6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災の発生から30年。この震災をきっかけに、電力会社やコンビニ業界では災害時に強いインフラ整備に力を入れています。人々の“生命線”を守る取り組みを取材しました。

地震発生直後には約260万軒が停電

 1995年1月17日午前5時46分。淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の地震が近畿地方を襲い、6434人が犠牲になりました。

 電気やガスなどのライフラインは寸断され、地震発生直後には約260万軒が停電しました。
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 (ヘリリポート※当時)「大阪は夜景が広がっていたんですが、神戸に入ると真っ暗になります、まち全体が真っ暗です」

「昼なのか夜なのかも分からない状況で復旧にあたった」

 関西電力送配電の白銀隆之社長(62)は当時、関西電力の神戸支店に所属していました。

 (関西電力送配電 白銀隆之社長)「神戸支店のビルがかなり被災をしていた。通常使っていた執務室は、太い柱にひびが入って中の鉄筋が見えるような状況。地下に大きな食堂があったんです。食堂に全員集まって、昼なのか夜なのかも分からない状況で会議をしながら復旧にあたった」

 緊急性が高い病院や避難所から送電を再開。他のエリアの電力会社からも次々と応援が入り、延べ約3万8000人が24時間態勢で作業にあたり、1週間ですべての地域で送電が再開されました。ガスや水道より早く応急的な復旧が完了しました。

市が進めていた『無電柱化』のデメリットも露呈

 いっぽうで、課題も浮き彫りになりました。それが地中に埋まっている電線の復旧です。

 (記者)「ここでは地下に潜った職員が酸欠にならないよう空気を送り込みながら、地下に埋められた電線に地震の影響が出ていないかどうか調査が進められています」

 神戸市は、街の景観向上などを目的に、電線を地中に埋める『無電柱化』を進めていました。

 (Q地中の電線の修理は地上と比べて何が大変?)
 「道路を掘って(損壊した)配管を見つけ出して修理しないといけない。それだけどうしても手間がかかります」

 無電柱化は、電柱が倒れて家屋が倒壊するのを防げる一方で、地震の揺れで地中の配管や電線が傷つくと、場所の特定が難しく復旧に時間がかかります。阪神・淡路大震災では地上の電線と比べ倍以上の時間を要しました。

「まちの明かりをともし続ける」今後の災害に備えた取り組み

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 あれから30年。神戸では無電柱化された地域が当時の3倍以上に増えました。関電送配電は地中に埋める配管を変更するなどの対策を進めています。

 以前はほとんどがつなぎ目が少ない配管でしたが、震災後は新たに無電柱化する地域で柔軟性が高いつなぎ目をつけた配管を導入。地震が起きても折れにくいようにするなどして、設備の耐震性を高めています。
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 同時に、定期的に大規模な復旧訓練を行って職員の技術を維持し、今後の災害に備えます。

 (関西電力送配電 白銀隆之社長)「まちの明かりをともし続けるのがわれわれの役割なんだという思いは、今も全く変わっていない。それは大切にしていきたいと思います」

被災地のライフラインとなった『コンビニ』

 そして阪神・淡路大震災をきっかけに役割を大きく変えたのが、コンビニエンスストアです。

 30年前、かろうじて営業が続けられたコンビニには長い列ができました。

 人々が買い求めたのは水やおにぎり、乾電池など。それまで“深夜でも開いているスーパー”のような位置づけだったコンビニは、この震災を機に生きていくのに欠かせないものを提供するライフラインのひとつとして認識されるようになりました。
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 1月9日、コンビニエンスストアのローソンが実施した防災訓練。阪神・淡路大震災と同じ地震が再び起きたという想定で行われました。

 【訓練の様子】
 「(近畿カンパニーで)社員803名中、安否確認ができているのは800名。現在不明は3名、負傷者は6名」
 「交通が寸断されているので、出社できる人間が限られてくる」

 この日の訓練では、被災地の担当者らからあがってきた現地の状況や応援要請を、東京本社に立ち上げた防災対策本部に集約し、すばやく支援に移れるよう手順を確認します。

 (ローソン・近畿エリアサポート部 江藤隆裕部長)「本社を通じて各地から(情報を)一気に集める。本当に必要な地区までどこを通ってどう届けるかが大事になる」

震災を機に店舗向けの『災害対応マニュアル』を作成

 被害が大きかった神戸の灘区で震災以前からローソンを経営している村上克己さん(71)。

 (村上克己オーナー)「(Q道路が崩れていた?)全部、落ちてましたね。悲惨というか、すごかったです」

 地震の6時間後には尼崎の自宅から駆け付け、店にあるものを近所の人に無償で提供するなどしました。

 ローソンは阪神・淡路大震災を機に店舗向けの災害対応マニュアルをつくり、アルバイトスタッフらが客の誘導などにあたれるようシステム化しました。
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 (村上克己オーナー)「『どうぞお客さん、こちらです。こちら逃げてください』と大きな声で言う。ラハマンくん、地震の経験ある?」
 (アルバイト・ラハマンさん(バングラデシュ出身))「地震の経験ないです。聞いたことはあります」
 (村上克己オーナー)「もし何か起きたときに、まずは自分の身の安全、避難場所、逃げる場所を確保する」

 地震に馴染みのない外国人スタッフも増えているため、避難所への移動経路も一緒に歩いて確認します。

 マニュアル以外にも震災以降に設置されたものが。米を炊いて、丼ぶりものなどを提供できる『厨房』です。現在、全国1万4000店の7割近くまで導入が進んでいて、災害時でも電気さえ使えれば、温かい食事の提供が可能になりました。

 (村上克己オーナー)「“マチのほっとステーション”って言いますやん。本部と一体化して決めごとを作っているのは、必ず(災害時に)役に立つと思います」

販売用の在庫を『救援物資』に!物流網を生かした被災地支援

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 またコンビニの物流網を生かし、被災地に支援物資を届ける取り組みも定着しています。

 兵庫県西宮市にあるローソンの物流拠点には、飲料やカップ麺などが、倉庫の天井近くまで保管されています。

 2017年、コンビニ各社は災害の時に優先的に支援物資を運ぶ国の指定公共機関に指定されていて、こうした物資が自治体を通じて被災地に送られることになります。ただ、これは災害用の備蓄品ではありません。

 (ローソン・近畿商品部 宮城大輔部長)「あくまでも営業用として使っている在庫から、救援物資として対応していく」

 普段、店で販売する商品を支援物資に転用するため、消費期限の管理などがいりません。去年1月にはここから能登へ支援物資が送られました。
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 (ローソン・近畿エリアサポート部 江藤隆裕部長)「東日本大震災を含め、経験をアップデートしながら災害時の対応がマニュアル化され、いまに至る。必要な存在としてあり続けることしかないのかなと」

 30年前の経験を決して無駄にしない。次の災害への備えが進んでいます。