社会を震撼させた和歌山毒物カレー事件。今年7月25日で事件から四半世紀が経ちました。
犯行動機は今も不明…事件のこれまで
1998年7月25日、和歌山市園部の夏祭り会場でカレーを食べた住民が次々に倒れ、子どもを含む4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒となりました。
(被害者 当時の映像より)
「ちょっともどしたんで、病院に今来たとこ」
「なんか胸やけしてしんどい。(何を食べましたか?)カレーです」
警察は何者かがカレーに猛毒のヒ素を混入したとみて捜査。容疑者として浮かび上がったのは近所に住む主婦の林真須美死刑囚(62)でした。夫がシロアリ駆除会社をかつて経営してヒ素を取り扱っていたこともあり捜査線上に浮上。
大勢の報道陣が自宅に殺到して『メディアスクラム』も社会問題になりました。
(報道陣に声を上げる林真須美死刑囚)
「もういいですか、またうちが何かなと思って皆見てる」
「もうほんまになんなんですか。車に当たった方、来てくれます?」
真須美死刑囚は取材陣に対して疑惑を否定し続けました。
(林真須美死刑囚)
「(Qカレーを作っている所へ行った?)行ったけど、行った時もう火が止まっていた。お昼ぐらいだった。(心当たりは?)全然わかりません」
そして事件発生から約5か月後、真須美死刑囚は殺人などの疑いで逮捕されました。その後の裁判では犯行を裏付ける直接の物的証拠がない中でも一審・二審ともに死刑の判決。最高裁も上告を棄却、死刑が確定しました。犯行の動機は今も解明されていません。
被害者の父親「なんであんなことを…絶対許せない」
事件から25年が経った今年7月25日、かつての事件現場には被害者家族の姿がありました。杉谷安生さん、76歳。杉谷さんの娘(当時高校2年)もあの日カレーを口にして急性ヒ素中毒になった被害者の1人です。
(杉谷安生さん)
「何の疑いもなくカレーを食べて亡くなられた方がどんだけ無念だったかと思う気持ちで献花させていただきました。まだ最近のような感じ。でも被害にあった娘の長女はもう当時の娘の年齢に近づいてきていますのでね。もうそないになるのかと」
被害者家族にとって事件を忘れることはないと話します。
(杉谷安生さん)
「動機を知りたい。なんであんなことをしたのか。ああいうことをしたのは絶対許せない。風化させないでほしいという気持ちもあります」
林真須美死刑囚の長男 母親に改めて聞いた「あの時ヒ素を入れたのか?」
一方、重い苦しみは加害者の家族でも続いています。林真須美死刑囚の長男(35)。事件当時は10歳でした。『死刑囚の子ども』という事実に向き合い、そして抗いながら生きてきた人生でした。
(林真須美死刑囚の長男)
「自分は林真須美死刑囚の子どもなんだというふうなことは、すごく気にしながら生きてきたというか。結局、蛙の子は蛙って言われるのが嫌で、できるだけそう呼ばれないような生き方を選択してきた」
真須美死刑囚からは現在も週に1回程度、手紙が届きます。
【手紙より】
『令和4年11月16日水曜日 長男君の面会を楽しみにして母は、もう毎日、毎日待ち遠しくすごしてます』
今年6月に面会した際、改めて事件について母親にたずねてみたといいます。すると…。
(林真須美死刑囚の長男)
「改めて聞くけども、あの時カレーに毒物であるヒ素を入れたのかどうか、というのを聞いたら、『入れてない』って答える。10年間ですけど見てきた母親の姿と、当日を見てきてる自分の記憶と、判決文を照らし合わせた時、信じようというふうになりました。家族としては」
真須美死刑囚は現在も裁判のやり直しを求めて2回目の再審請求を行っていますが、今年1月に和歌山地裁は請求を棄却。大阪高裁で審理が続いています。
25年を経てもなお、被害者と加害者、両方の家族にとっても事件はまだ続いています。