今から52年前の1970年に開催された「大阪万博」。その当時の様子を映した映像がフィルムとしてMBSに保存されていて、今回、そのフィルムのデジタル化を行いました。その残っていた映像では、当時、万博に参加するためタイからやってきた16頭のゾウが何と、神戸から会場の大阪まで街中を歩いて移動していました。

半世紀前の「大阪万博」会場は人・人・人…入場停止で足止めの人も

 半世紀前の1970年に開かれた大阪万博。各国のパビリオンでは最先端のテクノロジーが惜しげもなく披露されました。
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 日本が一番、“元気”だった時代。お目当てのパビリオンを一心不乱に目指す人々。
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 コロナ禍の今となっては考えられない、密・密・密。その混雑ぶりから「日本行列博」とも揶揄されました。

 (入場停止で足止めになった人)
 「じゃあ万博なんかやめればいいのよ!こんなことになるんだったら」
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 77か国が参加した大阪万博。会場はエキゾチックな雰囲気にも包まれました。

会場ではゾウが60人の自衛隊員と綱引きで力比べ

 中でも観客を釘付けにしたのがタイからやって来たゾウ。そのゾウが集まって開催された「象まつり」。会場ではゾウと約60人の自衛隊員が綱引きで力比べするという型破りな試みも行われました。
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 そもそも一体、ゾウはどうやって会場に来たのでしょうか?神戸の王子動物園で当時、飼育員をしていた吉竹渡さん。今も当時の光景が忘れられないと話します。
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 (王子動物園の元飼育員 吉竹渡さん)
 「生のゾウ、ましてや16頭の行進を見たのはやっぱり感激でした。王子動物園の前の道を通ったのはうっすら覚えています。整然と行進していました」

タイから来た16頭のゾウ…パトカーが先導し会場まで”公道を歩き”移動

 パトカーに先導されながら幹線道路を進むゾウ。
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 タイを離れ、1970年8月3日に神戸港に降り立った16頭のゾウは、その日のうちに神戸を出発し、万博会場までの約40kmを歩いて移動することになりました。
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 王子動物園の中からはゾウの行進は見えませんでしたが、こんな伝説も・・・

 (王子動物園の元副園長 花木久実子さん)
 「(ゾウの)コミュニケーションのひとつとして、低周波音による話ができると言われていて、すごく低い音なので人間には聞くことができないですけれど、ゾウはその音をキャッチすることができると。ちょうど(動物園の)前の道に差しかかるもう少し向こうくらいから、王子動物園にいた2頭のゾウがちょっと興奮して、運動場を走ったり、パオーンって鳴いたりして」
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 日本のゾウとの対面はかないませんでしたが、エサをゆっくり食べる間もなく万博会場を目指します。
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 慣れないアスファルトに足を痛めたゾウも出たため、兵庫県西宮市の武庫川で、しばしの休息。その姿を一目見ようとここにも大勢の人が集まりました。結局この日ゾウたちは河川敷で野宿することになりました。
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 (王子動物園の元飼育員 吉竹渡さん)
 「のんびりというか、川辺で水浴びしたり、草を食べたりしていました。“古き良き昭和の時代”の万博ですよね」

ゾウは無事に会場へ到着…期間中に日本初の『ゾウの赤ちゃん』誕生

 翌日の1970年8月4日、ゾウは無事に万博会場へ到着しました。
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 「象まつり」の期間中には会場で日本で初めてとなるゾウの赤ちゃんが誕生。『ひろばちゃん』と名付けられました。
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 ゾウは会場の外にも“遠征”し、当時のMBSのスタジオで番組出演した記録が残っています。人々に強烈な記憶を残してゾウはタイに帰って行きました。
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 (王子動物園の元副園長 花木久実子さん)
 「そもそも公道をゾウが歩くというのが今では信じられない時代で、“なんでもありの昭和”という感じですね。みんなが将来に夢を持っていた、そんな時代だったと思います」

 語り継がれる万博の記憶。3年後に再び開催される「大阪・関西万博」ではどんな歴史が刻まれるのでしょうか。