酒の神さまとして信仰を集めてきた奈良県桜井市の「大神神社」。新酒ができたことを知らせる「杉玉」の発祥も大神神社だと伝わる。この大神神社がある三輪地区に唯一残る酒蔵が「今西酒造」だ。「みむろ杉」と名付けられた人気の日本酒を造る酒蔵。使う水は大神神社がご神体としてまつる三輪山の伏流水だ。1660年創業の酒蔵の14代目・今西将之さんは2011年、28歳の時に父親が体調を崩したことで急きょ社長に就任。引き継いだ時は「廃業寸前だった」という酒蔵を人気酒蔵に育て上げた知られざる逆転劇と、思い描く日本酒の未来を聞いた。
人材紹介会社の営業マンから急きょ実家へ 『ものすごい債務超過』に驚く
―――大学を出て全く畑違いの人材紹介会社に就職して営業マンをしていたそうですね。
30歳で酒蔵を継ぐ約束で人材紹介会社に入り、営業マンとして3年目には全社で1位になって毎日ワクワクしながら仕事をしていました。けれど28歳、社会人6年目の時、商談中に携帯が何度も何度も鳴ることがあって、商談が終わって確認をしたら父からでした。めったに父から電話はないので不思議に思ってかけたら、「将之、余命3か月と告げられた。家に戻ってこい!」と。「マジか!分かった!」って。結局、実家に戻って1週間後に父は亡くなりました。
―――急きょ酒蔵を継ぐことになったのですね。
当時は多角経営をしていて、酒造りは1つの部門に過ぎませんでした。ほかに飲食店を2つ、そして小さな宿泊業をやっていました。父は経営者として全体を見ていたのですが、家業を継いで決算書を見たら、「度肝を抜かれるってこのことか!」というほどのものすごい債務超過で...。父は結構、ワンマンだったため誰かに相談することもしなかったので、父しか知らない情報がいっぱいあったんです。
―――病床のお父さんからとかく会社の業務を引き継いで?
父は亡くなる直前ですから体力的にも大変で、「きょうはもう勘弁してくれ」っていう時もありました。けれど、こっちはこっちで焦りと不安で仕方ないから、「もうちょっと頑張ってくれ、もうちょっと聞かせてくれ」みたいな感じでやり取りをして、家業の引継ぎをした感じです。
酒造りは全くの素人...師匠を訪ね運命の出会いが!
―――まずは、どこから手を付けたのですか?
代々守ってきた酒蔵のことを考えた時、多角経営をした状態で潰れてしまうとご先祖さまに申し訳が立たないなと。そこで、酒造り以外の事業を全部売却して、酒造りに集中しようと思いました。酒造りを本気でやってみて、無理だったら会社を畳もうと。酒は売れないから在庫がいっぱいあるわけですよ。この酒がおいしくないのは分かりつつも、「どう変えていけばいいかわからない」という状態でしたね。
―――大学は文系でそのあと営業マンですから、酒造りは未経験ですもんね。
そんなある日、奈良県天理市にある銘酒を扱う居酒屋さんを知り、経営者の杉野公一さんに会いに行ったんです。僕は「いつか杉野さんの店に並んだ銘酒の中に入れてもらいたい」と思いましたが、どうやったら良い酒が造れるのか全く分からない。正直に「教えてください!」と杉野さんにお願いしました。すると杉野さんは、「今度、私の師匠にあたる長谷川浩一社長を紹介する」と。
―――杉野さんに師匠がいたわけですね。つまり、師匠の師匠が。
師匠の師匠は東京・港区にある「はせがわ酒店」の長谷川浩一社長でした。杉野さんは「長谷川さんが近々、奈良に来る」と教えてくれました。「その時にお前の蔵にお連れするわ」と。後日、長谷川社長が蔵に来られて「蔵を見せて」と。当時は改革前の蔵ですから、蔵がすごく汚いわけですよ。蔵の奥に行けば行くほど長谷川社長の顔が曇ってきて、座敷に戻って来た時には完全に顔がキレてるんですよね。「酒はこれなんです」と出したら、「あんな汚い蔵で造った酒なんか飲みたくない」と言って帰ろうとするんです。
「酒造りはやめたほうがいい」師匠の師匠からの厳しい言葉
―――口もつけずに、ですか?
