毎年8月16日に行われる京都のお盆の伝統行事「五山送り火」。京都市内の5か所に順番に火が灯ります。五山の中で最後に点火されるのが「鳥居形松明送り火」。この送り火に70年近く情熱を燃やし続けている、超ベテランの83歳に密着しました。

今年で引退を決意 70年近く携わってきた超ベテランの『最後の送り火』

 8月16日午後8時。東山の如意ヶ嶽に「大」の文字が浮かび上がり、続いて「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」と5分おきに点火されました。

 (見にきた人)「めっちゃきれいで感動しました。このために京都来たんじゃないかなって思っています」
 (見にきた人)「すごく大きく見えてきれいでした」
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 五山の中で「赤みの炎」と言われる送り火があります。それは「鳥居形松明送り火」です。鳥居の形をした108基の赤い炎が京都の街を温かく照らします。
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 この送り火を感慨深げに見つめる男性がいました。70年近く鳥居形松明送り火に携わってきた、鳥居形松明保存会の今井滋基さん(83)です。
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 今回は、滋基さんにとって特別な送り火。そう、今年の送り火を最後に滋基さんは引退を決意したのです。70年近くにわたる滋基さんの送り火への思いに迫ります。

『中学生に棒高跳び指導』が元気の秘訣…しかし体力衰えを痛感

 83歳の滋基さんには元気の秘訣があります。滋基さんは元京都府1位の棒高跳び選手。毎週、母校のグラウンドを訪ねてボランティアで棒高跳びの指導をしています。若者との真剣な付き合いが、滋基さんが70年近く送り火を続けられた秘訣です。

 (指導を受ける中学生)「棒高跳び教えてもらって、京都府1位にまで持っていってもらってすごくありがたいですね」
 (指導を受ける中学生)「うちのおじいちゃんとおばあちゃんと比べて圧倒的に元気です。すごく元気で」
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 そんな元気な滋基さんですが、送り火引退を決意したのには、ある理由がありました。

 (今井滋基さん)「何十年って歩いていますからね、『気をつけなあかんな』って言うてんのに、そこですてーん!と後ろへひっくり返ってね。これはやっぱりだいぶ体力衰えているなと」

 去年、送り火を終えて下山する時、滋基さんは足を滑らせ転倒しました。体力の限界を感じた滋基さんは自ら引退を決意します。
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 兄と同じように送り火に取り組んできた弟・雅之さん(77)も今年限りでの引退を決意します。

 (弟 今井雅之さん)「おかげさまで体力的にはこの近辺の年齢まではなんとかもったと。ただ今年あたりがそろそろ限界に来ているんかなと」

松明作り…鳥居形ならではの燃え方に“こだわり”

 今年7月、鳥居形が灯る曼荼羅山のふもとでは、点火に向けて準備が進んでいました。行われていたのは、送り火で燃やす「束」と呼ばれる松明作りです。
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 (今井滋基さん)「束作りの極意をちょっとでも若い人に覚えていただこうと思いまして、頑張ろう思っているんです」
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 鳥居形ならではの燃え方にこだわった松明作りは、コツがいるといいます。

 (今井滋基さん)「これは油分ばっかりなんですよ。遠くから見て赤い炎。これが一番気持ちとしては、宗教的な気持ちにマッチングしますね」

 鳥居形松明送り火の赤みの炎の秘密は、松の油分にありました。

滋基さんの長男「自分の父親ながら本当尊敬」

 8月6日。この日の作業は…。

 (今井滋基さん)「きょうは『下草刈り』と言いまして、火床周辺の草を刈りこむ日なんです。最後は不格好な格好も見せにくいですね、僕らも」

 滋基さんは心を込めて火床の周りに茂った雑草を刈ります。火床整備もこの日が最後になります。
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 滋基さんの長男・今井康晴さん(51)は、父親への思いをこう話します。

 (長男 今井康晴さん)「正直なところ、本当『お疲れさまでした』のひと言です。いつか誰でもこの日が来ますので。やっぱり偉大ですよ、本当に。もうそれしかないですよね。すごいですよ、自分の父親ながら。本当尊敬します」

前日の台風で足場は悪く 最後の送り火が迫る中…準備中に転倒

 8月16日、点火当日の朝。

 (今井滋基さん)「天候がちょっときょうはややこしいですけれど、まあ頑張ってやります」

 午前8時。滋基さん兄弟と長男・次男もそろって集会所に打ち合わせに向かいます。
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 (保存会の会長)「70年くらいこの行事に携わっている方お2人、今年をもってご定年」
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 (今井滋基さん)「おかげさまでこの通り元気できょうを迎えております。これも皆さん方の絶大なご協力の賜物と思いますけれども、次の後始末までできれば無事務めて引退させていただきます。どうもありがとうございました」
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 標高約100mの曼荼羅山は荷物を抱えて登るのも一苦労な急斜面ですが、前日の台風で足場も悪くなっています。

 (長男 今井康晴さん)「毎年やらせてもらってますけどね、慣れているとはいえ毎年きついですよ」
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 点火まで残りわずか。しかし、滋基さんの姿が見当たりません。

 (長男 今井康晴さん)「お昼に(滋基さんが)つまずいてしまいまして、周りのみんなも心配する感じがありまして。足場がきょう本当に悪いんですよ、やっぱり。夜見えなくもなりますし、断念を決めたんです」

 滋基さんは残念ながら準備中に曼荼羅山で転倒してしまったのです。滋基さんは最後の送り火にもかかわらず曼荼羅山に登ることを断念しました。

滋基さんが見守る中…夜空に浮かんだ鳥居形

 午後8時。大文字に火が灯ったあと、いよいよ鳥居形も点火です。
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 滋基さんも山の麓から見守ります。
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 弟・雅之さんと長男・康晴さんがつけた「最後の鳥居形」の温かい赤色が夜空に浮かび上がりました。鳥居形の炎がお盆に帰ってきた先祖の霊を再び送り出します。
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 (弟 今井雅之さん)「兄が来ていませんけども…兄は6つ違いですからもう80歳超してますので。こんだけ従事できたということはすばらしいなと、自分で褒めてやりたいです」
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 (長男 今井康晴さん)「感無量ですよね。毎年やっていますけど、いいと思います」

「理想に近い燃え方。ほぼ100点満点」

 ふもとにいた滋基さんは最後の送り火をどう見ていたのでしょうか。

 (今井滋基さん)「理想に近い燃え方をしてくれていたんで、ほぼ100点満点やってもいいなと思いますね。寂しいというよりも、後輩がよくこういうことまで覚えてくれて、よく作ってくれたなという感激のほうが先行しています」
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 今井滋基さんの最後の送り火が終わりました。鳥居形の赤い炎は若い世代に引き継がれていきます。