「教えてもらった前と後で、見る目が変わります!」を合言葉に、滝川クリステルと学ぶ今回のテーマは・・・「足の健康」と「浮世絵」の2本立て。「足の健康」編では、足の専門医がゲストの足をチェック。そこに隠されている病気のリスクを診断するとともに改善法も紹介します。「浮世絵」編では、世界的に有名な画家であるゴッホやモネが浮世絵からどんな影響を受けていたのか、ひも解いていきます。
ゴッホが衝撃を受けた浮世絵
19世紀後半のフランスで活躍した画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。現在「京都国立近代美術館」で開催されている「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」は、これまでの累計来場者数57万人超の大人気ぶり。
そんなゴッホを筆頭に、「睡蓮」で人気のクロード・モネら世界的に有名な印象派の画家が、浮世絵をはじめとする日本文化から影響を受けていたそうなのです。
浮世絵が彼らの作品にどのような影響を及ぼしているのか...。多摩美術大学の西岡文彦教授が教えてくれました。
「ゴッホがお世話になった画材屋の店主を描いた「タンギー爺さん」。実はその背景はすべて浮世絵なんです。」
歌川広重の風景画、歌川豊国の美人画など、おじいさんの周りには浮世絵が散りばめられているのです!
モネも、自宅の庭に広重の浮世絵に描かれている「太鼓橋」を再現したり、食堂の壁一面に浮世絵を飾るなど、日本に傾倒していることがうかがえます。
そして、ゴッホの友人であるポール・ゴーギャンも、浮世絵のポーズを取り入れた作品を描いているのです。
日本の浮世絵は、江戸後期から明治期に、陶器を輸出するときの包装紙として海を渡ったといわれています。すると、当時の西洋画とは全く異なる浮世絵がヨーロッパで話題になり、一大ブームを巻き起こしたのです。こうして斬新な作品から刺激を受けた画家たちが、浮世絵をオマージュするようになったのだとか。
西岡先生は「西洋の絵は、陰影で描いていきます。デッサンで完全な陰影を描くので、線がなくなるのが理想なんです。ところが浮世絵は、線で動きを出して立体感を描いているので、西洋の画家たちにとっては神のようなデッサン。レオナルド・ダ・ヴィンチ級の画家も驚いたと言い伝えられています」と教えてくれます。
浮世絵の美人画と、ダ・ヴィンチの「モナリザ」を比べてみると、輪郭線の違いがよくわかります。
「輪郭線がはっきり描かれている浮世絵の方がインパクトがあると気付いた画家たちは、相当な衝撃を受けたようです」と、西岡先生。
浮世絵を10倍楽しく見る方法
2019年度からパスポートの査証欄に、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」が使われることが決定しました。富士山をモチーフにしたデザインで、偽造や変造対策にもなっているんだそう。
そんな浮世絵を10倍楽しく見る方法について、慶應義塾大学文学部の内藤正人教授が教えてくれます。
歌川広重の代表的な浮世絵「東海道五十三次」。中でも有名な1枚「日本橋」の絵は何時頃の様子を描いたのでしょうか。
その質問に梅沢富美男さんがこう答えます。「後ろに夕日が出ているから、夕方の3時か4時ぐらいかな...」
残念! 実はこれ、早朝4時を描いているのです。
江戸時代、「旅は七つ立ち」と言って、早朝4時頃の出発が基本でした。京へ向かう大名行列や魚河岸で仕入れた魚を売りに出かける魚屋さんなど、活気にあふれる朝の日本橋の風景を描いています。
そんな有名な浮世絵にも驚きの事実があると内藤先生は教えてくれました。
「広重の日本橋、実はもっと盛られたバージョンがあるんです!」
それは一体どういうことなのか...。
「京都浮世絵美術館」に別バージョンがあると聞いて行ってみると、そこには構図はほぼ一緒で、人が2倍以上描かれいる「モリモリの日本橋」が展示されていました。そしてこの画も広重本人が描いた本物だといいます。
当時、広重は全くヒット作品がなく、「東海道五十三次」の企画は、今でいう売れない絵師と大手出版社という関係で始まったのです。そのため出版元の言うことは絶対でした。1枚目の「日本橋」は寂しいのでもう少し賑やかにして欲しい、という要望があれば素直に描き直した広重。こうして「モリモリの日本橋」が誕生したのです。
出版元の立場が強かったため、描きたいものだけを自由に描くことができなかった時代もあった広重。辛い時期を乗り越えて西洋画家に影響を与えるまでになった広重は、日本を代表する浮世絵師として後世に語り継がれています。
そんな秘話を知ってから浮世絵を見ると、いつもと違う視点から楽しめるはずです。