使い方ができたら便利だな」っていうお話を聞いた上で、「では、当社は何ができるか?」と考えて答えを導き出すという感じですね。

創業以来『国内生産』にこだわる 「日本のモノづくりを進化させたい」
f.jpg―――創業以来、国内で製品を作ることにこだわっているとか?
 狙いのひとつに、日本のモノづくりそのものを進化させたいという思いがあります。さらには、海外に生産現場を置くと、設計部隊との時差が生じます。さらに言葉の壁っていうのももちろんありますし、加えて文化の壁っていうのもあると思うんです。というのは、「すぐにやってくれ」と言っても、その「すぐ」っていうのがどれぐらいの時間だとか、やはり環境や文化の違うところで育った人どうしでは受け止め方も違います。コミュニケーションの正確さやスピードの面では日本生産が圧倒的に有利だと思っています。

―――アイコムの強みは?
 元々、創業者がアマチュア無線から始めた会社なんですけども、そこで培った技術を海上用、陸上用、航空用...と展開しながら製品の幅を広げてきました。今、大きい会社の一部門としてではなく専業の無線のメーカーとしてやっている会社は非常に少なくて、世界で20社以下じゃないかと思います。なかでもこれだけ広い製品の幅を持っていて、全てひとつのブランドでカバーしているのは当社だけだと思います。

アメリカ駐在25年「50州全てを営業で回れ」と上司から言われ達成
g.jpg―――入社10年目にアメリカへ赴任されましたが、当初は何年ぐらいの予定だったんですか?
 永遠の「あと3年」でした。3年と思って行ったら、あと3年、あと3年...ということです。結局、26年弱アメリカにいましたね。アメリカでの仕事は環境もガラっと変わって、がむしゃらにやっていたというのが正直なところです。赴任した時の上司はアメリカ人の社長で、優しいところと非常に厳しいところがある方でした。「アメリカでセールスマネージャーになりたかったらまず、50州全てを回るのは必須だ。みんなやっている」という話をされました。一生懸命がむしゃらに回ってついに達成できたのですけど、あとで聞くと「そんなことをやりきったマネージャーはいない」って言っていました。

―――慣れない土地でいろんな苦労があったでしょうね?
 50州を回るにあたって、もうひとつ課せられた条件がありまして、アイコムのことを知らない取引のない会社を訪問するというものでした。今みたいにインターネットはありませんから、空港に着いたら電話ボックスの電話帳を開いて、アポイントを取れた会社までドライブして、モーテルに泊まって...ということを繰り返していました。今から思えば貴重な経験になりました。

本社に無断で受けた検定結果で国防総省に応札 その結果は?
h.jpg―――アメリカ駐在で大きな転機は?
 国防総省の案件がとれたのが一番大きかったと思います。入札の要件として軍事用の規格の基準をクリアしないといけなかったんです。当時から当社の無線機はアマチュアでも業務用でも基準をクリアしている自信はあったのですが、国防総省の調達基準に合わせて作るという条件で設計したものではなかったんです。当社の技術者たちは非常に革新的な設計をやるんですけど、規格を完全にクリアしてほしいとお願いすると、とても保守的で、「クリアする前提で設計し直すと2年かかる」といってなかなか応じてもらえませんでした。

―――どうされたのですか?
 入札の日が目前に迫っていて、このままだとチャンスを逃してしまうとちょっとやきもきしていたんですが、当時アメリカに赴任していた技術者の先輩がいて、その先輩も「今のままの製品でクリアする自信がある」と言ってくれていたんです。それに、私も50州回って当社の無線機や他社の無線機がどういう使い方をされているかを見てきましたから、「絶対に大丈夫だ」という自信がありました。その先輩の技術者がいろいろ調べてくれて、「本社には事後報告ということにして、テストレポートを作れば何とかなる」と言われて「やりましょう!」って。

