ロシアによるウクライナ軍事侵攻から約1年。戦争の終わりが見えない中、ウクライナの首都キーウでバレエという文化の灯を守る日本人がいます。

「ウクライナ国立バレエ」日本人初の芸術監督

 今年2月、ウクライナの首都キーウにある国立歌劇場では、バレエ公演が行われていました。戦時下にあって週2回開催されるこのバレエ公演が人々の心の支えになっています。

 世界的な人気を誇る名門バレエ団「ウクライナ国立バレエ」。そのトップである芸術監督に去年12月から日本人として初めて就任したのが京都市出身の寺田宜弘さん(46)です。

 (ウクライナ国立バレエ・芸術監督 寺田宜弘さん 去年12月)
 「ウクライナの芸術を新しい素晴らしい時代に変えてほしいと、そういうふうに私は言われたんですね」

 11歳でキーウの国立バレエ学校に留学した寺田さん。卒業後はウクライナ国立バレエでソリストとして活躍するなど、35年間、現地でバレエとともに生きてきました。

各地に避難したダンサーを支援

 そんな生活が一変したのが去年2月に始まったロシアによる軍事侵攻です。歌劇場は一時閉鎖され、多くのダンサーらが国外へと避難。寺田さん自身もドイツへ避難しました。

 (寺田宜弘さん 去年6月)
 「私の生徒たちから連絡があって『先生、サポートしてほしい』ということだったんですね。それが朝の8時から夜中2時ごろまで、そういうことが3月4月、ずっと続いていたんですね」

 多くの教え子たちから「バレエを続けたい」という悲痛な思いを聞いた寺田さんは、ダンサーたちが避難先でバレエを続けられるよう支援し続けました。

 そして去年夏には、各国に避難してバラバラになっていたダンサーを日本に集め、軍事侵攻後初めてとなる海外公演を実現させたのです。満席となった会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こりました。

 去年10月、寺田さんは約8か月ぶりにキーウへと戻りました。侵攻前に約160人いたダンサーのうち、今95人がキーウにいます。

 【空襲警報】
 「緊急警報がキーウに発令されました。地下の廊下へ避難してください」

 警報が鳴るたびに地下シェルターに避難するため練習を中断しますが、ダンサーたちは踊ることを決してあきらめていません。