口もつけずに。すごく落胆していたら長谷川社長が帰る時に「お前、酒造りはやめた方がいい」と言われたんです。とにかく「酒蔵がめちゃくちゃ汚い」と。「清掃っていうのは、お金がなくてもお前の情熱とかやる気ひとつでできるはずや。けれど、それすらできていないのにおいしい酒を造ろうなんて言うな!」と。
―――冷水をバッシャーンって浴びた感じですね。
「心を入れ替えて清掃はひたすらやります」と。だから「どうやったら良い酒が造れるのか分かりませんので、掃除はきちんとやりますから方法を教えてください」とすがりました。私には長谷川社長しか頼れる人がないわけですから。そしたら長谷川社長が「わかった」と。「俺が毎年、酒蔵を巡っているから、お前は運転手でついて来い」と。「そこに同席して全国の良いものを勉強しろ」と言われました。
―――それ以降、生み出される酒は明らかに変わりましたか?
変わりました。そして我々の哲学である「清く正しい酒造り」という考え方が生まれました。「みむろ杉」の酒造りが分かり、みんなが酒造りにのめり込めるような言葉ってなんだろうとずっと自問自答していて、舞い降りて来た言葉が「清く正しい酒造り」なんです。うちは全ての米を10kgずつ洗うのが特徴で、かなり時間はかかって体力的にもしんどいですが、酒にとっては絶対この方が良いと思ってやっています。だから毎年、米を洗う回数は1万回を超えます。「おいしい、おいしくない」の判断じゃなくて、酒造りにおいて「正しいか正しくないか」で判断して酒造りをして、いかに正しいことをやっているかを追求していっている集団がうちの蔵です。
「三輪を酒の聖地に」地元の発展に貢献したい
―――「若き経営者だからこそ」の強みはありますか?
今西酒造の味わいが劇的に変化し、毎年クオリティーが上がってきたというのは莫大な投資をしているからなんです。1年でも成長が鈍化すれば、資金が回らなくなるほどのことをだいたい4年連続ぐらい勝負をかけていっているんですよ。実は経営的にはギリギリなことをしています。おかげさまで、日本酒にまつわる色々なコンクールで受賞できるまでになりました。
―――この先のビジョン、夢は何ですか?
ビジョンとしては「三輪を酒の聖地に」です。「三輪」というすばらしい土地で酒造りをさせてもらっていることを誉れに思い、もっともっと三輪を表現する酒造りにこだわり抜いていくし、結果、「みむろ杉」を知って三輪の町に来てくださった方々が三輪の町の色々なお店でご飯を食べてもらったり、お土産を買ってもらったりして三輪が潤っていく...。酒造りを通じて三輪が元気になる一助になれたら良いなと思っています。
―――もっと地元に貢献したいと?
商売なので良い時も悪い時もあって、けれど長年、酒造りができているのは地元の方々に応援していただいているからで、やはり我々は酒造りを通じて「三輪の地」の発展に貢献していきたいという思いはあります。うちの強みは、まさにこの三輪の地で酒造りができていることです。奈良県三輪は、たぐい稀なる酒の聖地です。酒の神がいて、酒の神が宿る原材料で酒造りができるというのは、世界でも今西酒造だけです。こんなに誉れなことはないですし、だからこそ僕たちは三輪の地にこだわった酒造りをしたいと思い、日々、酒造りに向き合っています。
―――最後に、今西さんにとってリーダーとは?
熱狂できるビジョンを描き、語り、それに向かってみんなと共に歩んでいける。そんな存在がリーダーだと思っています。まだまだ志半ばではありますが、ビジョンに向かって一歩一歩進んでいきたいと思っています。
■今西将之 1983年、奈良県桜井市生まれ。2006年、同志社大学商学部卒。同年、現リクルート入社。2011年、14代目蔵主に就任。
■今西酒造 1660年創業。「三諸杉(みむろすぎ)」「みむろ杉」を代表銘柄とするこの酒蔵として知られる。
※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している『ザ・リーダー』をもとに再構成しました。