G7広島サミットを終え、この勢いのまま岸田文雄総理は解散・総選挙に踏み切るのでしょうか?自民党内ではサミットを追い風に解散に踏み切るべきとの声が強まっています。解散のタイミングとして取り沙汰されているのが、6月21日に迎える通常国会の会期末ですが…岸田総理の胸の内はいかに。政治ジャーナリストの後藤謙次氏は「今年3月中旬ぐらいから解散をイメージし、あとは本人の決断だけという局面までいま来ているのではないか」と指摘します。
(2023年5月23日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」より)

◎後藤謙次氏(政治ジャーナリスト):元共同通信編集局長 政治部記者時代は総理官邸や自民党などを担当 政界に幅広い人脈を持つ

岸田総理は『持っている』と話す後藤謙次氏

――G7。大阪の街頭インタビューでも皆さん「概ね良かったのではないか、岸田さんを男上げたのではないか」とか、そんな声も聞かれましたけども、後藤さんは、岸田総理は「持っている」と話しています。後藤さん、「持っている」というのはどういう意味ですか。

岸田さん非常に「持っている」と思うのは、この広島でまずサミットをやるためにはですね、ご自身が総理でいるということも一番の条件なのですね。7年に一度しか日本に回ってこない、そのときに総理大臣だったと。

岸田さんは7年前、安倍内閣の外務大臣のときに広島でG7外相会合の議長をやっているんですね。その後、5月27日にオバマ大統領の広島演説がありました。これも演出したのは岸田さんなのですね。岸田さんは、当時のオバマ大統領を原爆資料館に案内をし、原爆ドームも自ら解説をしました。

いずれこの地で自分も、という思いを当時描いたわけですね。それが現実のものになった。それ自体が非常に「持っている」なんですが、さらにそこにウクライナという全く予期せぬ出来事があって、今年の3月にはウクライナに極秘に訪問し、帰ってくる。これ全てサミットに向けての準備ですね。そのサミットが今、何の事故もなく終わったと。このこと自体をもってしても、岸田さんは「持っている」なと。

しかも天気もそうでしたよね、サミット初日は雨が降っていましたけど、首脳陣が集まって、いよいよ献花するというときには、雨が上がっていました。そしてさらに最後の日の岸田さんの記者会見も、非常に良い天気のもとで、あの原爆ドームを背景にした記者会見をした。

そしてゼレンスキー大統領とツーショットが何度も繰り返されました。もう本当に「持っている」なと。ご本人は一睡もできなかったと言っているようですけど、やったという感じなんじゃないでしょうか

――支持率の回復とともにささやかれるのが、いつ解散に踏み切るのかという話題ですが、岸田さんはこう発言しました。「今は重大な政治課題について結果を出すことに専念する。今は、解散について考えておりません」と。解散については。

岸田さんを記者がいっぱい囲んで、「総理、解散あるのですか」と質問をすると、岸田さんは記者と目を合わさない。岸田さん、ずっと前から解散を狙っていると思います。

――いつから解散を狙っていたと考えますか。

私が見るところやっぱり3月の中旬ですね。ウクライナに行く前の、韓国の尹大統領と日韓首脳会談が行われた3月16日ぐらいから岸田さんは解散を頭に描いていたのではないかと。いざ解散のチャンスが来たときに、慌てて準備しても間に合わないわけですね。その3か月前から解散の仕込みをはじめて、ウクライナへ行ったのでしょう。

また4月24日の統一補欠選挙は5つ選挙があったのですが、自民党が1勝4敗とも言われていました。しかし自民党は4勝1敗で勝ち抜けたのです。ここが非常に大きくてですね、そしていよいよサミットを迎えました。つまり岸田さんがいざ解散になったときにやっておくべきことは、全て一つ一つクリアし、あとは本人の決断だけという局面まで今きているのではないかと思いますね。

