26人が犠牲になった大阪・北新地のクリニック放火殺人事件から、まもなく2年となる。クリニックの院長である兄の死に直面した妹、伸子さんの約2年間の歩みを私たちは取材させてもらっている。壮絶な環境の中、妹は悩んでいる人に寄り添いたいと、大きな決断をした。

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2021年12月17日、午前11時頃。レストランに入り注文したランチを待っていた。ふとスマホを見るとニュースが流れてきた。

“西梅田で火災発生”

記事には『心療内科 北新地』の文字。心がざわめきたった。

「あ、兄のところだ」

注文した料理を置いてタクシーに乗り込む。向かったのは、大阪の北新地「西梅田こころとからだのクリニック」。放火された現場は兄、西澤弘太郎さん(当時49歳)が院長を務めるクリニックだ。

急ぐ道中で、タクシーのラジオニュースがさらに不安をあおる。

『西梅田で火事が発生した影響で道が渋滞…』
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弘太郎さんの妹・伸子さん(46)は途中で車を降り、走って現場に向かった。混乱する現場では、何もわからなかった。

帰宅して夜10時頃、母からの電話で兄が死亡したことを知った。この放火殺人事件で兄のほか、クリニックに通う患者やスタッフ、計26人が犠牲になった。

想像もしなかった深い悲しみが、突然襲ってきた。しかしこの日を境に伸子さんは“生き方”を大きく変えていくことになった。

伸子さんのたった一人の兄、弘太郎さん
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伸子さんは、クールでありながら優しかった兄の姿をよく覚えている。中学のころから歴史が好きで、お城巡りと温泉巡りが趣味の3つ上の兄だった。

互いに成人し、兄は医師となり、伸子さんは歯科医師として働いたのち、子育てを機に家庭に入った。西梅田と松原の診療所を行き来する兄と会うのはお盆とお正月くらいで、その仕事ぶりは事件の報道で知ることになった。

(伸子さん)「すごく患者さんに寄り添って、あんなに患者さんに慕われていたということが、(兄の)評価だったのかなって」

容疑者の男“拡大自殺”か
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事件を起こしたのは、大阪市内に住んでいた谷本盛雄容疑者(当時61)。クリニックにガソリンをまいて火をつけ、自らも死亡した。

社会から孤立した容疑者が、過去に通院していたクリニックで、他人を巻き添えに、“拡大自殺”を起こしたとみられている。

(捜査関係者)「谷本(容疑者)のスマートフォンには交友関係を示す連絡先はなかった。銀行口座の残高もゼロ。仕事もなく生活が困窮し、社会からの孤立を深める中で、自暴自棄に陥っていったのではないだろうか」
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事件のあと、発達障がいがある女性が現場を訪れた。学校で同級生から冷たい言葉を浴びせられるなど集団生活になじめず、孤立して育ったという女性は、こんな言葉を口にした。

「(谷本容疑者は)自分とグラデーションの地続きにいる存在」

女性は、自分が周りに理解されず、「わがまま」「やる気がない」などと非難される日々。しかし自分を責め続けると心が持たない。苦しさが重なると『自分を守るため他人を恨むこともあった』という女性は、谷本容疑者を特別と思うことはできなかった。

「もしかしたら、谷本容疑者が私だったかもしれない______。と、少し思いました」

“孤立を深めた末に、事件を起こす”現代の日本で何度も耳にする言葉だ。伸子さんは兄の死をきっかけに、こうした人々とかかわっていく道を選ぶ。

『悩んでいる人を孤立させない』
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事件から3か月後、悲しみの中で、伸子さんは早くも活動をはじめていた。

(伸子さん)「初めまして、わたし、西澤弘太郎『こころのクリニック』をしていた者の妹にあたる者なんです」

オンラインで集まっていたのは、事件があった兄のクリニックの元患者たち。心の支えだったクリニックを失った悲しみと不安を共有し、和らげようと、コロナ禍のオンライン上では、新たな”居場所”が作られていた。

伸子さんは「兄の患者らに、自分ができることはないか」と、参加するようになった。伸子さんは元患者らに問いかける。

(伸子さん)「近々でも遠くてもいいんですけど、やりたいことはありますか?」

(元患者の男性)「ミスチルのライブに行くことです」

照れながらそう答えた男性も、仕事で心を病み、兄のクリニックに通院していた。集いで伸子さんと話したり、活動を知り、「自分も負けていられない」と元気をもらえるのだという。
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事件に向き合い続けた伸子さん、そして気づいたことがある。谷本容疑者のように孤立し誰にも相談できずに悩みを膨らませることが、事件が起きた一つの原因かもしれない。

「解決するために小さな力でも常に動いていく」

それが兄を失った伸子さんが導き出した一つの答えだった。しかし不安も抱えていた。

「素人の私が、患者さんに寄り添うことってしていいのか…やれるのかなって」

伸子さんは胸の内を去年5月、ある人に相談していた。
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精神科医の兄にカウンセリングを教えていた「恩師」、心理士の土田くみさんだ。

