WORK職種紹介

#16

DIRECTORディレクター

NAME
比嘉 晴香Haruka Higa
DEPARTMENT
制作局/東京制作
CAREER
2011年度入社

COMMENT

小学生の頃から高校野球が大好き。東京の大学に進学したあとも、センバツ高校野球や夏の高校野球シーズンには甲子園球場の近くにマンスリーマンションを借りて観戦するほど。MBSへの入社も「高校野球の放送に携わりたい」と思ったことがきっかけ。入社後2年間はADとして経験を積み、スポーツ局へ異動。プロ野球、高校野球の番組制作に携わる。2022年に制作局・東京制作へ異動。

おシゴト紹介01 / 04

全国ネット番組の、
VTRの企画から編集まで。

あなたの仕事を教えてください。

MBSが制作する全国ネットの番組『日曜日の初耳学』を制作するディレクターとして、スタジオでタレントの皆さんが観るVTRの制作に携わっています。VTRの内容は、林修さんがさまざまなゲストと会話して、自然体で発せられる言葉から学びを伝える、というものです。そこに至るまでの私の仕事は、まず、出演するタレントの経歴をリサーチすることから。インタビューの構成を立て、事務所に確認し、放送する内容のすり合わせを行います。そのなかで、タレントの方に親密にしている人がいらっしゃったら、本人に出演を交渉して、コメントをいただくことも。実際の収録は1時間30分〜2時間。それを40分〜50分にギュッと編集しつつ、テロップを入れたり、ナレーションをつけたり…。一連の仕事を、余裕があるときは1ヶ月、短いときでは1週間で進めます。

ディレクターとして考えるポイントはさまざま。たとえば博多華丸・大吉さんが登場する回では、みんなで「東京での姿ではなく、福岡での素を見せられるようにしたい」という話になりました。打ち合わせをするなかで出たアイデアが「親交の深い福岡の芸人さんに出演してもらおう」というものです。リサーチを通じて適任として挙がったのが、パラシュート部隊さん。出演を依頼したら快諾してくださり、私は福岡に飛んでリモート中継の手配を進めました。本番では、パラシュート部隊さんの登場に、博多華丸・大吉さんもビックリ。想定していた以上のエピソード、お二人の素の表情を引き出すことができて、有意義な撮影になりました。

おシゴトへの想い02 / 04

大阪での経験が、
タレントの素を引き出した。

仕事の楽しさ、大変さを教えてください。

東京制作に異動して今に至るまでを振り返ると、喜びや大変さが走馬灯のように駆け巡ります。一番嬉しかったのは“日曜日の初耳学”のエンドロールに、自分の名前が載ったことです。直後は、沖縄の両親、知り合いからお祝いの連絡をもらいました。私としても、両親に自分の仕事を見せることができて、少し誇らしい気持ちになりました。逆に戸惑うのは、大阪と東京の番組制作におけるスタンスの違いです。大阪は、台本はおおまかな骨組みをつくるまでにとどめて、出演者のアドリブなどを大切にします。制作スタッフも少なめ。しかし、東京は真逆です。さまざまな面でのプロフェッショナルが多数集まり、綿密に構成を練り、組織力でひとつの番組をつくります。最初は台本の分厚さに圧倒されたものでした。すべてが緻密に計算されているので、自分の色を出すことは容易ではありません。そんななか、少しではありますが“私だからこそ”を実現できたことがありました。VTRのゲストは吉川晃司さん。広島県出身の方です。収録の数日前、総合演出が「地元の言葉を拾えるといいなあ」とポツリ。ふと、吉川さんと親交のある広島のスポーツアナウンサーが思い浮かびました。大阪時代のスポーツ局でお世話になった方で、プロデューサーにそのことを伝えたら「ブッキングしよう!」と即断・即決。収録2日前の交渉にもかかわらず、出演を快諾してくださったのです。当日、その方の登場に、吉川さんの表情が柔和になり、口からは広島弁が。同僚からは「よかったよ!」という言葉をたくさんもらいました。

おシゴトの魅力03 / 04

東京での成長を糧に、
もう一度、夢を叶えたい。

これからの目標を教えてください。

一度離れはしたものの、将来はまたスポーツ局に戻りたいと思っています。ただ、東京制作に異動したのは、決して遠回りだとは思っていません。「東京制作を経験したからこそ、初めてスポーツ局に配属されたときより、さらにいい番組をつくれるはず」という手ごたえを感じています。“日曜日の初耳学”の制作に携わったおかげで広がった人脈。収録に臨むまでの緻密な準備・構成力。有名なタレントと向き合っても、気後れせず考えを伝えられる度胸。VTRの魅力を最大限引き出す編集力…。得られたものが本当にたくさんあります。ただ、さらに過去をたどると、私が今東京で頑張れているのは、入社早々に濃密な経験ができた大阪時代があったからこそです。今でも、国内外を旅する番組“ロケみつ”の経験は財産になっています。最初の1年間は国内ロケのみでしたが、2年目からは海外ロケも任されるように。2週間に1回、海外と日本を往復する生活が約1年続きました。現地でカメラ撮影も行ったし、編集も任せてもらえることに。寝る間を惜しんでコツコツVTRをつくり続けたあのときの経験は、私の原点と言えるかもしれません。今でもVTRを編集するときは、いつの間にか没頭してしまいます。「アングルは、前回と違いをつけるために、こちらにしよう」「ナレーションは、このタイミングで入れよう…いや、1秒後のほうがいいかな…」こだわり出したら止まらない性格は、入社する前も、今も変わりません。