母とのつながりは母子手帳だけ。元里子の思いとは。里子を養育者(里親)の家に迎え入れて養育する「ファミリーホーム」を卒業した女性の今を取材しました。

15歳から21歳までをファミリーホームで過ごした美咲さん

 神戸市にあるファミリーホーム「なかのこの里」。23歳の島美咲さん、半年ぶりにこの家に帰ってきました。

 (里親)「おかえり」
 (美咲さん)「ただいま」
 (里親)「久しぶりやな、みーこ」
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 ここは美咲さんにとって実家のような場所。15歳から21歳になるまで里子として暮らしていました。

 (なかのこの里 里親 中野遥さん)
 「いつもご飯なかなか食べて帰れないので、食べて帰れるときは好きなものをと思ってリクエストを聞いて。遠慮しいやから『豚汁か肉じゃがか高野豆腐の煮物』って言うから『ほな全部するわな』って」

 机いっぱいに置かれた美咲さんの大好物。久しぶりに食べる懐かしい味です。

 (美咲さん)「イベントごと全部これじゃなかった?体育祭とか文化祭とか」
 (中野さん)「炒り豆腐、高野豆腐。体育祭のお弁当のリクエストが炒り豆腐だった」
 (美咲さん)「なんかお重…(笑)」
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 ファミリーホームは家庭で暮らせなくなった子どもを養育する場所です。「なかのこの里」では両親と4人の実子。そして親元での生活が難しくなった2人の里子が暮らしています。歳の近い実子と里子たちが同じ家族として過ごすからこそ、良いこともあれば大変なこともあります。
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 時には笑って、時には泣いて。

 (泣く家族に話しかける中野家の次女・芽ちゃん)
 「ごはん、お腹すいたやろ。すっきりした?ごはん行く?」

 大人も子どもも、それぞれが家族のあり方を模索しながら生活します。美咲さんも2年前までここで暮らしていました。

児童養護施設で話し合った「生まれながらに恵まれていない」

 生後3か月の美咲さん。手元に残る「最初の写真」です。0歳のときから乳児院で育ち、両親には一度も会ったことがありません。
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 (島美咲さん)
 「児童養護施設には私と同じように両親がいない子も珍しくないので、『多分ろくな大人にならないよね私たち』っていう話もした記憶があります。『生まれながらに恵まれていないよね』とかそういうマイナスなことばかり言っていた気がします」
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 6歳のときに一度、別の家庭で1年だけ里子として生活をしたことがありますがうまくいかず、その後は15歳まで児童養護施設で暮らしていました。
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 高校進学を機に「なかのこの里」で暮らすようになって…親子のやりとり、きょうだいげんか、家族として過ごす日々。毎日が驚きの連続でした。
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 そして2016年には里親・中野さんの三女の出産にも立ち会いました。

進んだ看護師の道で苦境も…里親は今も「心のより所」

 こうした経験から高校卒業後は看護師の道に進みます。ところが病院の経営方針が変わり、今年3月に契約を打ち切られることに。新しい職場を探す日々、悠長に構える時間はありません。

 (島美咲さん)
 「貯金はあるんですけど、私としても心配で、周りの子みたいに仕事でしんどくなってしまったときとか休職中に『実家に帰ろう』という感覚がほとんどないので」

 そんな美咲さんの心のより所になっているのも里親の中野さんです。

 (中野さん)「開業医とかあるやん。街のクリニックもよくない?」
 (美咲さん)「それも考えたんやけど、それなら何科って考えたし」
 (中野さん)「乳児院は看護師が必須やねん。職員の配置が必須やから。そういうのな、まったく新しいな」
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 (里親 中野遥さん)
 「不安感とか孤独感というのはやっぱり私たちには想像がつかないところなんですよね。一緒に年を重ねていくというのも変ですけど、そうやってつながりと歴史が深まっていくというか。それがだんだんだんだん家族に近いものになっていけたらなって」

母への気持ちの変化「全然気にしていないよ」

 「なかのこの里」で家族として過ごした時間。そうした中で母を思う気持ちにも変化がありました。

 (島美咲さん)
 「母が実際に使っていた母子手帳。母が実際に書いた字とか通っていた病院とか父親の名前とかも全部書いていた」

 小学生のころに初めて手にした母子手帳。テープで補強されるなど少し痛んでいますが、美咲さんにとって唯一残る母とのつながりです。
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 (島美咲さん)
 「このへんはメモじゃないですか。たぶん必要な物品とかのメモだと思うんですけど。大事なところをメモしているのかなと思って、母も『子育て頑張ろう』って思ったのかなとちょっと思いました」

 実の母がなぜ自分を手放したのか、今どう思っているのか、それを知る術はありません。美咲さんはもうすぐ24歳になります。それは母が自分を産んだ歳。

 (島美咲さん)
 「いろいろな経験もさせてもらって、いろいろな選択もさせてもらって、いろいろな勉強もできて、いろいろな人に会って。あのとき預けてくれてありがとうとは思わないですけど、預けてくれてこういう経験もできたし、全然気にしていないよ、と」

 置かれた境遇を悲観したこともあったけれど、今は違う。どこかで暮らす母にそう伝えたいと思っています。