「前がかりの岸田」必ず前で勝負する岸田総理の人物像

――後藤さんは「前がかりの岸田」だと岸田総理を評しますが、これはどのような意味ですか。

私が名付けた「前がかりの岸田」というのは、普通、人間大きな決断するときに、ちょっと先延ばしにしようかなっていうことよくありますよね。しかし岸田さんは、そういうケースのときに必ず前で勝負をしてくると。

例えば2021年に総理大臣になったときも、任期満了が近かったのですが、就任して1週間で衆議院解散に踏み切ったのですね。去年も7月8日に安倍さんが凶弾に倒れたとき、しばらくこのままの体制でいくのではと思われていたのですが、8月10日にいきなり内閣改造をやる。こういう大きな結論に対しては、先へ先へとやってくると。

その点では岸田さんは、町の政治家よりは前がかりであるというのが、パーソナリティの一つじゃないかなと思っているのです。

――では、いつ解散するかということなのですが、現在ささやかれている解散のタイミングは、今の国会が終わる会期末の6月か、あるいは内閣改造後の秋ということなんですよね。後藤さんはどちらだとお考えですか。

今の国会が終わる会期末の6月だと思います。

――そして今、安倍派という大きな派閥は100人もいるのですね。100人いながら会長がいないという状況は、岸田さんにとって非常に不安定な状況が伴うわけですね。ここで解散をやって、もう一度、永田町、とりわけ自民党の中の構造を変えていくと。

これが解散の大きな目的じゃないかと私は思いますね。

――他にも秋よりも6月がいい理由としては、長崎の4区選出の自民党の衆院議員が、G7期間中の20日に亡くなりました。その補欠選挙が10月の22日に投開票予定で、この補選後の解散となってしまうと極端に任期の短い政治家が生まれてしまう。これを避けるためにも6月なのではないかという見立てです。

そうですね、2017年に安倍総理がやはり9月に解散をしているのですが、そのときもやっぱり10月の補選を避けるというのも一つ目的であったのですね。その意味で、この前も4月に4つも衆議院選挙をやりましたから、さらにまた短い任期の人が生まれると、それならいっそのこと、大きくやろうというのがあると思いますが、この大義名分というのは、この後に多分あるのではないかと思います。

この大義名分の中でも一番大きなものは、公職選挙法という法律が改正されまして、ここで衆議院289の小選挙区のうち、選挙区はどうやって区分するのかという、区割りの変更があったのですね。ですからなるべく早く、法律に沿った代表を国会に送り込もうというのが、最大の大義名分ですね。

――なるほど、そういう基本的な選挙のルール、任期4年というものがあるわけですから、4年のうちに答えを出すというのが政治なんですけどもね。

やはり安倍さんがこれを壊してしまったわけですね。つまり野党の準備ができないうちに解散をやるということです。安倍さんは2012年の12月に総理になられて、2年も経たない14年の11月に解散をして12月選挙になったと。ここからですね非常に短期間の選挙を繰り返すことによって、政権を維持してきた。

この安倍さんが作った、ある種独特のルールみたいなものを変えなきゃいけないんですね。ただ、残念ながら今の岸田さんは自民党の中の第4派閥という非常に弱い派閥ですから、何とか自分の足元を強くしたいとそういう思いに駆られても、私はやむを得ないところがあるのかなと。

ただ、選挙をやるからにはですね、10増10減だけでなくて、例えば防衛費は2%にするために、こうやって財源作りますよというように、真正面から大きな政策を訴えていくのが筋なんですけども、そこがまだ見えてこないと。ただ岸田さん昨日いきなりですね、少子化問題についての財源について、増税はしませんということを明言しましたから。これもある種、解散をにらんでの発言なのかなと、いう気もしています。

――解散があるのかないのか、後藤さんによると官邸に選挙対策委員長の森山裕さんが呼ばれるかどうか、この1週間が決断のタイミングではないかというふうに見ていらっしゃいます。