2005年の優勝時にも取材した、「私の人生、すべて阪神」という根っからの阪神タイガースファンの神明永子さん(70)。18年ぶりの優勝をどのような思いで見ていたのでしょうか。

 大阪市住吉区の居酒屋「神明」。9月14日は定休日のはずでしたが、店には阪神のユニフォームを着た人たちが集まっていました。

 その中で、テレビの野球中継をじっと見つめる神明永子さん。

 (神明永子さん)「アレが近づく~!金・土・日でピッチャーの10勝が3日間連続で達成したでしょ?完全にアレしますよ」

 いよいよアレを確信し始めた永子さん。「私の人生、すべて阪神」と言うほどただならぬ縁を感じながら生きてきました。

 1985年、阪神が日本一になったときには…。

 (神明永子さん)「『私も阪神優勝したら結婚するわ』って冗談まぎれに言ったら『はいはい!』ってその場に10人くらいいたお客さんの中で3人が手を挙げて、それでホンマに優勝してしまった」

 その中で夫の盛雄さんと結婚。決め手は「阪神が優勝し、ビールかけをしてずぶ濡れになった永子さんに着替えを持ってきてくれたから」でした。

 その盛雄さんを2003年、病魔が襲います。発症者の多くが10日以内に死亡すると言われる劇症肝炎でした。

 (神明永子さん)「医師から『劇症肝炎でちょっと危ないです』と言われて、みるみる意識がなくなって『生体肝移植しかない』と言われて。『頭がい骨に穴をあけます』と言われた」

 絶望に打ちひしがれていたそのころ、阪神は暗黒時代を抜け出し18年ぶりにリーグ優勝。すると、盛雄さんの体調もそれに合わせるかのように回復していったといいます。

 (神明永子さん)「マジックが消えるみたいに、ベッドにいっぱいついていた機器が1つずつとれていくんですよ。毎日病院行くからね。(盛雄さんは)声が出にくかったけど、『優勝おめでとう』と言ってくれた」

 その2年後の2005年にリーグ優勝を決めた試合では、永子さんは甲子園のスタンドで観戦。

 【電話でのやりとり 2005年】
 (盛雄さん)「おめでとう~。もう大宴会やこっちも」
 (永子さん)「優勝やー。ありがとう」
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 (神明永子さん)「今回の優勝が一番うれしかったかな。だってお父さんがそばにおるもん」
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 かつて結婚のきっかけとなったビールかけを20年ぶりに実現。

 (神明永子さん)「涙とビールでぐちゃぐちゃや」

 それから18年がたった今年は…ひ孫のすみれちゃん(1)とともにアレの瞬間を待ちわびます。実はすみれちゃん、機嫌が悪くても泣いていても、「六甲おろし」を聞くと泣き止んでご機嫌に。永子さんから英才教育を施されているんです。

 9月14日の試合は、6回、佐藤輝明選手の2試合連続ホームランなどで3点をリードすると、永子さんは拍手で大喜び。お店で六甲おろしが流れるとすみれちゃんもご機嫌に。すると7回にも追加点。
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 (神明永子さん)「もうウルウルきてる。もうあかん…。巨人ファンのお客さんがいて、『なんでそんな弱いチーム応援すんねん』って言うから『弱いから応援すんねやんか!』と言い返した。弱かったら弱いなりにもっと応援する。(Qまさに「人生すべてが阪神」?)そやね。『お経じゃなくて六甲おろしで送ってくれ』と」

 そして…18年ぶりの歓喜の瞬間が!人生6回目のアレに喜びをかみしめます。もちろん、待望の“あのセレモニー”も!今回はビールではなく、炭酸水でちょっとおとなしくお祝いしました。

 (神明永子さん)「(Q気分は?)最高でーす!やったー。(Q18年待った甲斐があった?)はい。日本一になってまた炭酸かけしまーす」