京都府亀岡市にある古民家カフェ。経営するのは、妻を乳がんで亡くした男性です。「軒先で集まれる場所を…」妻が愛したカフェを引き継ぎ、地元の人たちと一緒に大切な場所に。亡き妻の思いは生き続けています。

地元住民が話に花を咲かせる京都・亀岡の“古民家カフェ”

 京都府亀岡市保津町。今なお昭和の面影が残るこの町の古民家に、カフェを開いた一人の男性がいます。豊田信寿さん(58)です。ランチメニューには地元・亀岡産の京野菜を使った天ぷら、烏骨鶏の生卵、釜炊きのご飯などが並びます。

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 (豊田信寿さん)「これは、ちっちゃい田んぼでできた黒米、古代米。小さい子どもさんにも、こういう無農薬で作ったやつを食べていただくのが一番」

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 どこか懐かしい軒先で地元の住人が顔を寄せ合い、話に花を咲かせます。

 (客)「卵かけご飯がおいしいおいしい」
 (客)「いいですね。外で食べるっていうのは、アウトドア感がちょっとあったりしますし。ほんま、この木陰がすごい。木陰でご飯食べるってなかなかないですよ」

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 特にライ麦パンは、豊田さんが育てた麦で作ったこだわりの一品です。

「軒先で集まれる場所を作りたい」乳がんで亡くなった妻・幸子さんの思い

 かつて、自動車の部品メーカーに勤めていた豊田さんは53歳で脱サラ。今は古民家の近くの畑でライ麦を収穫するなど、生活はがらりと変わりました。鳥骨鶏の世話をするのも豊田さんの毎日の仕事です。

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 カフェ経営の道を選んだ理由は、妻の幸子さんにあります。

 (豊田信寿さん)「うちの妻の出身が金沢なんですけど、結婚して金沢からこちらに。特にこの保津町の風景が大のお気に入りでした。軒先でみなさんが集まって軽くお茶飲みながら雑談しながらという場を作りたいとずっと言っていたので」

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 豊田さんが51歳のときに乳がんが見つかった幸子さん。抗がん剤治療の副作用に苦しんでいました。かつて古民家のチラシを楽しそうに眺めていた幸子さんの姿を思い出し、ともに田舎で暮らすことを決めました。「軒先カフェ」の始まりです。

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 (豊田信寿さん)「ほんまに病気なん?っていうぐらいテンション高く笑顔でいてくれていたんで、すごくいいんかなって思いました。これで治ってくれたらいいのになと思っていたんですけどね。でもなかなかそうはいかなかったなって」

 幸子さんは57歳でなくなりました。

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「亡くなられた奥さんの遺志ですもんね」幸子さんを慕い支えたスタッフは今も厨房に

 妻が愛した軒先カフェを受け継ぐ覚悟を決めた豊田さん。

 (豊田信寿さん)「これはタイム。ハーブティーになるやつですね。ハーブ類はうちの妻が植えていました。妻が好きだったのは桑の実。おいしいからね、桑の実は。桑の実のコンポートを作りまして、妻の自信作だったから。今度、軒先カフェのスイーツのトッピングに」

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 幸子さんを慕い支えてきたスタッフたちは今も厨房に立ち続けています。

 (スタッフ)「保津町はお年寄りが多いので、お年寄りの方たちに『あそこに行ったら何か楽しいことがある』って思っていただけるような場所にしたいっていうことが悲願やったね、最後」
 (スタッフ)「亡くなられた奥さんの遺志ですもんね」
 (スタッフ)「幸子さんに『あとはやるから』って言ったから、それをやめるというのは私の選択肢になかったかな」
 (スタッフ)「誓ったからね」

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 不定期でオープンする軒先カフェ。地域の人たちと一緒に育ててきた大切な場所に、幸子さんの思いは生き続けます。

「母は田んぼを歩いていたかも」日本で暮らした“母の面影”を訪ねるオランダ人夫婦

 カフェを開かない日、古民家はまた別の顔を見せます。「農家民宿」です。農業など、日本の文化を体験できる宿泊施設として、これまで多くの外国人観光客を受け入れてきました。

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 (豊田信寿さん)「(Q布団の敷き方も幸子さんから?)そう。ちゃんとしわ伸ばせって怒られました。ほとんどの方が日本の畳の上で寝られるっていうのをすごく楽しみにしているみたいなので」

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 この日はオランダ人夫婦のピーターさんとカトリーナさんが亀岡市を訪れました。古民家や田んぼなど、日本の原風景を見たいという2人。そこには特別な理由があリました。

 (カトリーナさん)「私の母が亡くなって3年?」
 (ピータ―さん)「3、4年だね」
 (カトリーナさん)「それで、私たちは日本への旅行を思い描くようになったんです」

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 カトリーナさんの母・キャロラインさんは2020年に病状が悪化し、病院で亡くなりました。かつて、母のキャロラインさんは日本で暮らしたことがあります。オランダに戻ってからも、自宅の庭で盆栽を育てるほど日本の文化を愛していました。母が愛していた日本の原風景を肌で感じたい。それがカトリーナさんの願いです。

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 事情を知った豊田さんは、2人を田んぼへ連れ出しました。

 (豊田信寿さん)「私が写真撮ります。いきます、ワン・ツー・スリー、OK!めっちゃきれいなの撮れた」

 (カトリーナさん)「私の母は田んぼを歩いていたかもしれませんね」

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 目の間に広がる日本の原風景。カトリーナさんは、母・キャロラインさんに思いを馳せます。

 (カトリーナさん)「親愛なるお母さん。私は日本に行きました。とても素晴らしかった。あなたはここにいないけれど、あなたに触れることができないけれど、田んぼの間やこの家にあなたがいるかのように感じました」

 母国から遠く離れた亀岡で、今は亡き、大切な人との思いはつながりました。

「パパさんのおかげで楽しく幸せに暮らしてこられました」妻・幸子さんが遺した“引き続き事項”

 冷蔵庫に今も残る、幸子さんから豊田さんへの引き継ぎ事項。

 『うこっけいをよろしくお願いします。ピヨちゃんには煮干し』
 『苗。表面の土が乾いたら、ジョーロでたっぷり水をまく』

 (豊田信寿さん)「ここを通りかかるたびに、あれができてるな、これもちゃんとやらなあかんなと、そう思いますからね」

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 引き継ぎ事項の冒頭には、幸子さんから豊田さんへのメッセージが書かれています。

 『パパさんへ。私のやりたい事を全て肯定してくれました。本当にパパさんのおかげで楽しく幸せに暮らしてこられました』

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 (豊田信寿さん)「妻がやりたい、今度こういうふうに進めていきたいということを、思いとしては、僕がそれを引き継いでやっていけたら、本人のためにも供養にもなるのかなと思っています」

 亀岡にある古民家の軒先。もう会えなくなったあなたを今も思い続けています。