選挙も終盤に差しかった10月26日夕方。東京の下町、赤羽の商店街入り口に、女性を中心とした人だかりができていた。お目当ては、日本維新の会・吉村洋文副代表の街頭演説だ。
「大阪府知事の吉村でーす」
吉村氏が街宣車に上ると、大きな拍手が起こると同時に、一斉にスマホが向けられた。
(日本維新の会 吉村洋文副代表)
「昭和の時代のやり方では、社会は良くならない。日本に改革政党が一つ必要なんです」
そう声を張り上げる吉村氏に有権者は熱い視線を送る。これまで維新が中々進出できなかった首都・東京での反応は、今回明らかに違っていた。演説を聞いていた女性に話を聞くと「吉村氏はコロナ対策をしっかりやっていて、テレビを見ているうちにファンになった」という。この女性は話を打ち切るように「次がありますので...」と別の街頭演説へと向かっていった。吉村氏のいわゆる"追っかけ現象"が東京でも起きていたのには正直、驚いた。
「公明・共産」に割って入る戦略
吉村氏がこの日回ったのは東京12区。北区などを中心とする下町のエリアだ。長年、太田昭宏前公明党代表の牙城だったが、太田氏の引退に伴い、比例北関東ブロックから移ってきた岡本三成氏と共産党の元職・池内沙織氏が出馬し、いわゆる「公・共」の争いが軸となっていた。ここに維新の新人・阿部司氏が出馬し、割って入ることとなったのだ。吉村副代表が阿部氏の応援に入った10月26日午後の日程を確認すると、巣鴨地蔵入口の街頭演説に始まり⇒十条銀座商店街⇒王子のスーパー⇒豊島5丁目団地⇒赤羽の商店街⇒王子駅北口⇒大塚駅北口(豊島区)と6時間に7か所も集中的に入っていることがわかる。関西でも一つの選挙区にこれだけ集中的に入ることは中々ないが、維新の戦略は「公明・共産」に割って入り、有権者に「改革保守」という新たな選択肢を提示することだった。
結果、東京12区では、小選挙区で勝利した公明・岡本光成氏の10万1千票あまりに対し、維新・阿部氏は8万票あまりを獲得し、比例東京ブロックで復活当選を果たした。東京ではほかにも1区から出馬した維新・小野泰輔氏が小選挙区では敗れたものの、比例で復活し、維新は比例東京ブロックでも2議席を獲得した。東京の25選挙区のうち17の区に候補者を擁立し、小選挙区での勝利はなかったものの、多くの比例票を獲得したことになる。全国的にみると、維新は県庁所在地である「1区」にまんべんなく候補者を立て、11ブロックのうち北海道以外の10ブロックで当選をもぎ取り、比例の議席は25に達した。これが維新躍進の原動力になった。
自民に助けられた「改革保守」路線
維新の改革保守の路線が、なぜこれほど全国的に浸透したのか。
維新の幹部は「総裁選で河野太郎さんが選ばれていれば、政策も雰囲気も重複し、正直危なかった」と述懐する。いわゆる"キャラ被り"で維新の独自性は失われた可能性があるというのだ。また、維新と蜜月関係にある菅前首相と関係の深い河野さんなら「やりにくい」ということもあったのだろう。だが実際には、岸田氏が総裁に選ばれ「改革」という言葉は語られなくなった。維新は、自民の改革路線が後退するとみるや否や、岸田政権を批判の対象として攻撃を始め、差別化に成功した。
実際、維新幹部は取材にこう話している。「正直、岸田さんの自民とは戦いやすかったよ」。
41議席を獲得し、衆議院でも単独で法案を提出できるようになった維新。歳費の3割カットや定数削減をはじめとする「身を切る改革」で与野党に揺さぶりをかけることは間違いないだろう。
毎日放送報道情報局 解説委員 三澤 肇