26人が犠牲になった北新地放火殺人事件から、きょう(17日)で2年です。事件では、現場となったクリニックの院長・西澤弘太郎さん(当時49)も亡くなりました。兄の死に直面した妹・伸子さん(46)はこの2年、どのように歩んできたのか。そして、「被害者をなくす」ために彼女が出した答えとは...。

今年「出家」した伸子さん 兄を亡くした放火殺人事件で人生が大きく変わる

 奈良県五條市にある生蓮寺。今年12月4日、ここで伸子さんは「出家」しました。あの凄惨な事件で人生が大きく変わりました。

 (伸子さん)「本当に、今から始まるという感じですね。いろんな方のお話をこれからも聞いていきたいなと思っています」

 きっかけは、2021年12月、大阪・曽根崎新地の心療内科で起きた放火殺人事件で兄を失ったことでした。

 あの日、伸子さんはスマホのニュースで事件を知りました。レストランで注文したランチを待っていたところでしたが、急いでタクシーに乗り込み、現場に向かったといいます。
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 (伸子さん)「もうどうしていいかわからない、兄がどこに行ったのかわからない。すごくうろたえていたときの状況は今でも覚えていますね」
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 火元となったビルの4階にあった心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」の患者やスタッフら26人が犠牲になりました。院長だった伸子さんの兄・西澤弘太郎さんも帰らぬ人となりました。
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 (伸子さん)「よくけんかしていたかなということをよく思い出しますね。兄はあまり言い返す方じゃなかったので、私がわーっと怒ったりするのをただ聞いているだけっていう感じ。プロレスかけられたりとかそういうことはありましたけれども」

 伸子さんと西澤さんは4歳離れた兄妹。大人になると兄は休む間もなく仕事に打ち込み、会う機会は減りましたが、いつも妹の体調を気遣ってくれたといいます。
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 そんな兄の部屋から事件後、見つかったものがあります。伸子さんが送った手紙です。

 (伸子さん)「遺品の中から実家にあった分で出てきたものですね。兄が埼玉の大学に行って下宿してるときに私が送ったものだと思います」

 クールだった兄、当時、伸子さんに返事をしたためることはありませんでしたが、何通もの手紙が大切にしまわれていました。

悲しみが癒えない中で行動…クリニックの元患者らの「集い」に参加

 事件から3か月後、まだ悲しみが癒えない中、伸子さんは兄の元患者らにできることはないかと動き始めます。クリニックの元患者らが「オンラインでの集い」を始めたことを知り、参加することにしたのです。

 (集いに参加する元患者)「絶対治りますよって言ってくれてたんでね。西梅田のクリニックでもちゃんと対応してくれたなってすごく今になって思いますね」

 (集いに参加する元患者)「ひと言で言うと孤独を癒すための居場所っていう感じですかね。当事者同士で思い出話とかする中で安心できることがあった」

 (集いに参加する伸子さん)「みなさんに質問なんですけど、近々でもちょっと遠くてもいいんですけど、やりたいことはありますか?」

容疑者は元患者 “社会からの孤立”の末に拡大自殺か

 元患者らと向き合う伸子さん。事件を起こしたとされる谷本盛雄容疑者(当時61)も元患者の1人でした。

 (伸子さん)「人間って本当に人と関わっていかないといけないものだと思うんですよね。あの容疑者の人もほとんど学校の先生が覚えてらっしゃらないとか、存在はなかったとか、そういう人だったとお聞きして、すごく寂しい人生。誰にも『自分はこう思っている』とすら言ってないような気がするんですよね」
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 クリニックにガソリンをまいて火をつけ自らも死亡した谷本容疑者。当時の捜査関係者は「スマートフォンには交友関係を示す連絡先はなかった。銀行口座の残高もゼロ」と話し、谷本容疑者は社会からの孤立を深める中で、自暴自棄になり拡大自殺を起こしたとみられています。

『悩んでいる人を取り残さない』事件から得た教訓を胸に活動

 (伸子さん)「やっぱり犯罪を犯すっていうのは社会から孤立している人って多いと思うんですね。みんながみんなそうじゃないと思うんですけど、そういう人が少なくなるような社会になるために、取り残さないというか」

 「悩んでいる人を取り残さない」。事件から得た教訓を胸に、今も元患者や周りの人に寄り添う活動を続けています。
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 一番近くで見てきた夫は、この2年で伸子さんは大きく変わったと話します。

 (伸子さんの夫)「昔からマイナス思考の、すごくネガティブな考え方をする人だったんですけど、今回の事件があってから家族とかお父さん、お母さんに心配をかけないようにとか、多分そういう気持ちが人一倍強いんだと思います」

傷害の罪で服役していた男性のもとへ…「今、生活とかはしんどいですか?」

 ある日、伸子さんは兵庫県尼崎市に来ていました。たずねたのは、清掃会社で働く井上敦裕さん(30)。2年前まで傷害の罪で刑務所に服役していました。伸子さんは、出所した元受刑者が孤立しないように手を差し伸べたいと支援団体に相談。紹介を受け、井上さんに話を聞きに来ていたのです。
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 (伸子さん)「今、生活とかはしんどいですか?」
 (井上さん)「この会社に来て生活はしんどくない。社長さんもご飯に連れていってくれたりとか、サポートがあるので困ることはないです。何かあったら社長に頼れるという感じ」
 (伸子さん)「ほんと心の拠所ですよね、そういうの」
 (井上さん)「拠所です」
 (伸子さん)「良かったですね、出会われて」

「何のために生きているのかがわからない」対話の中で聞こえた本音

 出所後、実家を頼りにできなかった井上さん。会社のサポートもあって「不安はない」と話していましたが、少しずつ本音を漏らします。

 (伸子さん)「最近、楽しいこととかあるんですか?これやっていたら楽しいとか」
 (井上さん)「全然なくて、ずっと悩んでたりしていたので、最近楽しいと思えたことがそんなにないですね、生きてて。何のために生きているのかがわからない、見失っているっていう感じ。(刑務所から)出てきてからは本当に苦しいことだらけで、被害者の方も苦しいと思うんですけど、自分も葛藤していて、何もかもうまいこといかず」
 (伸子さん)「生きてるのが今しんどいですか?」
 (井上さん)「結構しんどいです。社長さんにも言ってないけど、実際はしんどい」
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 約1時間、伸子さんは井上さんの話に耳を傾け続けました。「加害者を社会から取り残さない」。伸子さんが犯罪被害者を減らすために出した一つの答えです。

 (伸子さん)「行き場がないとか、思いを言えないとか、そういったことを誰か聞く人が必要だと思うし、それが再犯を少しでも防止する何かきっかけにつながると思うので、加害者の方に対してはやっぱり再犯を防ぐ手段として必要かなって。少しでも何か動きに関われたらいいなと思います」