(土田くみさん)「西澤先生の妹さんとしていらっしゃるだけで、皆さん救われると思いますよ。自分たちの中に入ってくれたってだけでそれが誠意というか、患者さんも救われていると思う」

包み込むような土田さんの言葉。ここまで一人で走ってきた伸子さんの目に涙があふれていた。そして、伸子さんは兄が師事した土田さんのもとで心理学の基礎を学ぶことになったのだ。

心に響いた「元患者の言葉」 大きな決断を下す
走り続ける伸子さん。

取材を受けるようになって約1年が経った今年3月、伸子さんは大きな決断をした。オンラインの集いで、元患者が口にしたある言葉がきっかけだった。

(伸子さん)「患者さんがお話されていたときに、“支援する側がもっとオープンにしないと誰も話さない、心を開かないですよ”っていう言葉がすごく響いた」

「もっとオープンに」この言葉に答えたい。伸子さんは元患者や、悩んでいる人に寄り添うため“自分を隠す”ことをやめた。

「今年からは、テレビで顔を出してお話しようと思うんです」
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被害者遺族だと告白することで、周りに余計な心配をかけるのではないか、生活しづらくなるのではないか、当事者だからこそ感じる不安もたくさんあった。しかし、伸子さんは顔を出して自ら伝える道を選んだ。それは「悩む人を孤立させない」との思いを実践するための強い覚悟だった。

悩める人に寄り添うため…僧侶への道を選択
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そして今年6月。伸子さんはまた一歩、私たちに想像もつかなかった新たなステップを踏み出す。

奈良の生蓮寺。集まったのは初めて顔を合わせる男女8人。その中に伸子さんもいる。緊張感が漂い、みなそれぞれ何か決意を持ってここに集まったように見えた。

しかし、住職はユニークだった。

(住職)「自分がこうなりたいっていう名前を皆さん考えてもらって、それがここでの名前になります。ちなみに私は、蓮和尚(はすおしょう)」

蓮の花が好きで、いつか仏教の本場インドでお釈迦様が見た蓮の種を見つけに行くのが目標だと屈託なく話す。

ニックネームで呼び合う、蓮和尚の提案で、場が和んだ。伸子さんの表情も和らいでいく。

「得度をしようと思うんです」
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お堂に響くお経。伸子さんがここに来た理由は得度、つまり僧侶になるための出家の儀式だ。

(伸子さん)「自分から説明しなくても、そういった“肩書みたいなもの”で、相手も少しは信頼していただけるのかなと思って得度しようと思った」

伸子さんは“僧侶”になる道を選んだ。人に寄り添って話を聞く活動と、僧侶の存在が重なったのだという。

幅広く信条や考え方に触れることで、悩める人に寄り添えるのではないか、とも考えたという。このまま修行を続け今年12月には、正式に出家する予定だ。

誰かの支えになれた実感に涙
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孤独をなくすために、まずは身近な人の悩みに寄り添いたいと思った。

彼女のもとを10月に一人の友人が訪ねてきた。40代の専業主婦、夫や子どものためにご飯を作ってもお礼を言われることはない。淡々とした日常の中、家族に話せない漠然とした“孤独”を抱えていた。

友人は、伸子さんが大変な背景を抱えながらも、自分にも寄り添おうとしてくれる姿や声、その表情に触れて、“居場所”を見つけた気持ちになった、と涙ながらに教えてくれた。
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その言葉を聞いた伸子さんも目に涙があふれた。信じて歩み続けた道は、確実に誰かの支えになっていたことを、はじめて実感できたのだった。

「自分はこのためにやってきたんだな…」

容疑者にも“居場所さえあれば”
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谷本盛雄容疑者は、もともと“腕のいい板金工”で妻子もいた。しかし2008年の離婚を機に、2011年には長男に対する殺人未遂事件で懲役4年の判決が下されるなど生活が一変。出所後、社会復帰を目指したが、前科が邪魔して就職できず、友人関係も薄れ、孤立を深めていったとみられる。

伸子さんは、谷本容疑者についてこう振り返った。

(伸子さん)「すごく寂しい人生、誰にも自分の思いを言ってないような気がするんです。“それは間違ってるで”と言う人がいてもよかったのではないか。そこから何かできなかったのかなって思った」
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いま、少しずつ悲しみに向き合い、兄に思いをはせる機会が増えたという。天国の兄はいまの伸子さんを見て、たぶんびっくりしているんじゃないか、笑いながらそう語った。

(伸子さん)「(私が)すごく走り続けてるようにたぶん見えて、(兄は)ゆっくり歩いていけばいいんじゃないか、って言ってくれていると思う。兄に対しても自分が精一杯生きていくことが供養になると思ってる」

―――兄はいま、笑っているのだろうか。それとも泣いているのだろうか。

兄への想いを胸に、伸子さんは歩み続ける。