―――本社に事後報告とは、思い切りましたね。
 本社の了承を得ずに本社から輸入した無線機をそのままオレゴン州の第三者機関に持ち込んでテストしたところ、やっぱり目論見通り基準をクリアできたんですね。そのテストデータをもって国防総省に入札しました。当時の売上げで4000万ドル、40~50億円ぐらいの契約になりました。当時の弊社の売上げは、270~280億円ぐらいでしたから、占める割合はかなりだったと思います。何もしないと大きなチャンスを逃すという状況でしたから。社内ルール通りなら、本社にきちんと話を通して合意を得てというのが本当のやり方なんですけれども...。ルールは外れたかもしれませんけど、いい結果になったと思います。

「トップダウン」から「合議制」に舵を切る決断
i.jpg―――社長になってからの大きな決断は?
 自分にとっての大きい決断は、経営を合議制に変えたことでしょうか。それまでは各部門からのトップダウンだったんですが、どんな優秀な人でも独善的になりがちですし、他の人の意見もしくは他の部門の意見というのは非常に貴重だと思いますので。私もこうだと思っても、執行役員以上の業務執行の立場にある人たちで構成する経営推進チームが、週に一度、議題があろうとなかろうと必ず集まって意見交換、情報交換する機会を作っていますので、それぞれの決定に意見を聞いていくというように変えたのがひとつ自分にとっての大きな決断といいますか、変化でしたね。

―――息抜きというか、仕事以外でされていることは?
 自宅から歩いて行けるところで世界遺産が4か所ぐらいあるんです。30分から1時間ぐらいのところなので、毎週散歩しています。最初は私ひとりで散歩していましたが、最近は妻も一緒に行くようになったので、ちょっと趣旨を変えて「ウォーク&ランチ」っていうことで、散歩しておいしそうなレストランがあれば入って。実はそれが散歩の一番の目的になっています。食事を楽しんで、昼から飲んで、帰りはたいてい電車かバスで帰ってくるんです。

「賃上げしない会社は生き残れない!」と危機感
―――「賃上げ」に対する考え方は?
 全体朝礼で「社員の平均給与を上げるのは私の経営課題です」と表明して約束しているんです。もちろん業績の目標を達成して超えたらなどといろんな条件はありますけど、とにかく儲かった分は社員で分けますよと。会社で頑張って結果が出たら社員で分けようということは公約していることなので、それは前向きに考えていますし、実行していきます。もう賃上げしない会社は生き残れないんじゃないかなと。そういう危機感を持ってやっています。

―――社長として思い描いている夢は?
 今年で60周年なんですけども、100年企業を目指しましょうと全社員に声をかけています。「チームアイコム」がスローガンのひとつで、「ワンチーム、ワンプラン、ワンゴール」を目標にみんなで力を合わせて100年企業の礎を作れればいいなと思っています。非常に世界でも少ない無線機の専業メーカーですから、そこにはこだわっていきたいと思っていますね。やはり無線が我々の本業でありますし、そこからあまり遠く離れたところで売り上げを伸ばして命をながらえるのではなく、やはり無線で、というのは目指したいと思っています。

「分かりやすい言葉」で社員の共感を得るリーダーを目指す
j.jpg―――最後に、中岡社長が考える「リーダー」とは?    
 組織の原動力、成功の鍵は、チームのメンバーの共感だと思っています。リーダーは方向性を示して、理論的に誰にでも分かる言葉で説明して、チームのメンバーの共感を得ていく。そういったリーダーを目指しています。社長だからといって「ついてこい」とか、英語や専門用語の羅列であったり、声の大きさであったり、そういったことで説得しようということは避けたいと思っています。


■アイコム 1954年創業者の井上徳造・現会長が京都に「井上電機製作所」設立。1970年大阪市平野区に本社を移転。1978年今の社名に変更。アマチュア無線機の分野では世界トップクラスのシェア。従業員約1000人、2022年度の売上げは341億円。

■中岡洋詞 1961年長崎県生まれ。1984年北九州市立大学法学部卒、同年入社。1999年7月アメリカ現地法人社長、2006年取締役、2021年社長。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している『ザ・リーダー』をもとに再構成しました。『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組です。
過去の放送はこちらからご覧ください。

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