私が彼女に初めて取材を打診したのは今年7月のこと。「宗教2世」へのサポートについて考える特集をしたいとの思いからSNSを通じて連絡した。

「統一教会のせいでめちゃくちゃに…」

小鳥の声が聞こえるリビングで、幼い息子をあやしながら行われたインタビュー。そんな彼女を見守る夫。幸せな空間。「苦しみ」とはほど遠い場所。しかし、そこで語られた人生は壮絶そのものだった。

「統一教会のせいで自分の人生をめちゃくちゃにされたんじゃないかって思いが強い未だに本当に許せない」(7月の取材で)

幼少期から抱いていた旧統一教会への違和感。

「神様の子(※)」と言われながらも、お年玉は没収される、誕生日などの記念日にプレゼントはない。
※旧統一教会では「祝福結婚」を経て生まれた子どもを「祝福2世=神様の子」としている。

貧しさから洋服などは、お下がりばかりだったこと。
その代わりに自宅には、献金の証ともいえる「壺」や「ハンコ」がいくつもあったこと。

学校でいじめられた時にも親からは「神様に期待されているから」という言葉で片づけられたこと。教会の行事で学校や部活を、休まなくてはいけなかったこと。子ども時代に多くの人が経験する“当たり前”の喜び、楽しみ。

旧統一教会はそれすら、奪っていた。

「いじめ」「親に貯金を使い込まれる」壮絶な過去

「恋愛すると地獄に落ちてしまう 堕落してしまう それは死と同じと友達と恋愛の話をしている場面も 常に罪悪感があった」(7月の取材で)

長年の苦しみから、彼女の心はバランスを崩した。

お金の問題はさらに深刻だ。高校時代のバイト代から給料まで「生活費が必要だから」という親に渡していたという。病院に入院していた時には、勝手に貯金まで使い込まれていた。

壮絶な過去を淡々と話す。いじめの話となった時にはこらえきれず涙を流し、その姿を見られまいとすぐにぬぐった。子どものころの心の傷は、大人になっても残り続ける。幸せに包まれた空間とは程遠いその涙が、問題の根深さを語っていると感じた。

「仮名はなにがいいですか?」「小川さゆりでお願いします」

取材が終わり別れ際、最後の質問。

「仮名、どんな名前がいいですか?」

私は「仮名」の場合、取材相手本人にその名前を決めてもらうことにしている。様々な事情により実名を出せない場合であっても、その方が思い入れや、重みも違ってくると感じているからだ。

「小川さゆりでお願いします」

そして、彼女は小川さゆりになった。

顔を出すことについては、最後の最後まで悩んでいたように思う。放送の数時間前に、不安を打ち明ける電話がきたからだ。それでも、彼女は顔を出して訴えることを決めた。

リスクを覚悟の上で。

「こういう人間がいて こういう苦労をしてきて こういう被害を受けて発信していると明確に見てもらうには顔を出した方がいいと思った。自分の息子や これからの宗教2世の子供たちの状況が変わるなら今自分が受ける被害は気にしていられないなと」(8月の取材で)

その後、宗教2世を救済するための法案成立にむけ、働きかけをはじめた小川さん。

一方でその名が広まるとともに、誹謗中傷にもあってしまう。

「私は被害者を代表している」

「やっぱり顔を出している分いろんな被害者の言葉とかがすべて自分の言葉のように捉えられてしまう。私の場合は 自分が献金した立場ではないので 自分へ攻撃が向いてしまう」
(12月8日 衆議院通過後の取材で)

取材を通してずっと気になっていたことがある。行動の原動力となっているものは何か。小川さんの答えは明確だった。

「声を出せない被害者を代表して来ている。自分がしっかりしていなかったら、被害者もまかせられない」
(10月7日 外国特派員協会での会見後の取材で)

体調も崩しても、何度も心を奮い立たせ、12月9日 小川さんは参考人質疑の場に立った。

「毎日 現役の信者や一部の人から嘘つきなどいわれ 体調を崩した時もある本日国会で正式な参考人として発言できることを感謝します」
(12月9日 参議院・特別委員会の参考人質疑で)

取材をはじめた7月から133日、被害者救済法が成立した。

後編に続く。

MBS報道情報局
山口綾野