阪神タイガースで外野手としてプレーした横田慎太郎さんが脳腫瘍で亡くなりました。28歳の若さでした。2019年9月26日、兵庫県西宮市の阪神鳴尾浜球場での引退試合。視界がぼやける中で、センター前のヒットを矢のような送球で本塁生還を阻止しました。「奇跡のバックホーム」と言われる、記憶を残したあのプレー。今年7月19日のMBSテレビ「よんチャンTV」に出演した掛布雅之さんは、スタジオで河田直也アナが「神様がいらっしゃるのでは」と語りかけると、「奇跡のバックホームなんていらない。横田の命を1年でも長く…生きてほしいという気持ちが強い」と、むせび泣く声でかつての教え子を追悼しました。
(2023年7月19日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」より)

鹿児島実業高校から2013年ドラフト2位で阪神に入団 プロ3年目で開幕1軍スタメン 将来を嘱望されていた

―――ミスタータイガース・掛布雅之さんとお伝えします。非常にお伝えするのが残念ですが、阪神タイガースで外野手として2014年から2019年までプレーした横田慎太郎さんが7月18日、脳腫瘍のため亡くなりました。28歳でした。非常に若くしてこの世を去りました。横田さんといいますか、きょうはあえて「横田選手」と言わせてください。掛布さんが2軍監督時代(2016年~2017年)の教え子であり、2軍監督を引き受けるきっかけになった選手なんですね?

掛布雅之さん:僕は、阪神タイガースに戻る、育成という形で戻るときに中村勝広GMから電話がありまして、「今度、鹿児島からすごい左の長距離バッターが入ってくるんだ」と。「30本以上に打てる選手にしたいんだ」「協力してくれないか」と。それで阪神に戻っていったんです。彼がきっかけなんです。

―――横田選手を一人前にするために掛布さんが呼ばれたと?

掛布雅之さん:そうなんです。だからすごく残念でつらいんですよ。(横田選手は)何をやるにも一生懸命。だからみんなから好かれるんですね。

―――横田選手の最初の印象は?

掛布雅之さん:まぁ不器用なやつで、ちょっと手がね、ひじが開いてしまうんです。その辺りちょっと気になりました。それをどうにか直さないといいバッターにはなれないなということで、ちょっと苦労しました。

―――鹿児島出身で、鹿児島実業高校から2013年ドラフト2位で阪神に入団。プロ3年目で開幕1軍でスタメンをつかむほど将来を嘱望された選手でしたが、脳腫瘍が判明。その後、寛解し、復帰するも2019年に引退されました。一度戻ってきて、もしかしたらということもありました。

掛布雅之さん:そうなんです。ただ、戻ってきてもボールがはっきり見えるような状態まで視力は戻らなかったようですね。

「野球の神様がいるのであれば、奇跡のバックホームはいらない」

―――引退試合でみせた「奇跡のバックホーム」。最後まで諦めなかった横田慎太郎選手の野球人生でした。横田選手も自分の言葉で言っていましたけど、本当に野球の神様はいらっしゃるんじゃないかなと、そんなことを思ったりしますけどね。

掛布雅之さん:ただ僕ね、野球の神様がいるのであれば、あんな「奇跡のバックホーム」はいらないと。横田の命を1年でも長く…生きてほしいという気持ちの方が強いんですよね。

―――本当に努力を重ねてここまで頑張ってこられた、ご自身でも必死でやってきましたと。

掛布雅之さん:すごく不器用な男ですから、練習を止めませんでした。バットを振り続けました。そういう横田が、28歳でしょう。早すぎますよね。

―――だから野球の現場の選手もそうですし、それ以外のファンも、普段野球を見ていない人も応援したくなるそういう人物でしたね。

掛布雅之さん:僕が一番印象に残っているのは、彼が台湾でのウインターリーグに参加したときのこと。そのときの代表チームは巨人さんで、巨人のマネージャーの方に僕はご挨拶に行ったんですよ。そのときに巨人のマネージャーの方が「掛布さん、横田っていう選手はすごいですね」と。「日本人チームの全体ミーティングが終わった後に、私のところに横田が来ました」と。そのとき横田は何を言ったと思いますかと。「このホテルでバットを振るところありますか」って言ったんですよ。そういうことを守り続けた男なんですよね。遠征先に行っても必ず「横田、お前不器用なんだから、みんなと一緒の練習だけではレギュラーになれないぞ」「1人に強くなりなさい。1人でやる練習を大切にしろ」と。「ホテルの(バット)振る場がわからなければ、ホテルのフロントに行って、どこか振るところありませんかと聞きなさい」と。それを台湾の遠征、ウインターリーグでですね、やっていたというのを聞いたときに、これで僕は横田は大丈夫だと確信しましたね。

―――その言葉を忠実に守って、やっぱり上手くなりたいって思い続けたのでしょうね。引退試合を振り返りますが、2019年9月26日、阪神鳴尾浜球場。ボールが見えやすいのでライトの守備を横田選手は希望していたと。当時の平田勝男2軍監督に伝えていたのですが、平田さんは「開幕スタメンを取ったのはセンターだろう」と。9回の1イニングに出場する予定でしたが、急遽、8回途中2アウト2塁の場面で「センター、横田」と。

掛布雅之さん:これ素晴らしいですね。この起用法ってのはですね。

―――やっぱり元々センターだからここでということですよね。9回の1イニングに出場の予定だったのですが、8回がこういう状況だった。9回裏がなかった可能性も。なので行かせたと。平田2軍監督は、守備につくときに必ずダッシュで向かう姿が好きだったというふうにも語っています。

掛布雅之さん:最後まで横田は横田でしたね。ただただ、僕は悔しいですね。

引退試合でみせた『奇跡のバックホーム』 「横田が打たせたセンター前のヒットなんだと思う」

―――そして奇跡が起こります。センターの守備につくと、初球、センターに大きな当たりが飛んできました。これは取れるような打球ではなく、ヒットとなり、同点になりました。その次の打者で、再びセンターにボールが飛んできたんです。このときの横田選手は、視界がほぼぼやける中、キャッチして本塁への送球。レーザービーム。すごい送球でした。タッチアウトでチームを救いました。「練習でも投げたことがない球が投げられて、今まで諦めずにやってきて本当によかった」と語りました。すごいプレーが飛び出しましたね。

掛布雅之さん:本当に奇跡なんですけども、ただただ、うーん…でも横田にとってはやっぱり素晴らしい思い出なんですね。

―――後日わかったことなのですが、対戦相手も横田選手が守備につくときは、横田選手のところにボールが飛ばないようにしようと。見えてない状態だから、当たったら危ないし、エラーもさせたくない、そんな気遣いもあったんだけれども、これは試合始まってみないとわからないということですよね?

掛布雅之さん:それはやっぱり、横田の野球人生、横田が打たせたんじゃないですかね。相手が打ったのではなくて、横田が打たせたセンター前のヒットなんだと思いますよ。

―――様々な経験を経て、この若さで引退し、亡くなられました。こんなことを聞くのも変なのですが、もしも今、横田選手が元気だったらどんな選手になっていましたか?

掛布雅之さん:トリプルスリーという言葉があると思います。3割・30本のホームラン、30個の盗塁。このトリプルスリーをできる選手でした。それぐらい身体能力、運動能力の素晴らしい選手でしたね。本当にもったいないです。3番バッターを打っていたと思いますね。

―――そんな横田選手も見てみたかったです。本当に残念です。横田選手の軌跡をお伝えしました。本当に数々の素晴らしいプレーを見せてくれてありがとうと言いたいと思います。掛布さんにもお話を伺いました。ありがとうございました。