学生時代を早稲田で過ごした俳優・石田純一が、早稲田発祥のグルメについて熱弁をふるった。今や国民食といっても過言ではないほどポピュラーな「カツ丼」が、実は早稲田発祥だというのだ。10月9日放送の「教えてもらう前と後」では、カツ丼がいったいなぜ早稲田で生まれたのか、その誕生秘話に迫った。
カツ丼は早稲田のそば屋で生まれた
「早稲田には100年前からカツ丼が存在していました!」と豪語する石田が、カツ丼の誕生秘話を綴った再現ドラマに店主役で登場した。
「カツ丼発祥の店」といわれているのは、高田馬場にあるそば屋「三朝庵」。この土地は、もともと早稲田大学創設者・大隈重信の持ち物だった。そして明治39年に初代店主の加藤朝治郎が大隅と賃貸契約を結び開店。そのため、店の看板には「元近衛奇兵連隊御用」「元大隈家御用」の文字が。だが今年7月、高齢の店主が引退。惜しまれつつ、112年の歴史に幕を閉じた。
三朝庵のカツ丼の歴史は大正7年にさかのぼる。当時、日本で売り出されたばかりの高級洋食・トンカツは三朝庵でも宴会メニューとして大人気だった。しかし、宴会の急なキャンセルなど高価なトンカツが余ってしまう事もしばしばで、店主は「冷めたらお客に出せない......」と嘆いていた。
そんな時、常連だった早稲田の学生から「卵でとじてみたらいいんじゃない?」と提案が!早速、一口大に切ったカツをそばつゆで煮込み、卵でとじてみるとたちまち評判になったのだという。
福井のご当地グルメ「ソースカツ丼」も生まれは早稲田!?
カツ丼誕生の経緯が分かったところで、さらに石田は「世の中のカツというカツは、全部早稲田発祥なんです!」と、強引に早稲田愛を猛アピール。続けて、福井のご当地グルメとして知られる、「ソースカツ丼」が誕生した地も早稲田だと訴えた。
そこで、真相を確かめるべく、福井県で19の店舗を持つ、ソースカツ丼の老舗「ヨーロッパ軒」の3代目社長・高畠範行さんから話を聞いてみると、「私の祖父、高畠増太郎がソースカツ丼を考案しました」と証言。
その歴史は明治45年、増太郎がドイツに料理修業に行った時にさかのぼる。当時はまだ珍しかったウスターソースと運命の出会いを果たした増太郎が日本に持ち帰り、試行錯誤の末にソースカツ丼が出来上がったのだとか。
では、石田が言う「ソースカツ丼の発祥は早稲田」ではなく福井が正解?
さらに高畠さんから話を聞くと「第一号店は東京の早稲田大学の正門の前に出店しました。新しい料理は学生さんに一番支持してもらえると思って、鶴巻町というところで最初の店を構えたんです」と驚きの証言。しかし、関東大震災で被災した増太郎は郷里の福井でソースカツ丼をはじめることに。福井に移転しておよそ100年、今ではすっかり福井のご当地グルメに育ったというワケ。
「教えてもらう前と後」はMBS/TBS系で毎週火曜日よる8時放送。
政治・経済・健康・アート・歴史など毎回その分野のスペシャリストが登場し、決定的瞬間を教えてくれる。
「知のビフォーアフター」が体感できる番組。
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